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【完結】「お前の代わりはいくらでもいる」と婚約破棄された令嬢ですが、竜人公爵様に唯一無二の番として溺愛されています  作者: フトダマノミコト


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第4話 竜の背の上で

 風の音しか聞こえなかった。


 いつの間にか、私は竜の背中に乗せられていた。


 首の付け根のくぼみに、ちょうど体がおさまるような場所があって、そこに座っていると不思議と風が弱まる。


 おそるおそる下を見ると、王都の灯りがみるみる小さくなっていくところだった。


(本当に……飛んでいる)


 夢を見ているのではないかと思った。


 けれど、頬を打つ夜風の冷たさは本物だった。


 ドレス一枚で空の上にいるのだから、寒くて当然だ。


 そう思ったのに、なぜか少しも凍えなかった。


 触れている鱗が、ほんのりと温かいのだ。


 まるで、陽だまりの中に座っているみたいだった。


(さっきまで、王宮の中庭で、婚約を破棄されていたのに)


 ほんの少し前のことが、ずいぶん遠い昔のように思える。


 オスカー様の嘲る声。


 コレットの、勝ち誇ったような瞳。


 目をそらした父と、ハンカチを押さえていた母。


 思い出すと胸が痛むはずなのに、空の上では、そのどれもが小さく、遠いものに感じられた。





 どれくらい飛んでいただろう。


 竜は、王都からずっと南にある山の頂近くへと、ゆっくり降りていった。


 平らな岩場に着地すると、私をそっと地面に下ろし、ふたたび紅の光に包まれる。


 光がおさまったとき、そこには人の姿の公爵が立っていた。


 公爵はすぐに自分の外套を脱ぐと、私の肩にかけてくれた。


「寒くはないか」


「は、はい。鱗が温かかったので」


「そうか」


 公爵は短く答えると、少しだけ視線をさまよわせた。


 中庭で見せた恐ろしいほどの威厳は、どこにもない。


「……すまなかった」


「え?」


「正式な手順も踏まず、君をあの場から連れ出した。竜人の礼儀としても、人間の礼儀としても、褒められたやり方ではない」


 公爵は、まっすぐに私を見た。


「だが、あれ以上、君があの場所で罵られているのを見ていられなかった」


 胸の奥が、きゅっと締めつけられた。


(この方は、私のために怒ってくださったのね)


 誰かが私のために怒ってくれたのは、生まれて初めてだった。


「あの……ひとつ、うかがってもよろしいですか」


「何でも聞いてくれ」


「番というのは……本当に、私なのでしょうか。何かの間違いでは」


 公爵は、わずかに眉を寄せた。


「間違いではない。この国に入ったときから、ずっと香りを追っていた。どこかにいると分かっているのに、見つからない。……二百十七年生きてきて、あれほど焦ったことはなかった」


「二百……」


「今夜、あの広間に入った瞬間、香りが一気に濃くなった。そして、君がいた」


 公爵の声は、静かで、少しも揺らがなかった。


 けれど、私は首を横に振った。


「でも、私は……地味で、愛想もなくて、手も冷たくて。代わりなんて、いくらでも――」


 そこまで言ったとき、両手を包まれた。


 大きくて、熱い手だった。


「竜に、番の代わりはいない」


 低い声が、まっすぐに降ってくる。


「世界中のどこを探しても、君はひとりしかいない。二百年探して、ようやく見つけたんだ。代わりなど、どこにいる」


 私は、何も言えなかった。


 公爵は私の手を握ったまま、少し不思議そうに目を細めた。


「……冷たいな」


 びくりと肩が跳ねた。


(やっぱり、嫌がられるわ)


 オスカー様に「死人みたいだ」と言われたときのことがよみがえる。


 思わず手を引っこめようとすると、公爵はかえって強く握りしめた。


「離さないでくれ」


「え……」


「竜人は、体の内に火を抱えて生きている。いつも少しだけ、熱にうかされているようなものだ。……君の手は、心地いい」


 公爵は、まるで大切な宝物に触れるように、私の手を自分の頬に当てた。


「ずっと、こうしていたいくらいだ」


 その瞬間、ぽたり、と何かが手の甲に落ちた。


 それが自分の涙だと気づくまで、少し時間がかかった。


 婚約を破棄されたときも、家族に見捨てられたときも、一滴も出なかったのに。


(どうして、今になって)


 止めようとしても、涙はあとからあとからあふれてきた。


 公爵は何も言わず、ただ私の手を握り続けてくれた。


 その手は、最後まで熱いままだった。


「……もう少し休んだら、また飛ぶ。夜明けには、ドラヴェールに着くだろう」


「ドラヴェール……竜人の国に」


「ああ。今日から、そこが君の帰る場所だ」


 帰る場所。


 その言葉を、私は胸の中でそっと繰り返した。





 東の空が白み始めたころ、私はふたたび竜の背の上にいた。


 眼下には、見たこともないほど高い山々が連なっている。


 峰には雪が輝き、谷間には霧が流れていた。


 そして、朝日に照らされた山の頂に、ひときわ大きな城が見えた。


 岩山をそのまま削り出したような、白と紅の美しい城。


 いくつもの塔のまわりを、色とりどりの竜たちがゆったりと飛び交っている。


 紅い竜が、低く喉を鳴らした。


 まるで「ただいま」と言っているように聞こえた。


(ここが……)


 朝の光が、竜の鱗をまばゆく照らしている。


 私は外套の前をぎゅっとかき合わせ、近づいてくる城を見つめた。


 不安がないと言えば嘘になる。


 けれど、胸の奥にある小さな灯りのようなものは、きっと、不安だけではなかった。

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