11
翌日、戦闘詳報を出すと631は全員、生化学部送りになった。リグは前回の結果との比較、他の三人はリグからの影響がないか確認するための検査だ。もちろんフルコース。一日半かけたあと、やっと開放されたと思った631を待っていたのは新戦術に関するありとあらゆる出来事だった。
まず、GMSは戦術コンのアップデート機能を解放した。アップデートと言っても戦術コンへの機能追加ではなく、並列化機能の解放だ。これは誰もが驚いたが、リグとドクターだけは、そういった機能はあるだろうと予想していた。戦術コンが記憶した行動パターンを移植するのは単に情報の読み取りと組み込みで済むはずで、技術的に難しいこととは思えなかったからだ。この二人はその機能をいまさら解放したことに驚いたのだった。
631全員の戦術コンから戦闘情報が取り出され、行動パターンの分析と、普及のためのちょっとした調整が加わってから全兵士の戦術コンに反映された。これにはリグの五体連続撃破と、タイル型侵入個体の対応も含まれている。
そして、相次ぐ説明会。軍事層のあらゆる部署が631を呼び出しては様々な質問を浴びせた。事前に相談してあった兵器開発室に行かずに済んだのは幸運だった。行けば、鬱憤の溜まりに溜まったリグたちはドクターに八つ当たりしただろうから。
その合間にもリグはなんとか時間を作り、展望室へ何度か足を運んだ。しかし、一度としてユキには会えなかった。よっぽど通信しようかと思ったが、打ち合わせせずにいつもの時間に待ち合わせるのが暗黙のルールのような気がして、それはできなかった。ユキも忙しいのだろう、と勝手に納得するしかなかった。
そうしているうちに一週間が過ぎ、フェムトが来襲した。対空迎撃部隊は631抜きで戦闘を行い、アップデートされた戦術コンによって見事新戦術を成功させた。降下できた侵入個体は十数体。地上の戦闘は短時間で終わった。死傷者はニ名。通常の半数以下だ。
この結果を踏まえて、GMSと戦略部は対空:地上の戦力比を五〇:五〇から七〇:三〇に変更した。これで降下する侵入個体は十体以下になるはずであり、それを三十名が待ち受けるのである。死傷率低下どころか、戦闘自体あっという間に終わるだろう。
また、地上戦闘の戦域が縮小されることで、都市の地表部は破壊されるものの通路や隔壁の破損が減り、工廠層はその生産力を都市機能の改善に向けることができるようになった。防戦一方だった都市は、少しずつ前向きに歩みだしたのである。
新戦術が普及したその日の戦闘詳報を書き終えたリグに、やっと安息の時が訪れた。今回631は地上迎撃任務を命じられたが、地上戦に限れば戦闘時間が短くなったので書くことは少ない。実際、リグは一発も撃たなかった。到着したときにはWFと他の隊が片付けていた。
戦闘詳報をユウに渡したリグはまた展望室へ向かっていた。ユキに会えたら嬉しいが、いないならそれはそれで仕方がないと思えた。放心して地表の景色を眺めるのもそう悪くない。
だから展望室で人影を見つけたとき、リグは逆に驚いた。
夕焼けに染められたベンチに彼女は座っていた。
ほっとした直後に、リグはこれが異常事態だということに気づく。ユキは気配に鋭い。いつもならリグが展望室に足を踏み入れたときにはもう振り向いているはずだ。
気づいていないのか。まさか、無視か。
嫌な緊張感が喉元にせり上がってくる。リグは慎重に足を運んだ。
すぐ側までいっても、ユキは反応しない。景色を眺めているだけだ。
これは相当まずいぞ、とリグの緊張が強くなる。
「ユキ」
声をかけてやっとユキは振り向いた。ゆっくりと上げたその顔はどこか気だるそうだった。
「……お前か」
それだけ言うと、ユキは視線を戻した。
