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3

気付くと九と同じ場所にいた。

「怖くなかったでしょ?」

僕はしゃがんでる。思わず目をつぶってたようだ。膝をちょっと打ち付けたみたいで出来た傷がほんの少し痛い。スカートに砂と血がにじんでる。

 九の顔は夕日の逆光でよく見えない。眩しくて目を逸らす。

「本当だ」

 九が鼻を鳴らした。どうやら笑ったようだ。

 辺りを見回す。僕が降りてきた方に白い壁がある。その中央にドアがある。銀色。銀色が多いな、って思う。

「入ってみよ?」

 九に目を向けて、片手でひさしを作る。太陽を背にしてる九の顔がぼんやり、指の隙間から見えるよになる。

 鍵は開いてるんだろか。

「確かめた?」

「なにを?」

 九は後ろ手であっさりドアを開ける。さすがに閉じ込められるようなミスはしないか。

「鍵開いてるの確かめた?」

「ううん? なんで」

「あ、そう」

 開いてなかったらどうするつもりだったんだろ。

 九が二、三歩駆けてドアの向こうに消える。待って。すぐ追いかける。

「ねえ九」

 なんでここ来たの、って言葉を発しそこなう。

 ドアの先は倉庫だった。広い、というよりは大きい。床が遠い。緑の塗り床。てかってる。一階分じゃ利かなさそうだ。視線を上げる。壁の色は白。でも壁一面に、Mの形をした淡いピンク色のフレームが縦に二つ、横にいくつか敷き詰められて嵌め込んであってそんな感じはしない。フレームの間は格子状に同じ色のフレームが嵌めてある。天井からぶら下がる照明がまぶしい。下で作業するとき暗くならないよに設定されてるみたいで、天井に近いここでは目つぶしにしかならない。電気来てないんじゃないの? それに迫る背の高い鼠色の棚が縦にいくつか列を組んで並んでる。小振りな木箱がその上にまばらに載ってる。色はまだ薄く、新しい。そのせいか空気がきつい。むせ返る。木の匂い。九は平気そうだった。ドアの先はすぐ階段。右にまっすぐ伸びてる。その上に九がいる。降りてってる所だ。知らない場所にたどり着いて、うきうきして仕方ない、ってそんな背中をしてる。またステップを踏んでる。

 フレームが目に入る。階段すぐ右。こっちの壁にもついてるのか。近くで見るとかなり太い。触ってみると冷たくて、その上をつるりと手が滑る。塗装がかなりきれいにされてる。なんなんだろこれ。

「毎回ドアの前で止まる癖、やめて」

 いらついてる声。前触れなく九が止まって振り向いてる。僕をにらむ。

「あ、ごめん。今度からやめる」

 僕はコートの下からタートルネックの襟を引っ張り出して口に当てる。

 九は目を剥いて僕の行動を注視するけど、

「ならいいけど」

 としか結局言わない。

 うん、これでいくらか楽。

 僕は九を観察するのをやめて正面を向く。黒ずんだ手すりに両手を乗せ身を乗り出してみる。床までさっき僕が飛び降りた高さの倍はある。一度身を震わせると、九がも一度振り向くので、急いでその背中を追う。部屋を見渡しつつ、降りる。階段を降り切ったらそこがこの部屋の隅だ。階段を降りてく。足元は暗い。突然足元から、がん、がん、と小さく鈍い音。裸足なのにどこから。慎重に足元だけ見て、降りる。また突然鳴らなくなる。

 木の匂いはどんどんきつくなってく。降りながら振り返り、振り返り棚を眺める。と、木箱に入りきらなくて、仕方なく半透明のビニールに包んだだろうなって機械が、木箱の間にところどころ置いてあるのに気付く。固く黒い、鉄の塊。太く横に長く棚の面積をずいぶん取ってる。あんなのが落ちてきたら、当たり所関係なく確実にぺしゃんこ。

「ここ、なんだろ」

「倉庫?」

「みたいに見えるけど。じゃああの上の方の荷物とかどうやって取るんだろ」

 階段を降り切る。

 僕はあたりを見渡す。

 棚が大きく、高い。上までずいぶん仕切りの数がある。上を向く。天井にはさすがにフレームは嵌められてない。そろそろ眩しくなってきて、それをこらえて見続けると、覆いかぶさってこちらに倒れ込んでくる感覚。大丈夫、だよね? 床は緑色の塗り床になってて滑らないよになってる。

「機械使うんじゃない? フォークリフトとか」

 九が立ち止まってそう言う。

「にしては狭すぎじゃないこの部屋」

「じゃあ通りやすいもっと省スペースなハイテクなもの」

「いや、違う違う、通路が狭いって意味じゃなくて、いれる必要ないくらい狭くない?」

 天井が高いだけで床面積自体はそれほどでもない。あくまで倉庫としては、ってだけだけど。

「じゃあ脚立とか」

「それかも」

 確かに棚の上の荷は、普段から重いものを持っている男の人なら、脚立使ってでも抱え上げられそうだった。木箱以外は別だけど。

 九が歩きだした。棚の間を縫って進んでく。

「ね、なんでここに降りてきたの」

 さっきは聞き忘れた。

「む、なんか助け呼べそうなもの調達しないとなって思って、なにするにしてもさっきいた所じゃ木が邪魔だから」

 助け。

「来るときなにか探してればよかった」

 九が言う。

 助け。そうか助けを呼ばないと。救助してもらってここから出してもらわないと。少なくとも九はそうするはずだ。こんなことも思いつかなかったのか今まで。

たき火をしようか。なにを燃やそう。火種はある? どこで燃やそう。さっきの石張りの屋上。木の生えてる所で火なんかおこしたら飛び火して危ないよ。

逃げよう。救助は諦めよう。なくても平気。舟があれば。最悪舟じゃなくてもどうにかして。どうにかしてあの山まで流れ着ければ水に飲まれて消えることはなくなる。あとのことはあとで考えればいいよ。

でもここを出ると水とご飯、同時に失うことになる。そのあとどうするの。危険度が高すぎる。このあたりにきっともう民家はない。遭難者として紛れ込めばいける? でも出来れば関わり合いになりたくない、それは最後の手段。だから、今は食べ物と飲み物を集めるのが先だ。

「聞いてる?」

「え。と、なに」

 九が振り返ってこっちを見てる。

「そうやってぼうっ、とするのやめて」

 むっとする。放っておいてよ。

「いいじゃん」

「よくはない」

 そう言って前に視線を戻す。きびきび歩きだす。反論の言葉を飲み込んで速足で付いてく。背後に張り付く。コートに寄ってる皺をじぃぃっ、と見る。

舟で逃げるとして、九だったら壁の方に逃げるだろか。それが普通だよ。でも、僕は壁の方へは行きたくない。確実にばれる。なんとか行かない方法はないだろか。九は壁がなんだか知らないみたい。それ使ってうまく誘導すれば、あるいは?

