第2話 夜会の宣言
王宮の大広間は、目がくらむほど明るかった。
天井から吊るされた何十ものシャンデリアが、磨き上げられた床に光を落としている。
私はいつもの紺色のドレスを着て、壁際に立っていた。
オスカー様からは、会場で落ち合おうと言われていた。けれど、広間に入ってからずいぶん経つのに、まだ姿が見えない。
(婚約者を迎えに来ないのは、いつものことだけれど)
両親は少し離れたところで、知り合いの貴族たちと談笑している。
一緒に屋敷を出たはずのコレットの姿は、いつの間にか見えなくなっていた。
そのとき、広間の扉のほうでざわめきが起こった。
「竜人国ドラヴェールより、使節団の皆様のご到着です!」
侍従の声が響き、人々がいっせいに振り返る。
扉から入ってきたのは、十人ほどの一団だった。
誰も彼も背が高く、人間とは少し違う空気をまとっている。耳の後ろや首筋に、宝石のようにきらめく鱗がのぞいている人もいた。
そして、その先頭に立つ男性を見た瞬間、広間の空気がしんと静まり返った。
燃えるような紅の髪。
鋭く整った顔立ち。
金色の瞳は、まるで溶けた黄金をそのまま閉じこめたようだった。
「あれが、竜人国の公爵……カイゼル・グラナート様」
「二百年以上生きているというのは本当かしら」
「なんて恐ろしい目……」
ひそひそとした声があちこちから聞こえる。
公爵は誰とも目を合わせず、まっすぐ玉座のほうへ歩いていった。
国王陛下と挨拶を交わすあいだも、その顔にはほとんど表情がない。
(人間に、あまり興味がないのかしら)
そう思ったとき、ふと、公爵が顔を上げた。
何かを探すように、広間の中をゆっくりと見回している。
金色の瞳がこちらへ向けられたような気がして、私は慌てて目を伏せた。
(……気のせいよね)
胸がどきどきしているのは、きっと緊張のせいだ。
歓迎の挨拶が終わり、楽団が最初の曲を奏で始めた。
それと同時に、広間の扉がもう一度開いた。
「ブランデル侯爵家ご嫡男、オスカー・ブランデル様。ならびに、ローエン子爵家ご令嬢、コレット・ローエン様、ご入場です」
耳を疑った。
扉から入ってきたのは、白い礼服に身を包んだオスカー様だった。
その腕に手を添えて、にこやかに微笑んでいるのは――桃色のドレスを着たコレットだった。
私が貯めたお小遣いで仕立てた、あのドレス。
広間のあちこちから、ささやき声が上がる。
「ブランデル家のご嫡男って、ローエン家の姉のほうと婚約していたんじゃ……」
「妹のほうを連れてくるなんて、どういうことかしら」
「ほら、あそこに姉がいるわよ」
いくつもの視線が、私に突き刺さった。
けれど、私はその場から一歩も動けなかった。
オスカー様とコレットは、そのまま広間の中央へ進み出た。
楽団の音楽に合わせて、二人が踊り始める。
コレットの蜂蜜色の巻き毛が揺れ、桃色の裾が花びらのように広がった。
オスカー様は、私には一度も見せたことのない顔で笑っていた。
(……どうして)
問いかけようにも、声が出なかった。
婚約者が、目の前で妹と踊っている。
本来なら、あの場所にいるのは私のはずだった。
けれど、そう思うことすら、なぜかひどく図々しいことのように感じられた。
ちらりと両親のほうを見ると、父も母も、踊る二人を穏やかな顔で見守っていた。
驚いた様子など、少しもなかった。
(知っていたのね。お父様も、お母様も)
あの日、父が目をそらした理由がようやく分かった。
私は、ただ見つめていることしかできなかった。
一曲が終わり、二曲目が始まっても、オスカー様がこちらを見ることはなかった。
「マルグリット・ローエン様でいらっしゃいますか」
ふいに声をかけられて振り返ると、ブランデル家の従僕が立っていた。
「オスカー様からのご伝言です。大事なお話があるので、中庭でお待ちになるように、と」
「……分かりました」
従僕は軽く頭を下げると、すぐに人混みの中へ消えていった。
私は誰とも目を合わせないように、広間をあとにした。
王宮の中庭は、しんと静まり返っていた。
冬の夜の空気は冷たく、吐く息が白くなる。
石畳の小道の先に噴水があり、そのそばに小さな長椅子が置かれていた。
私はそこに腰を下ろし、冷え切った両手を膝の上で握りしめた。
大広間の窓から、楽団の音楽がかすかに漏れてくる。
(大事なお話……)
何を言われるのか、本当は分かっている気がした。
けれど、分かりたくなかった。
どれくらい待っただろう。
指先の感覚がなくなりかけたころ、石畳を踏む足音が近づいてきた。
顔を上げると、オスカー様とコレット、そして父と母が並んで立っていた。
オスカー様は、コレットの肩を抱き寄せている。
「待たせたな、マルグリット」
その声には、少しも申し訳なさなどなかった。
「もう分かっているだろうが、はっきり言っておく。お前との婚約は、今夜をもって破棄する」
冷たい夜気よりも冷たい言葉が、まっすぐに落ちてきた。