どうやら無視されたわけではなかったらしい。しかし、この反応の薄さは明らかにおかしい。
様子を見るため、リグはあえてユキの隣に座る。
反応なし。
「どうしたんだ」
ユキの表情がわずかに暗くなる。
すでにリグには確信があったが、最終確認のつもりでユキの手を握る。ユキは握られた手をちらりと見たっきりだった。
「どうした、おかしいぞ。君は明らかに不調の徴候を示している」
不安と苛立ちがリグの中でないまぜになる。いままで互いに素直に話してこれた。なぜ今日はそうじゃないんだろう。
ユキは何度かリグの顔を見てなにか言いかけては、そのたびに口をつぐんだ。
「言いにくい。特にお前には」
「わかった、とにかく治療室……俺には?」
ユキは物憂げにうなずく。
「お前たちは大戦果を上げた」
「飛行船への新戦術のことか。あれは全小隊でやったことだ」
「ごまかすな。私の言いたいことはわかっているだろう。あの戦術を考えたのはお前たちだ」
今度はリグが黙る番だった。どこかで、いつかこうなることを恐れていたことにリグは気づいた。戦術こそ自分とユキをつなぐものだ。それをユキが疎ましく思ったとき、この関係はどうなるのだろう。
ユキがぽつぽつと語りだす。
「私は、お前たちが新戦術を開発している二週間のあいだ何も知らず、たまにここに来ては待っていた。お前は来なかった。何をしているんだと腹がたった。また来ると言ったくせに。通信するのも癪だったから、私は意地になって待ち続けることに決めた。でも、その間にお前たちは……」
ふいに大粒の涙がユキの瞳からこぼれ落ちる。ユキはそれを拭って続けた。
「私たちは戦術コンがアップデートされる前にお前たちの戦闘記録を手に入れた。そこでお前たちの戦術を再現できるか試したんだ。効果が大きすぎて、なにか特別な訓練や性能が必要なんだろうと思った。でも……そんなことはなかった。私たちはさほど苦労せずに再現できてしまった」
ユキは両手を強く握りしめる。
「お前たちは性能に頼らず、知恵と工夫でそれを成し遂げたんだ。どうして私たちにはそれができなかったんだろう。衝撃だった。結果、お前たちは幾人もの兵士を救い、防戦一方だったこの都市に余裕を与えつつある。それに引き換え、私たちはどうだ。これだけの性能を持ちながら、何をした? この性能に何の意味があるんだ?」
「ユキ、あの戦術は全小隊でやらなきゃいけないことだった。だから性能を求めなかった。君たちでなければできない、高精度を要する戦術だってあるはずだ」
「それで慰めているつもりか。性能が高いだけの、たいして役に立たない私たちを」
「君たちは都市防衛の要じゃないか」
「お前が来るまではな」
その言葉を発した瞬間、ユキはぼろぼろと泣き出す。自分の腕を掴んで震えた。
「どうしてお前なんだ。お前が思いつくんだ。お前と話したいだけなのに。私はただ、お前と二人で、いつものように楽しく話したい。それだけなのに、自信が持てなくて、惨めで、お前の顔もまともに見れない。苦しくて、悔しくて……情けない。こんな私は嫌いだ。お前だって嫌いだろう」
「君を嫌いになんかならない。君はいま混乱しているだけだ。俺はただ、君にも、小隊のみんなにも死んでほしくなかっただけなんだ。君たちを貶めるつもりなんかない」
わかっている、とユキは答えた。
「でも、この気持ちは収まらない。お前に守ってもらう価値なんかない。お前が大事にしている思い出とやらの価値すら、私にはわからない」
リグはユキの両肩を抑えると、自分に向き直らせた。