その前に舟はどこにあるの。

 考えれば考えるだけ今まで何もしてなかったと分かってパニックに陥る、のを必死でこらえる。口に当ててた布を外す。考えろ。考えろ。落ち着け。呼吸をしろ。深呼吸だ。考えろ。

 そう。やるべきことを整理しよう。助けを呼ぶ。そうしないと不自然だ。食糧と飲み水をかき集める。舟を調達する。これは九にばれたくない。九についてきてもらうわけにはいかない。一人で行きたい。

 今は助けを呼ぼうとしてる最中。棚の上に食べ物や飲み物はあるんだろか。木箱の中にあるかもしれない。でもそれもあとで。ラジオはここには多分ない。きっとあるのははもっと生活の匂いがする場所。倉庫は最も縁遠いよ。舟は。舟はあるかもしれない。

 いくらか頭がすっきりする。なににしても先に助けを呼ぶ。舟が見つからなくて溺れちゃうよりはまし。他のことは全部後回し。いろいろ手を出しても速度は結局落ちるんだ。少しだけ、ほっと息を吐く。にらみつけて痛くなった目をこする。なにか凝視しないと集中出来ないのは悪い癖だ。

 コートから白いタートルネックの襟が行儀悪くはみ出てるのに気付く。直す。空気はまだだいぶ苦しい。長居はしたくない。

 再び視線を戻すと、九が顎を上げきって歩いてる。おぼつかない足取り。まっすぐ進まなくて、はらはらする。

「どうやって呼ぶつもり、助け」

「たき火?」

「たき火本当にやるんだ」

 九が突然大きく横に。身構える。九の方に視線を。なにしてくる? もうやられっぱなしじゃない。けど、そのまま九は振りかえらず、すたすた歩いてく。

床あたりに視線を戻すと、九がさっきまでいた所に一番の下の棚からビニール袋に包まれた黒い棒が飛び出てるのが見える。それを避けただけ。なんだ。またぐ。顔を上に向けると飛び出た角材が何本も目に付いた。ここは整理が甘かったのかな。

「思いついたもの適当に挙げてるだけだよ。あとなんか文字書くとか」

「なにで」

 僕は棚の中をざっと流し見する。

 木箱以外、なにも目につかない。裏に見えるぶっ太く書かれたMが目に毒。なにがいいだろ。僕は考える。木の匂いが鼻につく。多分、ずうっと慣れない。

「机並べるとか。あとはコーンとかペンキとか?」

 そう口に出す。

「でもここにある? そういうの」

 反論。

「むー」

 それを言われると探すしかなくなる。

「パイプとかでもいいんじゃない?」

 九が今度は言う。

「転がらない?」

「あ、そか」

 僕はまた棚に視線を送る。なにかが目に付いてくれれば、って。

そしたら木箱の側面に英語でなにか文字が印字されてるのに気付くけど、ほとんど読めない。英語じゃない? 九はまた踊りだす。

「なら角材とかでもいいのか。でも目立つかな」

 踊りながら、九が言う。声が体の揺れに合わせて震える。

「む、色の問題ならどれでも同じだと思う。机でもペンキでも目立たない色はあるよ」

「それはそうだけど、細くないかな」

「パイプの話?」

「うん。角材もだけど」

「本数あるなら束ねれば大丈夫だと思う」

 九は答えない。なんとはなしに棚に視線をやると、なにかある。目を凝らすと皺のよった青色の毛布にくるまっておもちゃがあるって分かって、立ち止ま、

「そだね」

 ろうとしてあわてて前を向く。置いていかれる。

 九の背中を追う。さっきのおもちゃ、原色使いのぎらぎらした色合いでいかにも子ども向けの、って質感だった。なにに惹かれたんだろ。

「あ、あれパイプ?」

 九がぽつり。パイプ?

 顔を上げる。僕も見つける。立ち止まる。ビニール袋がかかってなくて目立つ。色は青みがかったグレー。

 あれ。息苦しい。息が詰まる。速足で歩いて少しだけ疲れたのかな。

「あれでいいか」

 九が言う。

「転がるよ?」

「考えたらストッパーとかある」

「そんなの付いてたっけ」

「付いてるパイプあるじゃん」

 九は振り向いて言う。上ずった声。これは驚いた、って声色。

「わかんない」

「パイプにもともとくっついてたりあとからパイプを差し込んだりするやつ」

 一転してこんこんと説明する。やっぱりこの子、ころころ表情が変わるな。

「思い至んない」

 そう返す。

「まあ、だから転がらないよ、そうそう。えっと、あれで言うとあの白いやつ」

 言われてみると灰色のパイプに所々白いものが巻き付いてるように見える。

「あれ?」

「そう。あれ」

 そう言って九はさっきまでと同じように歩き回りだす。パイプに見向きもしない。あれれ。

 九はずっと首を上げきってる。真後ろじゃなく、少し左から見える顎のラインがきれいで少し見とれてる、と首の角度が戻る。振り返ってこっちを見る。僕と向かい合う。その顔は、その目は怖い子のにも変な子のにも見えなかった。やっぱりただの小さな男の子。

「ね」

「む?」

「行き止まりだから、戻りたいんだけど」

 通路の先に荷物が積みあがってる。進めない。棚から滑り落ちたのをそのまま放置したみたいで、荷はぐっしゃりとつぶれていた。

「あ、待って。どくから」

 九は当たり前だ、って顔して頷く。

 棚に寄って九を通してからさっきと同じようについてく。

「脚立どっかにあった?」

「まだ見かけてない」

次の角を左に曲がって、九が一方の壁に向かってるのに気付く。階段と真逆の方。進んでく。

「あった」

 壁まで着く。またドアがある。はしごを吊るすための金具が水平に四つ、その横に付いてる。金具二つではしごを一つ吊るすらしい。今は一つだけ掛かってない。側面の持ち手が錆びて赤黒くなってる。かなり古いものみたい。持つ所を考えないと手を汚しそうだ。

 九がドアに向かって一歩進む。

「かえり、開けて」

「なんで」

「いいから」

九が道を譲る。僕はドアに手を掛けて開ける。

 ドアの先は真っ暗。

「開けたよ」

 これがどうしたんだろ。

 振り向いて、ドアの先を見せると、吸い込まれるよに九がドアの向こうに行ってしまう。

僕は手持ち無沙汰になって、反転して倉庫の方を見る。棚の上の木箱に『20 BARRELS』と書かれてるのが目に留まる。棚を互い違いに組んでるせいでそこまで見通しがよくない。それだけ思うと九が戻ってくる。数秒くらいしか経ってない。

