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【完結】「お前の代わりはいくらでもいる」と婚約破棄された令嬢ですが、竜人公爵様に唯一無二の番として溺愛されています  作者: フトダマノミコト


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第6話 欲しいもの

 城での日々は、驚くほど穏やかに過ぎていった。


 朝はテアさんに起こしてもらい、カイゼル様と一緒に朝食をとる。


 カイゼル様は、私が食べるのをじっと見ているだけで、ほとんど自分は口をつけない。


「お食べにならないのですか」


「竜人は、人間ほど食べなくても平気だ。それより、口に合うか」


「はい、とても美味しいです」


「そうか」


 それだけの会話なのに、カイゼル様はどこか満足そうだった。


 昼間は、使節団の報告や領地の仕事で忙しいらしく、ほとんど姿を見ない。


 夕方になると必ず部屋に顔を出して、決まって同じことを聞いた。


「何か、欲しいものはないか」


 私はそのたびに、首を横に振った。


「いいえ。もう十分すぎるほど、いただいています」


 カイゼル様は、そのたびに少しだけ寂しそうな顔をした。


(どうして、あんな顔をなさるのかしら)


 本当に、欲しいものなんて思いつかなかった。


 いいえ、正確に言えば――欲しいものを考えるということが、どういうことなのか分からなかった。


 ローエン家では、欲しいものを口にすれば、母に「わがままを言わないで」と叱られた。


 それでも何かを欲しがれば、たいていはコレットのものになった。


 いつしか私は、何かを欲しいと思うこと自体をやめていた。





 城に来て五日目の朝。


 部屋の扉が、ノックもなく勢いよく開いた。


「あなたが兄様の番ね!」


 飛びこんできたのは、青い髪をした小柄な少女だった。


 年の頃は、私より少し下くらいに見える。


 大きな瞳は、カイゼル様と同じ金色だった。


「わあ、本当に人間なのね! 手、見せて。冷たいって本当?」


「え、あの……」


「ルシエラ様!」


 後ろから、テアさんが慌てて追いかけてきた。


「マルグリット様、こちらは閣下の妹君のルシエラ様でございます。ルシエラ様、せめてご挨拶を先に……」


「あ、そうだった。ルシエラ・グラナートよ。兄様とは百八十歳離れてるけど、れっきとした妹なの。よろしくね、お義姉様!」


「お、お義姉様……」


 ルシエラ様は、私の両手を取ってぶんぶんと振った。


 そして、ぱっと目を輝かせた。


「本当に冷たい! 気持ちいい! これは兄様が離したがらないわけだわ」


 勢いに圧倒されながらも、私は思わず笑ってしまった。


 こんなふうに、屈託なく話しかけられたのは、いつ以来だろう。





 ルシエラ様は、その日から毎日のように私の部屋へ遊びに来るようになった。


 竜人の文化について、何でも教えてくれた。


「番っていうのはね、一生にひとりだけなの。見つけられないまま一生を終える竜も、たくさんいるのよ」


「一生に、ひとり……」


「だから兄様は、本当に運がよかったの。二百年も探して、やっと見つけたんだもの」


 ルシエラ様は、自分の喉もとを指さした。


 そこには、ほかの鱗とは逆向きに生えた、ひときわ鮮やかな青い鱗が一枚あった。


「これが逆鱗。竜にとって一番大事で、一番弱い場所なの。番以外の誰かに触られたら、怒りで我を忘れちゃうくらい」


「番なら、触ってもいいのですか」


「番だけが、触っていいの。逆鱗に触らせるっていうのは、竜にとって『あなたに命を預けます』っていう意味なのよ」


 ルシエラ様は、いたずらっぽく笑った。


「兄様、もう触らせてくれた?」


「い、いいえ!」


 顔が熱くなった私を見て、ルシエラ様はけらけらと笑った。





 ある日の午後、ルシエラ様に連れられて、城の書庫を見せてもらった。


 天井まで届く棚に、古い本がぎっしりと並んでいる。


 私は思わず、一冊の本に手を伸ばしていた。


『竜人国ドラヴェールの歴史と風習』と書かれた、分厚い本だった。


 ページをめくると、竜人の祭りや、番の契りや、巣作りのことが、美しい挿絵と一緒に書かれていた。


(もっと、知りたい)


 気づけば、夢中になって読みふけっていた。


 ふと顔を上げると、ルシエラ様がにやにやしながら私を見ていた。


「お義姉様、それ、欲しいんでしょう」


「え……」


「顔に書いてあるわ。だったら、兄様に言ってごらんなさいよ」


「でも、そんなわがままを……」


「わがままじゃないわ。兄様はね、お義姉様に何かをねだってもらえるのを、ずっと待ってるのよ」





 その夜。


 いつものように部屋を訪れたカイゼル様が、いつものように聞いた。


「何か、欲しいものはないか」


 私は、ぎゅっと両手を握りしめた。


 心臓が、どきどきとうるさい。


(言っても、いいのかしら)


 叱られるかもしれない。呆れられるかもしれない。


 それでも、ルシエラ様の言葉を信じてみたかった。


「……本が、欲しいです」


「本?」


「竜人国のことを、もっと知りたいのです。書庫で読んだ本が、とても面白くて……あの、一冊だけでいいので」


 言い終わった瞬間、カイゼル様の金色の瞳が、大きく見開かれた。


 そして、ゆっくりと、本当に嬉しそうに微笑んだ。


 初めて見る、カイゼル様の笑顔だった。


「分かった」


 次の日の朝。


 私の部屋の隣にあった空き部屋が、まるごと書庫に作り変えられていた。


 城じゅうの本と、城下の書店から買い集めた本が、天井までびっしりと並んでいる。


「……一冊だけで、いいと申し上げたのに」


 呆然とつぶやく私の後ろで、ルシエラ様がお腹を抱えて笑っていた。

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