「聞いてくれ。戦術開発の能力は誰にでもある。今回のだって、631のみんなで考えた。あの三人は、創意工夫の能力を取り戻しつつある。それでいくつもの問題を解決してきた。実際に見たから間違いない。誰にでもあるんだよ。それを育てる時間が必要なだけなんだ。WFだってそうだ。でもそれには、死んでもいいなんて考えてはいけない。死にたくないから必死になって考えるんだ。思い出がその源なんだ。君はさっきなんて言った? 楽しく話したいって言ってくれたじゃないか。楽しく話した思い出があるから言えることだ。君にも思い出があるんだよ。その価値も、本当はもう知っている。その証拠に、いまの君は死にたくないと思っているはずだ。また楽しく話すために」
泣き顔のユキは目をしばたたかせた。それでまた涙がこぼれる。
その涙を拭いもせずにじっと考え込んだ。
「……死にたくない。確かに、いまの私はそう思っている」
二人の視線が交錯する。リグはなぜか安心してユキから手を離した。彼女の中で荒れ狂っていた嵐は過ぎ去りつつある。確かな根拠もなしに、しかしリグはそう感じたのだった。
ユキの目が細められる。その表情から悲壮さが消え、湧き上がるものをこらえるかのように唇を引き結んだ。
「借りるぞ」
ぶっきらぼうにそう言うなり、ユキはリグの肩に頭をのせた。そのつややかな髪から甘い匂いがして、リグの鼓動が早くなる。
「その、こうしてくれるのは嬉しいんだけど……肩、ごつごつして嫌じゃないか?」
「なかなか悪くない。落ち着く。いや、だんだんそわそわしてきたな。でも嫌な感じじゃない。いつまででもこうしていられそうだ」
リグはそっとユキの体を抱き寄せた。その手にユキは自分の手を重ねる。
「……不思議だ。他の男にはこうしたいと思わなかったのに」
思われてたまるか、とリグは胸の中でつぶやく。
そうして二人は寄り添っていた。互いの体温と、夕暮れと広がりはじめた星空だけの世界だった。
夢を見ているかのような口調でユキがつぶやいた。
「冷凍保存前の私とお前は、仲が良かったのか」
「わからない。俺が覚えているのは顔とユキセンパイという呼び名だけだ。それしか覚えてないってことは、それだけ大切だったんだろう」
「いまの私はどうだ?」
「好きだ」
リグの即答に微笑みながら、ユキは目を閉じる。
「私は、いまのこの気持ちが好きと呼ばれるものかわからない。性能への自信が、WFとしての誇りが、戦術への興味が……いろいろ積み重なって、その気持を覆い隠してしまっている」
「問題が一気に発生したからだ。時間が必要なんだ。さっきも言ったが、戦術開発の心配はない。あの三人ができたんだから、君たちにだってできる」
ユキはくすくすと笑った。
「お前はそう言うがな。あの三人は優秀だぞ」
「あいつらを知っているのか」
「ああ。ユウはいまの私が生まれるより前、つまり先代のユキが生きていた頃からの古参だ。穏やかで慎重だが、いったん決断を下すと行動が早い。よく小隊長や副長をやっていた」
「実感してるよ」
「ガスとテオも優秀だ。WFはすべての性能が基準をクリアしなければいけないわけではない。総合的に判断されるから、性能の偏りはある。あの二人の得意分野なら、WFの隊員だって劣る者は何人かいる」
そう言うとユキはリグの肩に顔を擦り付けながら、甘えるように叱りつけた。
「自分の部下を悪く言うのはよくないぞ」
「小隊長にならなくてすむ身分なのに、よく言うよ」
「何だ、知っていたのか」
「テオから聞いた。ユウには、そんな事も知らないのかと呆れられたが」
ユキは目を開けて、少し考えた。
「そういえば、WFもそういう話をするようになった」
「有名人の話か」
「違う。いや、違くはないか。お前の話もしているしな。なんというか……雑談だ。作戦の感想とか、訓練のときの互いの結果とか。そうだ、お前の戦術を研究しようとして、みんなであれこれ言うようになってからだ」
「WFにも思い出ができているんだ」