「どこだった?」

「うん。全然分かんない。廊下じゃないのは確かだったけど。危なそう。下見えたし。それより上にメッセージ書くのが先」

 九の最後の言葉が部屋にぅわん、と響く。

「パイプ? でなんて書くつもり」

 これで救助信号が出せたら、ストーブの所に帰れるのだ。あそこが一番安心できる。食糧だったり舟だったり、することはたくさんあるけど、その前にあそこに戻って、少しだけまったりとしよう。

「ヘルプ。英語」

 言いながら九ははしごに近付き、まるで背の高すぎる人形を無理に抱えて歩かせるみたいに、持ち上げ運ぶ。

 僕は手ぶらでその後ろを付いてく。

 いたたまれない。

「ね、歩くの遅い」

 急ぎ足で追いつきながら言う。

「そう?」

「うん。僕持つ」

「いいよ」

「遅いじゃん」

そう言いながら、はしごに手を伸ばす。

「分かった」

 九が止まる。地面にはしごを置き、手を放して身体にはしごをもたれさせながら、手の甲ではしごを持とうとする僕の手を払う。

それでも一度力強くはしごを握り直すと、最初の時とは全く違ってすたすた行ってしまう。

「転ばないでよ」

 そう声をかけることぐらいしか出来ることがなかった。

 九が曲がり角で消える。

 なんではたかれたんだろ。

 そう考えながら、そこまでのろのろと進んで、そこで九を探すけどどこにも見当たらない。

 えっと。

周りを見渡す。パイプがあるのはどっちだっけ。周りを見渡す。

 階段は見える。最初にここへと入ってきた所。でも階段の所からどう行ったかなんて全然覚えてない。

 迷子?

 倉庫は静まり返ってる。

 喉がくうぅ、って鳴る。

僕は迷子になった。

「むー、」

 とりあえず歩き出す。思いついた所で曲がり、進み、歩き回る。

どの場所も同じよに見えてきて段々とどこから来たのかも分からなくなる。

どこに行ったんだろ九。見通しはそこまで悪くないはずなのに見つけられない。じっとしておこうか。立ち止まろうか、より迷わないよに。もう手遅れ?

「いや、床の広さ自体はそんなにないはず…」

 声が漏れる。だからこうしてればそのうち見つかる。きっと。

「…なんで張り合うかなあ」

 あそこまで勢いよく走らなくてもいいのに。

 ねえ、逃げないの?

 僕は九を探す。

 絶好の機会じゃない? これ。

 声? 頭を横に振り、追い払う。

 やるなら、ここで九と別れるのが一番きっと、ばれるまでが長いよ。

 聞こえる。誰かの声。薬を。飲み水はどこだっけ。

 なんで逃げないの?

 でもこの声にはだいぶ慣れっこだ。

 ねえ。

 む。確かになんで逃げないんだろ。

 いつかは逃げないといけないのにね。

 そうだろか。ずっと一緒では駄目なのだろか。

 取り込むの?

 その言い方は。

 探してる人はあの子じゃないのに。

 僕は黙る。

 じゃあ取り込まないの? それでどうやってやってくつもり?

 その言い方は、ずるい。

 はしごの所まで戻れる? 逃げるよ。

 首の筋を痛めるくらい全力で首を振る。飛んでけ。

 今度こそ追い払う。首をさすりながら、九を探すのに戻る。

 このあたりの棚には一番下に毛布が詰められてる。畳んでありぴっちり整ってる。毛布にはビニールの中に入ってる。ビニール。畳まれてる。なにか引っかかった。

たたたったたった。タップっぽい足音。聞き覚えのあるリズム。九?

「かえりー」

 九の声だ。かすかに聞こえる。

「かーえーりー」

 どっちから聞こえた? タップはまだ続いてる。

 こっち。棚の向こう。

「今行くー」

 迂回しなきゃ。多分こっち。

「ここのー?」

「ここ、ここ」

 当たってた。

 九はもうはしごを下ろして、踊ってる。何拍子なのかもよく分からない、複雑なステップが響く。たたたったたった。

「勝手に置いてかないでよ」

「遅いって言ったの、かえりじゃん」

「あんなに速くなくてもいいの。そんなことより早い所パイプ取っちゃおう?」

 九はなにも言わない。

「どうかした? はしご使えないとか」

「もっと他にいいものないかなって思っただけ」

「すぐ日が暮れちゃうよ」

「そんな時間? もう」

「うん」

 僕は腕に付けてる時計を見せる。

 覗き込んできて、九は、ふうん、って顔。

 そのまま遠ざかって、

「かえり、結ぶものとか見つけた?」

 と言って、立てかけといたはしごに乗って昇ってく。

「見つけてないよ」

「ないか」

「探す?」

 九が昇り切る。

「いいよ、まとめなくても並べれば、多分」

 パイプをつかんで、下に落とすそぶり。

「あ、持とうか?」

「退いて」

「は」

 ごんっ。身構えてたからびっくりはしなかったけど、うるさい。

 続いてごん、ごん、ごん。何本となく落ちてくる。九が棚の上で滑らせて、下に落としてる。かなり長い。僕の背よりある?

「九」

「なに?」

 うるさいと言おうとして、途中でやめる。言ってどうするの。

「あと何本くらいある?」

 代わりに聞く。

「十五本ぐらい」

 九がまた一本パイプを落とす。

 他のパイプに当たってあらぬ方向に跳ねる。

「九、ちょっと止まって」

 危ない。

「え、なんで」

床には十本ぐらい転がってる。

「何本持ってくつもり」

 聞く。

「もういい?」

「HELPって、」

 ヘルプって描くのに何本必要なんだろ?

「なに?」

「十三本ないと描けないよ、少なくても」

 数え切る。

「今そこに何本ある?」

「えっと、八本」

 あら。

「全然足りないね。何本持ってく?」

「持てるだけ持って行きたいけど」

 九が決めて。

「むー」

 九がしばらく下を向いて、そのうち顔を上げて階段の方を見る。

「一人でどのぐらい持って行けるかな、屋上まで」

 ぼそっと言う。

「一往復で運ぼうとしてる?」

「うん」

「無理だよ」

 さっきの落ちた音で分かる。これ、確実に重い。

「九も落とさないと下に持ってこれないくらいなんでしょ。そのパイプ」

「僕力ないよ」

「僕よりはないとおかしいじゃん。男だよ?」

「そうだけど、きっと負けるよ」

 はしごが持ててる時点でそれはないと思うけど。

「じゃあなおのこと何往復かしないと無理じゃない」

「うんうん、じゃあ今落ちてる分持って行こう」

 九が降りてくる。

「僕一人でも行けるよ」

「駄目。階段のとことか絶対昇れないでしょ」

 さっきと同じよに九が全部持って手持ち無沙汰なの、今度こそは避けないと。

「なんとかなるって」

「や、ついてく。二人で持と?」

転がってる八本に近付く。片側から強引に持ち上げる。重たっ。

「九、足」

 首を小刻みに揺らしてパイプの下に足を差し込んで、って伝える。

「足つぶれるよ、そんなことしたら」

「根元に近くないから平気だよ」

 僕は裸足なの、って足をぶんぶん振って急かす。

 九が下に足を差し入れて、僕はゆっくりその上にパイプを下ろす。

 別に平気だよ?

