第5話 宝物の部屋
目を覚ますと、見知らぬ天井があった。
白い石を削って作られた天井には、細かな蔦の模様が彫りこまれている。
窓から差しこむ光は、もう昼に近い明るさだった。
(ここは……)
ゆっくりと体を起こして、私は息をのんだ。
部屋じゅうが、きらきらと輝いていたのだ。
窓辺には、色とりどりの宝石を詰めた小箱がいくつも並んでいる。
壁際の棚には、光沢のある絹の反物が何十本も積み上げられ、その隣には金細工の燭台、銀の手鏡、真珠の髪飾り。
床には見たこともない花が、花瓶に入りきらないほど飾られていて、部屋じゅうに甘い香りが満ちていた。
(夢……ではないわよね)
昨夜のことを、少しずつ思い出していく。
中庭で婚約を破棄されたこと。
紅の竜の背に乗って、夜空を飛んだこと。
山の上で、公爵の前で泣いてしまったこと。
そして明け方、この城に着いたところで、記憶がぷつりと途切れていた。
どうやら私は、竜の背の上で眠ってしまったらしい。
(なんて失礼なことを……)
顔が熱くなるのを感じていると、扉が控えめに叩かれた。
「お目覚めですか、マルグリット様」
入ってきたのは、栗色の髪を一つに束ねた、穏やかそうな女性だった。
耳の後ろに、小さな緑色の鱗が光っている。
「本日からお世話をさせていただきます、侍女のテアと申します。よくお休みになれましたか」
「は、はい。あの、ここは……」
「グラナート公爵家の城でございます。閣下がマルグリット様を抱いてお戻りになったときは、城じゅうが大騒ぎでしたのよ」
テアさんはくすくすと笑いながら、カーテンを大きく開けた。
窓の外には、雪をいただいた山々がどこまでも連なっていた。
「あの、テアさん。この部屋の宝石や布は、どなたのものなのでしょう。私、間違えてどなたかのお部屋で眠ってしまったのでは……」
「いいえ。これはすべて、マルグリット様のものですわ」
「……え?」
「閣下が、明け方からずっと運びこんでいらしたのです。宝物庫から、ご自分の部屋から、それはもう次から次へと」
私は、言葉を失った。
テアさんは、どこか微笑ましそうに部屋を見回した。
「竜人には、番のために宝を集める習性がございますの。『巣作り』と呼ばれておりまして、大切な方のまわりを、自分の持つ一番美しいもので満たしたくなるのですわ」
「巣作り……」
「閣下は二百年以上、何ひとつ巣作りをなさらなかったのです。それが一晩でこれですもの。私ども使用人一同、涙が出そうでしたわ」
私は、もう一度部屋を見回した。
宝石も、絹も、花も。
すべてが、私のために集められたものだという。
(どうしよう。こんなにいただいても、私には何もお返しできない)
嬉しいよりも先に、胸の奥がきゅっと縮こまった。
着替えを手伝ってもらっていると、また扉が叩かれた。
テアさんが扉を開けると、そこに立っていたのはカイゼル様だった。
昨夜の礼服ではなく、黒い簡素な上着を着ている。
両腕には、なぜか毛皮の敷物を三枚も抱えていた。
「……起きたのか」
「は、はい。おはようございます、閣下。昨夜は、途中で眠ってしまって申し訳ありません」
「謝ることはない。疲れていたのだろう」
カイゼル様は部屋に入ってくると、抱えていた毛皮の敷物を、すでに一枚敷いてある絨毯の上にさらに重ねた。
テアさんが、こらえきれないように口元を押さえている。
「あの、閣下……」
「カイゼルでいい」
「では、カイゼル様。このお部屋のものは、本当にすべて……」
「ああ。足りなければ、もっと持ってくる」
「い、いえ、もう十分すぎるほどです!」
思わず声が大きくなってしまい、私は慌てて口をつぐんだ。
カイゼル様は、少し困ったように眉を寄せた。
「気に入らなかったか」
「そうではありません。ただ……私には、お返しできるものが何もないのです。ドレス一枚で連れてきていただいて、借金まで肩代わりしていただいて。それなのに、こんなに……」
言いながら、だんだん声が小さくなっていった。
ブランデル家でも、ローエン家でも、私は何かを与えられたら、その分だけ働いて返さなければならなかった。
何も返せないのに受け取るのは、ひどく落ち着かないことだった。
カイゼル様はしばらく黙って私を見ていたけれど、やがて静かに口を開いた。
「返さなくていい」
「でも……」
「竜は、宝を集める。だが、宝に見返りを求める竜はいない」
金色の瞳が、まっすぐに私をとらえた。
「君が、俺の宝だ。この部屋のものは全部、君のまわりに置いておきたいから置いているだけだ。……迷惑なら、言ってくれ」
迷惑だなんて、言えるはずがなかった。
けれど、どう答えればいいのかも分からなかった。
私が黙ってうつむいていると、カイゼル様はそれ以上何も言わず、そっと部屋を出ていった。
扉が閉まったあと、テアさんがしみじみとつぶやいた。
「閣下が、あんなにお優しい声をお出しになるなんて」
「……普段は、違うのですか」
「ええ。城の者でさえ、目を合わせるのをためらうほどですのよ」
私は、閉じた扉を見つめた。
宝。
そんなふうに呼ばれたのは、生まれて初めてだった。
胸の奥が、ほんのりと温かかった。




