第14話 半分の命(カイゼル視点)
リンデン王国の者たちが去ってから、七日が過ぎた。
城には、ようやく穏やかな日々が戻っていた。
マルグリットは、手のひらの赤みもすっかり消えて、また毎日のように書庫で本を読んでいる。
あの日、謁見の間で見せた姿が、今でも目に焼きついていた。
震える膝で、それでもまっすぐに立ち、自分の言葉で家族を拒んだ姿。
「私の代わりも、どこにもいません」と言ったときの、凛とした横顔。
あの娘は、もう中庭で黙って頭を下げていた娘ではない。
それが、何よりも誇らしかった。
「グラナート公」
執務室の扉が開き、灰色の鱗を持つ老竜が入ってきた。
長老会の長、グラウスだった。
「お一人でお越しとは珍しい」
「謁見の間でのこと、聞いたぞ。そなたの番は、なかなか肝の据わった娘のようだ」
「当然だ」
グラウスは、しわの寄った顔をわずかにほころばせた。
それから、すぐに表情を引きしめた。
「だからこそ、問う。番の契りのこと、まだ話しておらぬのか」
俺は、答えなかった。
グラウスは、深いため息をついた。
「番の契りを結べば、そなたの命は二つに分かたれ、半分があの娘に移る。あの娘は竜と同じだけの時を生き、そなたと同じ日に死ぬ。……そなたの寿命は、半分になるがな」
「寿命など、どうでもいい」
思わず、強い声が出た。
「二百年、番を探して生きてきた。その間、長く生きることに意味を感じたことなど一度もない。残りの命が半分になろうと、あの娘と生きられるのなら、惜しくも何ともない」
「ならば、なぜ話さぬ」
俺は、窓の外に目をやった。
中庭の向こうに、書庫の窓が見える。
「契りを結べば、あの娘は人間ではなくなる。二度と人の世界には戻れない。もし俺が先に死ねば、あの娘も一緒に死ぬことになる」
「それが、番というものだ」
「分かっている。……だが、あの娘はようやく、自分で選ぶということを覚えたばかりだ。俺が望んでいると知れば、あの娘はきっと、自分の気持ちより先に俺のことを考える」
グラウスは、しばらく黙って俺を見ていた。
やがて、ゆっくりと立ち上がった。
「そなたは、二百年経っても不器用なままだな」
「……何が言いたい」
「あの娘を、見くびっておらぬかということだ」
それだけ言うと、グラウスは静かに部屋を出ていった。
その夜、執務室の扉が控えめに叩かれた。
「カイゼル様。少し、よろしいですか」
マルグリットだった。
両腕に、一冊の分厚い本を抱えている。
あの日、俺に初めてねだってくれた本。『竜人国ドラヴェールの歴史と風習』だった。
「どうした、こんな夜更けに」
「お聞きしたいことがあって」
マルグリットは、本を机の上に置くと、栞を挟んだ頁を開いた。
そこには、古い挿絵とともに、こう記されていた。
――番の契り。竜がその命を番と分かち合う、古き儀式なり。
俺は、息をのんだ。
「長老会で、グラウス様が言いかけていたのは、このことですよね」
「……読んだのか」
「はい。毎晩少しずつ読んでいて、昨夜、ここまで来ました」
マルグリットは、まっすぐに俺を見上げた。
その瞳には、怯えも迷いもなかった。
「どうして、教えてくださらなかったのですか」
「……君に、無理をさせたくなかった」
俺は、正直に答えた。
「契りを結べば、君はもう人間ではいられない。リンデンにも、二度と戻れない。俺がいなくなれば、君の命もそこで終わる。……そんなものを、君に背負わせたくなかった」
「カイゼル様の命が、半分になることも」
「それは、どうでもいい」
「どうでもよくありません」
マルグリットの声が、少しだけ強くなった。
この娘が、俺の言葉に言い返すのは初めてだった。
「カイゼル様は、いつも私に『欲しいものはないか』と聞いてくださいました。私は、ずっと答えられませんでした。本が欲しいと言えたのも、ルシエラ様に背中を押していただいたからです」
「ああ」
「でも、今は違います。誰にも言われていません。私が、自分で考えて、自分で決めました」
マルグリットは、冷たい両手で、俺の手を包みこんだ。
「カイゼル様と、同じ時間を生きたいです。カイゼル様を、ひとりにしない未来が欲しいです」
その言葉を聞いた瞬間、胸の奥で、何かが音を立てて崩れた。
二百年かけて積み上げてきた、孤独という名の城壁が。
「……本当に、いいのか。もっと時間をかけて考えても――」
「もう、たくさん考えました」
マルグリットは、少しだけ笑った。
城に来たばかりのころには、決して見られなかった笑顔だった。
「これは、私が初めて、本当に心から欲しいと思ったものです。……叶えて、くださいますか」
俺は、答えられなかった。
声を出したら、みっともなく震えてしまいそうだった。
代わりに、目の前の小さな体を、力いっぱい抱きしめた。
腕の中で、マルグリットがくすりと笑う気配がした。
グラウスの言葉が、頭の中によみがえる。
あの娘を、見くびっておらぬか。
本当に、その通りだった。
俺の番は、俺が思っていたよりもずっと強く、ずっと美しかった。
「……叶える」
ようやく絞り出した声は、やはり少し震えていた。
「君が望むものは、全部叶える。二百年分、いや、これから先の何百年分も」