パイプを一気に持とうとすると、両手使って指が回るぎりぎり。なかなか指にしっくりくる形にならなくて苦戦する。九はこれで持てるんだろか。僕より小さいのに。

それに持ち上げられても、階段を昇って上まで行くのは僕も無理。

「なにやってるの」

 九が苛立ちまじりで言う。

「あ、どける」

 僕は親指と中指の力でパイプ八本を持とうとしてる無謀な格好をやめて、九の靴の上からどかす。

 そのまま床に置くとパイプたちは奇妙に安定して、床の上に散らばらず小山を作る。

 僕は離れる。九が僕と入れ違いにパイプを掴む。八本全部を持ち上げようとする。

「二人で持つんじゃなくて」

 その背中に声を掛ける。

「それの方が楽?」

 九が首を上げる。うん。頷く。

「じゃあ、半分こ」

 四本ずつ。

 九が、床に下ろしたとき出来た山を突き崩して、四本こっちにまとめて引きずってくる。ずっ、ずっ、ずっ、って床が痛みそう。

「ん」

 差し出される。

 僕は手で受けてそのまま床に下ろす。

 一度立ち上がる。目の前に転がるパイプが四本。

 これをどうにか上まで持って行かないといけない。

 僕はパイプに手を掛ける。まず一本。

立てると僕の身長を軽く超える。でかい。

両脇に一本ずつで、まずは。そう考えて一本パイプを立てたままで、しゃがみ、もう一本を持ち上げる。両手にパイプが一本ずつ。

九の方を見る。もう持ち上げ終わってる。二本ずつ脇に抱えて軽快に遠ざかってく。それ平気なんだ。

 僕は立ったままで、手元にあるパイプを片方の脇に挟む。

 右だけ急に重くなったせいで転びかける。踏ん張って、耐えきったと思ったら今度は脇からパイプが滑り出る。宙で掴み直す。

 何度か落としかけてやっと安定させる。足に当ててぶれないよにしてる。

「これで屈んで…」

 もう二本のパイプも脇に挟む。

 九と同じよな、蟹っぽい見た目になる。大げさに足を開いて腿のあたりでパイプを乗せてるから、きっとそんな感じに見えるはず。

「よしっ。行こ」

 歩きだす。階段はどこからでも見えるから目指しやすい。

 飛び出てる棒を避け、荷崩れして通れない場所を迂回して進む。かなり歩きづらい。足を開いたまま移動しなきゃならなくて、ちょっとでも油断するとすぐに脇からこぼれてくし、気を張ってないと進めなくて他に気が回らない。九はどうやってたんだろ。

なんとか階段の前へ着く。その前で立ち止まる。

 下の骨組みをじっとり見てく。パイプで重くなったけど大丈夫かな。さっきは鈍い音を出してたけど。もうすぐ折れるのかもしれない。

 見つけてどうするの?

 そう思ったけど、探すのはやめれなくて、結局腐食してる部分を見つけてげんなりする。これ昇らなきゃ駄目? 上を見上げる。

 階段の先のドアが開いてて、日が差し込みだす。ばああ。ほこりが陽を浮かび上がらせる。

誘われるよに僕は階段へ一歩足を掛ける。

 頬に風。まだ上までだいぶあるのに。風がまた強くなってる。昇ってく。

 普通には昇りづらくて、倉庫の方を向いて本物の蟹みたいに昇ってく。

 腐食してる部分の真上に差し掛かる。重苦しい音を立てて階段が鳴る。おっかなびっくり僕は昇る。

 空気の流れが強い。外の風に周りの空間が巻き込まれてる。

 僕は少し足を止める。視線を普通に戻して前を見る。視界の下倉庫が広がる。

 ドアの前へあと二歩。

「やっと来た」

 九が顔を出す。まるっきり逆光。ドア押さえてくれてたの。

「ありがと。どこに作るとか決めた?」

 九が屋上の方に顔を向ける。

「まあ、無難に、真ん中らへんに置こうかなって」

「そう」

「そういう話の前に早いところ次の取ってこよ?」


8


「はい書けた」

不細工なHELP。まだ二往復もしないうちから九が見切り発車して、どれも文字が細っこい無様なものが出来上がった。Lなんて棒の長さが縦と横で一緒になっちゃってる。

「これで来るの救助」

 文字は壁の方から見てきれいに見えるよに置いた。

そもそもこれ、読んでもらえるんだろか。

 今日最後の陽が屋上にそそぐ。風がびびゅう、と通る。足が冷える。パイプがかたかた揺れる。僕と九は文字の出来栄えを見るためにフェンスぎりぎりまで寄ってる所。日が落ちたら屋上になにがあるかなんて全部見えなくなるよ。

「目立たせないとね」

「たき火だよやっぱり」

 どっちもフェンスにもたれたまま、話す。壁は視界に入れたくなかった。

「飛び火したら危ない。から駄目」

「じゃあほかになにか考えつくの」

九はちょっと不機嫌そうに返す。そう言われると難しいけど。

目の前に屋上庭園、銀色のドア、そしてHELP。

「旗とかは?」

 ちょっとあこがれ。

「風で倒れちゃうよ。そもそもそんなに目立たないし」

 にべもなく切られる。

「とにかく、火は駄目」

「ここ燃えてもちょっと川の中泳いでればいいだけじゃんか。むしろ燃やそうよ」

 そう言って、九はどこからか細身の懐中電灯を取り出して、木を照らす。

風が吹いて、上の屋上がざわり、とざわめく。

僕はその乱暴さに一つ、九が懐中電灯を持ってたことにも一つ、驚く。

持ってたの。なら、探しものしてたときに使およ。

「駄目?」

 九がそう続ける。

屋上の木を燃やして、それですぐ救助が来るのかな、本当に?

