3、『三国志』魏編
書庫裏の好きなジャンル。それは『三国志』です。「演義」も「正史」も好き。若い頃に買った筑摩書房のちくま学芸文庫『正史 三国志』全八巻が宝物で、日本の三国志小説のうち、「演義」ベースなら吉川英治の『三国志』、「正史」ベースなら宮城谷昌光の『三国志』が好き。ゲームなら「真・三國無双」シリーズが一番のお気に入り。
最推しは魏の曹操に仕えた郭嘉です。最初は袁紹に仕えていた彼ですが、あまり重用はされなかったようですぐに袁紹の元を去り、荀彧が曹操に彼を推挙したことから、曹操に仕えます。
その後、彼は呂布との戦いや、袁紹との決戦前に存在感を示しました。
袁家残党が烏桓に逃げ込んだ時、当時の曹操にとって脅威となり得る勢力のうち、劉表は動かず、孫策は早くに命を落とすと予見し、遠征中に敵が攻めて来る心配はない、と曹操の烏桓遠征を後押ししたその炯眼はただ者ではありません。
郭嘉といえば、「才能はあるが不品行」という評判。荀彧の娘婿である陳羣がしばしば彼を弾劾しますが、曹操は郭嘉の才能を愛していたので罰することはなく、一方で陳羣のことも尊重していたという話は有名ですよね。
いつも気になるのですが「不品行」とは一体、何を仕出かしたのでしょうか。「真・三國無双」シリーズでは分かりやすく、酒と美女と華やかな宴を好む人物として描かれていますが、元々丈夫ではなかったらしいのに、そんなに不摂生をしていたら、享年三十八歳どころか、もっと早くに亡くなりそうなものですよね。
宮城谷昌光の『三国志』では、官吏でありながら、吏務(役人としての仕事)らしい吏務を行ったことのない人物とされています。この小説に登場する曹操は、彼の能力を伸び伸びと発揮させるためには、型に嵌った職務に縛り付けない方が良いと考えていたようです。つまり、一年のほとんどが有給休暇。……ちょっと羨ましいような。
……まさか、その優秀な頭脳の裏で実は連続殺人事件を起こしていた、ということはないですよね?
幾ら人命が軽く扱われた時代で、曹操が登用する人物の道徳面よりも才能を重視していたとしても、それは罰しないわけにはいかないでしょうし。
ともあれ、曹操がその「不行跡」に目を瞑ったくらいですから、優秀な人物だったのは確かです。
「正史」には容姿について特にこれといった記載がないので、特に醜くもなければ殊更美しい訳でもなかったのだろうと思います。しかし、美貌と絶対音感の持ち主だったという周瑜よりも、何故か郭嘉の方に心惹かれてしまうのです。
さて、郭嘉の主君たる曹操ですが、「演義」での彼はこれでもかと悪役ぶりを発揮する一方、郭嘉が若くして亡くなったことを嘆き、郭嘉の遺した幼子の面倒を見る、という一面も持っています。
また、「正史」の方では、側室たちの連れ子である何晏と秦朗を可愛がっていたことでも有名ですよね。『世説新語』には、特に才能ある何晏のことは曹家の子にしたいと望むほど愛していたけれど、何晏が何家の人間として生きることを望んでいたので断念したという逸話もあります。
勿論、唯才主義を掲げる曹操のことですから、家族への愛情が深いというよりも、優秀な人材を確保したいという思いが強かったのだろうとは思います。或いは、自分の側室の子という出処の確かな男子を自分の家で大事に育てれば、いずれ間違いのない娘婿候補になるだろうという目論見もあったのかもしれません。
しかし、連れ子を虐待するのではなく愛したというところに彼の器の大きさを感じてしまうのは、彼の生きた時代から一八〇〇年経った今でも、配偶者や恋人の子どもを虐待する人々が起こした事件に関する報道が絶えないからでしょうか。
蜀や呉にも語りたい人物はまだまだいますし、魏のことも語り尽くせませんが、今回はここまでといたします。