「そうだな。戦術コンが絶対ではないとわかったからだ。なら、お前のいうとおり戦術開発もいつかは……」
ユキはリグの肩に頭を乗せたまま、空を見上げた。その濃度を増す闇に瞬く星々。
「……あのときお前が声をかけてくれなければ、私は戦術コンの言うまま戦い、死んだはずだ。それはそれで悪くないのだろうが、私はいまのほうがいい」
リグは何も言わず、重なったユキの手を強く握り返した。つなぎとめるように。
ふと、ユキは尋ねる。
「リグ。他の女にもこういうことをするのか」
「しない」
「よかった。もししていたら、お前をボコボコにしてからその女と決闘しなくてはならなかった」
本当に良かった、とリグは思った。ユキに勝てるはずがない。性能でも、気持ちの意味でも。
ユキはリグの肩から頭を離す。手を重ねたまま立ち上がると、名残惜しそうにそれを離した。
「打ち合わせか」
「そんなところだ。もっとこうしていたいが、仕方がない」
ユキは顎に手を当てて自分の気持を探った。
「私はお前が好きだと思う。確信はないから、他の問題を解決しながら調べなくてはいけない」
「他の問題が片付いてからでいい」
「そうはいかない。他の女に取られたくない」
他の女とやらの心当たりがなかったが、ユキが独占欲を示したことが内心、リグは嬉しい。
「なんなら、書籍データを漁って好きの定義を調べておこうか」
「必要ない。一緒に居続ければ、きっとわかる」
そう言い放ってユキは展望室を去った。
その姿を見送ったリグは大きな作戦を終えたような疲労と、そして安堵を覚えた。ユキは立ち直ってくれた。そして……この関係も、うまくいきそうだ。
上機嫌になったリグも立ち上がり、隊舎への通路を歩きはじめた。いまなら夕食のチョコレートキューブを三人に分けてやってもいいくらいだ。
途中でユウが通路の壁に背を預けて目を閉じていた。通信かなにかしているのだろうが、何もこんなところでやらなくても良さそうなものだ。
「こんなところでどうしたんだ、ユウ」
不思議そうなリグにユウは目を開けた。
「ああ、リグ。終わったんだ」
「なにが?」
「なにって、その……ユキとの話さ」
リグは自分の顔が熱くなったのがわかった。
「君、前に装備申請を出したことを覚えてる? それが通って、なにか説明があるとかで、君と僕が呼び出しを受けたんだ。それで君を探して展望室にいったら、まあ、その、声をかけづらい状況だったから、ここで待ってたんだ。ユキにも見つからないほうがいいと思ってね」
リグは恥ずかしさに震えながら、しかし言うべきことは言わねばならなかった。
「その、お気遣いありがとう」
「どういたしまして。じゃあ行こうか」
歩き出したユウの後を追ってリグは頬に手を当てる。火照った頬に手が気持ちいい。
「ユキとうまくいきそう?」
また頬が熱くなり、手まで温まった。
「……彼女なりの問題を抱えていたようだけど、立ち直ってくれたみたいだ」
「まあ、でなきゃあんな体勢にならないよね」
くつくつと笑うユウをリグは恨めしそうに睨む。話題を変える必要を感じた。
「装備申請って、ポインターの予備弾倉だろう。何の説明が必要だっていうんだ」
「予備弾倉の扱いじゃないかな。なにしろ動作原理どころか、エネルギー源まで不明な兵器だし」
「そんなにうさん臭い兵器だったのか」
「ちゃんと動けばいいから、気にしてる人は少ないと思うよ」
「そんなものベルトに下げてて、爆発したりしないだろうな」
「それならそれで、君は便利に思って侵入個体に放り投げるんでしょ。わかってるよ」
リグは黙った。この発想。たしかに創意工夫の能力が芽生えている。ユキに言ったことは間違いではなかったわけだ。
しかしどこか釈然としないリグなのだった。