「でも救助が来なかったらどうするの。溺れちゃう可能性だってあるわけだし」

「救助来ないなんてあり得るの?」

「なんらかの事情があるかもしれないじゃん」

「なんらかの事情ってなんだよ」

「む、それは…」

えーと。

身体を反転させて、フェンス越しに泥水を見る。あの中へ。

「泳げないの?」

「不安なだけ」

 言い返す。もう一度反転して九と同じ方向を向く。

「なら大丈夫でしょ。燃やしちゃっても問題ないじゃん」

 懐中電灯の光を揺らして、声高に主張する。

 さっきから、風が強い。目に空気を感じて、やりづらい。

 九はなんでここをこんなに燃やしたがるんだろか。

 むむむ。どう説得したものか。

「別に泳ぐのはいいけど、リスクが高すぎるよ」

 とりあえずしゃべり始める。

「えっと、自然発火だと思われたらおしまいだし、水着で入る水のきれいなプールってわけじゃないから溺れる可能性は十分あるわけし。もっと水かさが上がったらやってもいいけど、それでも舟とか用意する方が利口だと思うよ」

「舟かー」

九は目をそらして呟く。

「舟に乗って山に行く」

「山に行ってどうするの?」

それは考えてなかったけど。

「救助されるために、狼煙を上げる?」

「ここでなにかするよりそっちの方が危険だよ」

「ずっと屋上にいるつもり?」

 昼も、夜も?

「いなかったらたき火出来ないよ」

 それは考えついてなかった。

「でもそれはいやだ」

「じゃあ僕一人でやる」

「いいけど。その前に火種もないんでしょ?」

 九は顎だけかすかに縦に動かす。

「じゃあ無理じゃん」

 一階上の木々はずうっとざわついてる。

突然九がその場でぐるり、と回る。それでも僕はたき火がしたいの、って。そのままの勢いでこっちに軽くジャンプし、僕の正面に着地する。差し向かいになった。

「ああ、下に紙屑ならあったと思うけど」

 九が言う。

「そんなの風強いから消えちゃうよ。ねえ、このまま今日は帰ろう? 日中にやれば」

「なんかほかに方法ないの」

「あるかもしれないけど、他にやるべきことがない?」

「なに?」

「食糧と水の確保」

 ごねてるならそっちが先だ。

「それ、なんとかならない?」

「九、持ってるの?」

「持ってないけど」

「じゃあ知ってるの」

「知らないけど。勘」

「僕はなにか食べたい」

「耐えられない?」

「耐えられない」

 僕ははしごを見つけた方向を当てずっぽうで指す。

 あの倉庫の中にはきっとない。

「あそこから出よ」

「穴開いてたよ?」

「ほかにどうしようもなくない?」

 九は僕に目を合わせる。

 僕はHELPをまたいで銀色のドアの方へ。

階段を降りる。九が後ろからついてくる。

降り切ると、九が無理矢理先頭に出る。

そのまま進む。淡いピンクと鼠色と緑。縫うよに歩いてはしごとドアの壁の前。

ドアの前で九が先頭を譲って、僕はドアノブに手を掛ける。

一歩足を踏み入れる。なにも見えない。ここは危険。九がそう言ってた。ドアを全開にする。倉庫の照明が高くて光があまり入らない。光。穴。光が部屋の床から漏れ込んでる。外へなにか出て行ってる。その手前に、柵?一つ形を掴むと、一斉に部屋の内部が捉えられる。ふわわわ、と音を立てて様子が飲み込める。ここはひどく圧迫感のある小さな部屋だ。目の前の床に穴が空いてて、光がそこから。窓はなく床自体もほとんどない。穴は柵が囲んでた。

「あれ」

「どこだろ、ここ」

 柵伝いに穴の逆側へ。そこだけ柵がない。九が先頭になる。その先には階段が出てってるのが分かる。またらせん階段。降りてく。でも手すりも支柱もない。アルミみたいな金属製。色味は変えてあって黄色じみてる。二本の金属棒のらせんが下に降りて行ってる。その間に踏板が、ところどころ渡してある。掴まる場所がまったくない。こわごわ進む。また九が前、僕がうしろだ。

 階段の先には部屋がある。一切家具がなくてただただ広い。床には赤い絨毯が敷いてある。そのど真ん中へ階段が降りてく。

 九は両腕をぴんと横に伸ばして我先にと降りてく。ばびゅん。飛行機みたい。

 部屋は壁の色までが派手な赤茶だ。趣味悪い。天井は、と上を見ても、階段の裏が邪魔になって分からない。身を乗り出す勇気はないよ。

窓があるのに気付く。部屋の一方がすべて窓だ。外が大きく見える。外はもう暗い。窓は部屋の端から端まで、天井ぎりぎりから床ぎりぎりまで。黒いゴムで小さなガラスを繋いでるみたい。海が見えるホテル、そんな売りだし文句? きっと昼間ならそんな眺めなはず。うすら見える景色からそう考える。

本当は川らしいけど。

いつ出られるんだろここから。

「なにかのホールかな」

「ホール? どこが」

「ここが。なんかみんなで集まって会合が開けそうじゃない? 眺めもいいし」

「ああ、そのホール」

 降り切る。らせん階段から離れて天井を見る。天井にも他の壁と同じように、金の糸で刺繍したような幾何学模様が並んでる。ど派手。そこにらせん階段が地面から脈絡なく生えて、天井に突き刺さってる。装飾過剰で酔い気味になる。

「ここに集める?」

 食糧を。水を。ここなら分かりやすい。

「どう探すの」

 九が言って、窓の方へと歩き出す。窓までがすごく遠い。なにに使うんだろ。五十人ぐらい入ってもゆとりがありそうなスペース。なんで真ん中にらせん階段。

 そんなことを部屋を見回しつつ考える。

九と目線が合って質問のことを思い出す。気まずさを一人抱える。

しばらく悩んで、ぽつりと口にする。

「とりあえずやっぱり川面ぎりぎりまで行ってもれなく回る?」

「むー、全部回るのより、もっと倉庫とか探してぱぱっと終わらせられないかな」

 九が即座に返してくる。

「倉庫、どこにあるの」

 九は迷って、上を指さす。

「さっきの所」

「なかったよ」

「なんで言えるの」

「探してたけど、なかったよ。あそこにいる間ずっと」

「あ、そゆこと」

 観音開きの大きな扉が目に入る。窓を破る以外の取るべき唯一の選択肢。

「とりあえず外に出よ?」

 そう言って僕は扉に向かう。

 ここに残っても意味がない。あの倉庫にはもう用ないし。外に出て廊下に進もう。扉までの長い道のりをずんずん歩く。らせん階段の位置が変わって自分が動いてることが初めて感じれる。この部屋はどこを見渡しても同じ模様が広がってるよに見えるよ。

 ドアの前に着く。

 横に平行に付いてる両の持ち手を引いて、開ける。重い。けど音もなく静かに。背中に九の気配。扉の反対側に手を移し、その上を滑らせドアの間をすり抜ける。九は閉まりかけた扉に引っ掛かって立ち止まる。なんとなく置いていきたい気分。

そのまま扉が閉じる。

「待って!僕の分まで開けといてよ!」

 声が扉の向こうから聞こえる。

 僕は廊下に出た。足元に明かりが並んでる。この時間からついてるんだ。確か昼間は消えてたはず。左右どちらにも老化はまっすぐ伸びてて、なぜか来たことのある気がする。雰囲気が似てるだけだよ。そう片付ける。

 廊下にはドアがちらほら並んでる。僕の目の前のこれ一つだけが、変。

 ここはどの階なんだろ。どこに行こうか。廊下を進んでは、戻る。九を待つ。ちょっとした悪戯へのリアクションはまだない。扉は沈黙してる。

 そのうち扉が開く。九は、いかにも、ぷんすか、って顔して出てきた。僕を見て、ちょっとそれがゆるんだよな、安堵が代わりに広がったよな表情をする。

九が口を少し開く。でもまだ掛ける言葉を探してる途中らしくて、その姿勢のまま止まる。寂しそうな、誰かからの慰めを待ってるよな甘い空気を発した。

「よかった。まだいた」

 やっと言う。

「そりゃいるよ」

「なんでこんなことしたの」

「ごめんね」

 会話が途切れる。廊下は静かだ。誰もいない。僕は、誰かを探してる?

「癖?」

九がそう口にする。僕はその言葉の真意が掴めない。

「なんで癖だと思ったの?」

 ときどき、変、この子。

「なんでもないよ」

「そう?」

 舟を探さないの?

 そうだった。僕は廊下を歩き出す。九がついてくる。

「かえり、倉庫がどこにあるか知ってるの」

 後ろから九の声。

「知らないよ」

 振り返らず答える。

「む?」

 九が急に立ち止まる。歩きながら後ろに視線をやると、僕を見つめてる。

 空気がうなった、よな。下でまた水が上がってきてるのだろか。

「どしたの」

 僕は立ち止まってる。

 九はなにも言わない。

「なに」

そう続けて言って、はたと思う。僕は今どこに行こうとしてたんだろ。

視線を九と逆の方へ。僕がさっきまで進んでた方。廊下の先は階段がある。

視線を戻す。九が僕を見つめてる。

 僕は頷いて、九の方へ一歩近づく。

 空気がまた、びりりと、うなる。

 九がふむ、って神妙に頷く。

「それで、どうしようか」

 僕が言う。

「倉庫を探すんでしょ」

「そうしたいみたいだけど」

「どこ行こうとしてたの」

 む。

「分からない」

 僕の顔をにらむ。

「分からないわけないでしょ」

「分からないものは分からないの」

 それはそう見えるだろうけど。

僕は下へ向かおうとしてたんだろか。

「倉庫を探すつもりだった?」

「ううん」

「分からない?」

「分からない」

「む、そう」

「倉庫を探すんでしょ? どこにあると九は思ってるの」

 すぐに話題を切り替える。あまり考えず、空気を変えるためだけにしゃべる。さっきまでの話題は出来れば続けたくなかった。あまり気にしたくなかった。

 この建物の中、誰か他に人がいる、って予感はどんどん強くなってる。

「む、そんなにいくつも倉庫はないと思う」

 だから考えずにどんどんとしゃべる。

「それにあったとしてももう沈んでる可能性けっこう高いし。むしろこんなに最上階に近くて、すんごく搬入のしづらそうな場所に倉庫があったことの方が不思議」

口に出して明確にした思考の断片ひとつひとつがまとまり形になってく。

九はなにか言いたげ。

でもうん。やっぱりそうだ。

「だから、食料のある倉庫が見つかる可能性が低いってことだし、下の部屋から順に降りてって、もれなく一部屋一部屋探すのが正解じゃない?」

 九は結局最後まで僕の話を聞く。

うん。ならちょっとだけ急がなきゃ。早くしないとそれだけ多く食糧が沈んでしまう。あんまり悪戯を仕掛けてる場合じゃなかったかも。

 九の口が開く。

「あそこに倉庫がある理由はヘリポートとかがすぐ横にあるからだよ」

 ヘリポート。どこに。そのはずだって話?

「多分他の壁にはシャッターがあって、そこから荷物を搬入してたんだと思う。倉庫かららせん階段でこんな所に出るのはちょっと予想してなかったけど。それに目をつぶれば納得出来る配置だよ」

 ちょっと感心する。でも。

「食糧はどこにあるの」

 すぐにこうやって納得の行く理由を挙げられるのはすごいと思うけど、でも九は肝心の質問に答えてない。

「ヘリポートの近く。探してみないと分からない」

「ヘリポートなんてあった?」

「ないとおかしい」

「それに倉庫がそんないくつもあるの?」

「探してみる価値はあると思うけど」

「じゃあ、ヘリポート見つけてその周りに倉庫探して、それでなかったらさっきのでいい?」

「むー、さっきのって水面ぎりぎりから上まで降りてくって作戦のことだよね?」

「うん」

 作戦って言葉がかなり浮いてるけど、まあ。

 九は眉を寄せて、顎に手を当てる。

「それでいいでしょ? 他に場所に心当たりがあるわけじゃないだろし」

 僕はそう説得する。廊下を戻る。早く倉庫を探しに行かなきゃ。

 九が慌てて追いかけてくる。ドアの前に着く。僕がドアを開けると、九が隙間を無理に通って先頭になる。部屋に入り、らせん階段をまっすぐ目指す。

「本当になかったの」

手すりのないらせん階段を、昇りなから九が言う。降りるときに比べればましだけど、昇るのもなかなかに怖い。九が階段を踏み外したら巻き添いだ。

「じゃ、別の倉庫探すのやめる?」

 最初の倉庫で木箱の中身漁る? 倉庫を探したいと言い出したのは君だよ九。別に僕は探したくない。

「そういうことじゃないけど」

 実際それで見つかりそうな気もする。でも、あそこは工業と機械の場所。生活の匂いがひとつもしない。きっとあそこにはない。

 小部屋に戻り、ドアを開け放つ。目の前に大きな棚の列。壁はピンクのM字で覆われてる。天井から吊り下がってる大きな電球が倉庫を照らす。

「明るい」

「こっち」

 そう言って九は僕を追い抜く。迷いなく進んでく。

 しゃべりながら進む。他愛のないことを。九の過去は深く聞かない。だから僕のことを話す。断片的に覚えてることを、ぽそり、ぽそりと、記憶を引きずり出すよに話す体で。九はふむふむ、って相槌を打って聞いてくれる。

途中で年の話になって、九が年下だって知る。やっぱり大人びた子供だった。敬語とかさん付けに直そうかって一応形だけ聞いてきたけど、多分、そんな気はまったくないんだよ。

しばらく歩くとまた壁の前に着く。Mの並んだ壁。これはなんなんだろ。

 その壁の真ん中、一つだけMが抜けてる。

 シャッターがそこにあった。

「ほら、言った通りでしょ。その外はヘリポートだよ」

 九がふふん、と鼻を鳴らす。

「このシャッターって、開けれるかな?」

 横にドアはない。故障したらどうするつもりだったんだろ。

 近付く。

 鍵穴が真ん中に一つある。開けるために指を引っ掛ける場所が二つ。色は灰色。特に落書きはされてなくて、ここだけ殺風景だ

「今の所ドアとか扉とかはなんでか分かんないけど全部開くし、ここも開けれるんじゃない?」

 九が雑に返す。

「かな」

 九としばらく見つめ合う。

 僕は九が開けてくれるのに期待する。相手は微動だにしない。

 緑の床、銀の棚を背に九が僕の方を見つめてくる。

負けて、シャッターに近付き手を伸ばす。指を引っ掛け、上へと引っ張る。ぴくりともしない。

「開かないよ」

 振り向く。九はぼさっと立ってる。

「頑張れー」

 視線に気付いて手を適当に振る。

「ねえ。分かんないんだけど」

「僕も分かんない」

 力が足りないんだろか。

「本当に非力なの」

「うん」

「じゃこれやってみて」

「物持ち上げる感覚ってよりは、動かすイメージ。最初にだけ、一気に力込めてみたらきっと動く」

 即答する。そこまで言えたら出来るじゃん。

「やらないの」

 九をじいっと見つめる。

 そっぽを向かれる。

「ねえ」

 聞こえない振り。

 これ以上言ったら危ない? そんな気配がしないわけじゃないけど。

 むー、とひとりごちて、しゃがむ。息をゆっくり吸う。力を一気にシャッターに。思いきり息を吐き、引っ張る。

がらがら。やった。僕は立ち上がる。

「あ」

 九の声。

僕は力をゆるめてて、シャッターは速度をみるみる落とし、膝下で一瞬止まる。

「離せ!」

 九が叫ぶ。シャッターが落ちてく。僕は引っ掛けてた指を引き外す。思うより閉まる速度が速くて巻き込まれかける。

 ぐわしゃああんっ! といくぶんか重たい音が響く。

反響し、やがて静かになる。

 どうしたの、九。僕は自分が危なかったことよりも、目の前の男の子の変調についていけない。後ろにいる九に顔を向ける。九は僕のことをさっきから見てたよに、ぴったりと目線を合わせる。

「ありがと」

 目を逸らして、ぼそぼそっと僕は言う。多分ほとんど聞こえてない。

「大丈夫だった?」

 頷く。

 九がなにか言い出す前に反転する。

 目の前に大きなシャッター。

次は上手くやる。

この向こうは本当にヘリポートなんだろか。

 しゃがむ。力を一気にシャッターに。そして上げ切るまで力をかけ続ける。

「ふっ」

 上がった。そのまま、持ち上げる。立ち上がっても力をかけ続ける。

 がらがらがらがら。金属のこすれる高く鈍い音。上がってく。そのうち、手が届かなくなって離す。シャッターはそのまま音を立てて鴨居に吸い込まれてった。

僕は九を見る。

「開いた」

 まったく驚いてない表情に僕は少し空回り。

「外見てみて?」

 言われた通り外を覗く。確かに屋上があった。空が青黒い。日が落ちたんだ。

 歩き出す。屋上は広くて、端がどこだかまだ分からない。フェンスがどの方向にも張られてないからだろ。振り返る。風が吹いて九も僕も飛ばされそうになる。目を開けると、九は後ろからついてきてる。その向こうに空。ちょっとだけ白い点が見えた気が。上を見上げる。あれ。見えない。目を戻す。気のせい? まだ星が見えるほどじゃないのか。ちぎれた雲が空に濃淡をつけてる。夜風が寒くてポケットに手を突っ込む。外はどんどん冷えてってる。

 しばらくそうして身を丸めて歩くと、緑色の線を越える。

 すぐにオレンジ色で書かれた巨大なHの文字が足元に現れた。本当にヘリポートだ。さっきの緑の線はこの文字を円形に囲うように引かれてるのか。でも。

「どこにあるの? 倉庫」

 僕らが来た方向以外は建物がない。視界は山と空と川で埋まってる。ここも多分昼ならここは見晴らしがいいだろ。倉庫があるよな気配はどこにもない。

「ないね」

ひとまず正面に向かって歩き、縁から下を覗き込む。真下、遠くに川が見える。右と左も同じだった。

「うん。約束通り下へ、だね」

「待って」

「む?」

「最初の倉庫を探したい」

「それあとでも出来ない?」

 こっちは今にも沈みそうなの。あんまり攻めすぎて九が怖い頃に戻っても困るけど、ここは譲れない。

「そうだけど」

「それにきっとあそこにはないよ」

 九が首を傾げる。

「なんでそんなこと言えるの?」

「生活感がないもの」

 風が強く吹く。びびゅう。僕はちょうど振り返ろうとしてた所で、回りすぎてバランスを崩す。こける。

「大丈夫?」

 打ち付けた所を撫でながら立ち上がる。

うん。びっくりした。

 九の方を見る。

 倉庫の外装と、その屋上にプレハブ小屋。さらに向こうに壁がある。あそこにはどう行くんだろ。

「手早く終わるならいいけど、手分けとかし、」

「手分けは駄目」

 九がかぶせて言う。出し抜け。

「なんで」

 突然なに。

「なんでも」

「じゃ今すぐ僕は下に行く」

「えー」

 間延びした声と、九が機敏に後ろに下がる。内ポケットに手。

 僕は隠れる場所を探す。突進?

 走り出しか、

 九が漁ったままそこで止まってる。

「そうだったね。いいよ、行こ?」

 諦めたようにそう言う。

 僕は胸をなでおろす。息を大きく吐く。

「うん、行こ」


9


「やっと着いた」

 ホール、観音開きの扉、廊下から右に曲がり、カーブする廊下を進み、なにかの料理の匂いがまだこもってる暗い厨房スペースの中のごちゃごちゃとした道をさらに進んで左に曲がり、やっと階段の所に着く。迷子になんどもなった。きっとこれも近道じゃないんだよ。各階に厨房はあるんだろか。上から下まで全部を繋いでる階段はこれ一つなんだろか。他にありそうな気もするけど。

「僕らって、いつ眠るの」

 振り返る。九の顔が下半分だけ明るくなってる。廊下のぼやっとした灯りで照らされてる。

「いつでもいいけど」

そう言いながら階段を進み出す。降りてく。

九が不満を垂れ流しながらついてくる。ああ、うっとうしい。少し黙って。

「もう眠いよ」

 わざわざ見えるよに僕の近くまで来て、立ち止まってまぶたをこする。

「ちゃんと起きてて」

 一応、相手にする。

 泥水に飲まれたら、助からないから。それだけは。

「それさ、どうするの?」

 九が突然しっかりした表情に戻る。

「なにが?」

「川面の一階上で作業してて、水面が上がってきちゃったらどう逃げるの?」

「川面にそんな近付くつもりないよ、僕」

「そうだったの?」

「危ないから」

 きっとこれで安全なはず。泥水は怖い。

「でもそれでも危なくない?」

「だから気を付けようねって話」

「探すものって食料と水、だけ?」

 目をこすりながら九が言う。

「ラジオとかも探すつもり」

 九を信用していいんだろか。あれは川なんだろか。磯の香りはしないけど、あれは海にしか見えない。正しい情報が欲しい。

「よし。行きましょー」

 九が僕を押しのけて前に出る。

 階段を降りてく。踊り場でターン。十数階分を延々降りてく。

 一階階段を降りるたび廊下がちらりと見える。衣装部屋のドアはどこでも閉じてる。

 また僕は僕の思い出話をする。仲の良かった友達のこと。好きだったお菓子のこと。秘密基地なんてものを女の子なのに作ってたこと。そんな他愛のないこと。なんでそんなことが出来たんだろって話しながら僕は自分を不思議がる。

 九は聞き流してるのか、あまり頷かなくなった。でも催促はしてくる僕がいつか記憶を取り戻せるよに今は話させてる、ってわけでもないみたいだけど。

きっと退屈で仕方がないんだろ。

あ、ドアが開いてる。何度目の廊下。そこで見かける。きっと最初の衣装部屋。ストーブは上? あっけなく通り過ぎる。

「どうせ戻るなら最初から残ってればよかった」

 ひとりごちる。踊り場でターンする。

 でもここは危なかったかもしれないよ?

「いいじゃん。どういう状況か分かったでしょ?」

聞こえてたみたいだ。

「知ってたの?」

 あ。距離感を間違えた。口が滑った。言ってから後悔する。

 僕に会うまでなにしてたの? その類。

「いいや?」

 九は止まらず歩いてく。踊り場でターンする。特に地雷を踏んだという感じはしない。僕は立ち止まってる。動揺しすぎだよ。

九の背中が揺れる。ぼやっとした灯りの中、そこだけが暗い。

もしかしてなにを言っても平気なのかな。

「ねえ、九」

「ん?」

 九が階段途中で立ち止まった。僕は踊り場にいる。

 手すりにちょこんと乗せてる手が子ども。目がきょとんとしてる。話しかけるときはいつもこの目。

 小さな男の子だ。

「今から言うこと、聞いてもいい?」

「なに?」

 九は今、小さな男の子だ。

 僕は少し首を下げて、宙に息を吹きかける。

「僕に会うまで、なにしてたの、って聞いていい?」

 九がくっと、反応する。僕から目を逸らし、固まる。

まずかった、かな。

廊下は静まり返ってる。仕掛ける場所を間違えたな、って頭の隅に浮かぶ。

 九は僕に目を合わせ、横に首を傾げる。そのまま信じられないくらいの角度まで首を傾けながら言う。

「なんで?」

「いやごめんごめんなにも聞かなかったことにして」

 あわてて口早になかったことにする。無理だ。視線を階段上へ。

「なにしてたって、探検だよ」

 ぽんと、軽く九がそう呟き、階段を降りてく。

「探検?」

 追う。

「そ、探検」

「どこの?」

「この街」

 九が階段を降りてく。僕はそれについてく。

 踊り場の明かりの一つが切れかけてて、瞬いてじじじ…、と羽虫のような音を立ててる。静かだ、本当に。それ以外はなにも聞こえない。踊り場でターンする。その横を通り過ぎる。

僕らが降りてくうちにその音も遠ざかって聞こえなくなる。ここは無音。僕らはどちらともなく足をひそめる。その沈黙が破りづらくて、会話を繋ぐ言葉が口元で引っかかる。

僕の書いた『ストーブここ!』の紙はもう行き過ぎたのかな。とっくに行き過ぎてるよ。さっき衣装部屋あったじゃん。

ねえ、水面がどれくらい上がってるってメモ帳使えばわかるんじゃない。一階ごとに切れ端を撒けば。ここには僕らしかいないわけだし。

「どうしたの? かえり」

先を行く九が踊り場でターンして、立ち止まって表情がちらりと見える。

心配してくれてる、憐れんでくれてる目。闇の中で、僕を見てる。うるんでる。

「ううん、ちょっと照明が切れかけてるのが気になっただけ」

 口に出す。その勢いのまま続ける。

「そうそう、探検って、どんなことするの?」

「どんなことって、面白そうな建物探して、見つけて、入ってみて、どういう構造になってるのか探検して、そこに人がいたら走って逃げるか喋ってみるかして、満足したら出てく。その繰り返し」

「へえ。僕と会ったのもそんなことしてる真っ最中だったってこと?」

「そうそう」

 また踊り場でターン。僕は九の話を聞きながら切れ端を床の端の方に落とす。明日の朝何枚拾えるかで、どれくらい上がってきてるか分かる、はず。

 どこへどこまで行ってもこの建物に他の人はいないのかな。降りてく。

それにしても探検してる間に川が氾濫するなんてついてないね。

「なんで逃げなかったの?」

「逃げる…?」

 九は前を向いてしか喋らなくて、小さくぼそぼそと口にされるとほとんど聞こえない。おかげでばれずに撒けてるわけだけど。

「川の水が来るって知ってたんでしょ。逃げればよかったのに」

 九は突然黙る。

 空気が固まる。刺さるよに引っかかって動きづらい。

踊り場でターンする。いい加減目が回る。九は黙ったまま。

 も一つ、踊り場でターンする。

 まだ空気は固まったままだ。

僕はついてく。まだ黙ってる。話してはいけない雰囲気をひりひり感じて、僕は喋らない。

九は僕に背を向けたままだ。さっきからずっと顔を見てない。踊り場でもわざと顔を背けるし。どうしたんだろ。

「違うよ、僕はかえりを探してたの」

 九がやっと話す。

「僕を?」

「そう。かえりを」

「なんで」

 こんな知り合いが僕にいただろか。

 そのときちょうど川面に着いた。水は落ち着いてる。小さな波一つない。

「この三つ上?」

話を流される。

「そう」

 僕は最後の紙切れを踊り場の隅、闇に溶けるよに落とす。

「平気そうなのに」

「怖いから、ほら、さっさと行くよ」

 水面が、揺れた。

「ほら、早く」

今度は、気のせいじゃない。水面がじわじわと上がってる。

逃げなきゃ。

 一つ、二つ、三つ。九の背中を押しながら駆け昇る。外はもう真っ暗だ。

「着いた。ここで探すの?」

 見慣れた雰囲気。やっぱりそのドアを開けたら衣装部屋なんだろか。

「そのつもり」

 手早くやらないと。手分けは出来ないよ。

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