第13話 私は、代わりではありません
カイゼル様の手の熱が、少しずつ引いていった。
背中から漏れていた紅い光が、ゆっくりと消えていく。
金色の瞳が、私を見下ろした。
その奥にはまだ炎がくすぶっていたけれど、カイゼル様は小さく息を吐いて、静かに頷いた。
「……分かった」
私は、カイゼル様の手を握ったまま、五人のほうへ向き直った。
膝が、かすかに震えている。
これまで、私はこの人たちの前で、一度も自分の言葉で話したことがなかった。
言われたことに頷き、命じられたことをこなし、何かを欲しがることもしなかった。
けれど、今は違う。
隣に、私が選ぶのを待ってくれる人がいる。
「ブランデル侯爵様。オスカー様」
声は、思っていたよりもずっとしっかりしていた。
「オスカー様は、三年間ずっと、私に『お前の代わりはいくらでもいる』とおっしゃいました」
「そ、それは……」
「帳簿をつけることくらい、誰にでもできる。私でなければならない理由なんて、どこにもない。私も、ずっとそう思っていました」
オスカー様が、気まずそうに目をそらした。
「でも、今日、オスカー様は『お前しかいない』とおっしゃいましたね。……代わりがいくらでもいるのなら、どうぞ、その方を探してください」
「マ、マルグリット……」
「私は、ブランデル家には戻りません」
はっきりとそう告げると、オスカー様の顔がゆがんだ。
私は、父と母に目を向けた。
「お父様、お母様。これまで育てていただいたことには、感謝しています」
母が、ほっとしたような顔をした。
けれど、私は続けた。
「でも、あの夜、私が何もしていないと言ったとき、お二人は信じてくださいませんでした。修道院へ行けとおっしゃいました。……家族のために戻れと言われても、私にはもう、帰る家がありません」
「マルグリット、あなた、なんてことを……」
「私の帰る場所は、ここです」
母が、言葉を失って立ち尽くした。
父は、うなだれたまま何も言わなかった。
最後に、私はコレットを見た。
コレットは、まだ震えながら、それでも唇を噛んで私をにらみつけていた。
「コレット」
「な、何よ」
「あなたは小さい頃から、私のものを欲しがったわね。ドレスも、髪飾りも、婚約者も」
コレットの顔が、かっと赤くなった。
「でも、カイゼル様はものではないわ。私のものでも、あなたのものでもない」
私は、握っているカイゼル様の手に、少しだけ力をこめた。
「カイゼル様は、二百年かけて、ようやく私を見つけてくださったの。代わりなんて、どこにもいないと言ってくださった。だから……」
一度、息を吸った。
「私は、もう誰の代わりでもありません。そして、私の代わりも、どこにもいません」
謁見の間が、しんと静まり返った。
隣で、カイゼル様が小さく息をのむ気配がした。
コレットは、何か言い返そうと口を開いて、けれど結局何も言えずに、その場にへたりこんだ。
「――話は、済んだようだな」
沈黙を破ったのは、カイゼル様だった。
その声には、もう先ほどまでの炎はなかった。
ただ、静かで、揺るぎない冷たさだけがあった。
「ベルン」
「はっ」
ベルンさんが進み出て、一通の書状を広げた。
「リンデン国王陛下より、本日付けで届いた親書でございます。竜人国への謝罪として、王家は以下の処分を決定したとのことです」
ブランデル侯爵の顔が、さっと青ざめた。
どうやら、自分たちが王都を発ったあとに、沙汰が下されていたらしい。
「ブランデル侯爵家は、伯爵家へ降格。領地の大半を王家に返上し、竜人国への賠償に充てること。嫡男オスカー・ブランデルは廃嫡のうえ、コレット・ローエンとの婚姻を命じ、両名を北の辺境、ガルム領へ送るものとする」
「ガ、ガルム領……」
オスカー様が、かすれた声を上げた。
一年の半分が雪に閉ざされる、痩せた土地として知られる場所だった。
「い、嫌よ! どうして私が、こんな人と、あんな田舎に……!」
コレットが叫んだけれど、ベルンさんは淡々と読み上げを続けた。
「ローエン子爵家は、男爵家へ降格。今後、王宮への出仕を禁ずる。……以上でございます」
母が、その場に崩れ落ちた。
父は、もう顔を上げることさえできなかった。
「加えて、竜人国の決定をお伝えします」
ベルンさんは、もう一枚の書状を広げた。
「リンデン王国との交易は、王家が賠償を果たしたのちに一部を再開する。ただし、竜鉱石の取引量はこれまでの半分とし、南方航路の護衛は今後十年間停止する。……公爵閣下の番を辱めた国への、これが竜人国の答えです」
それは、リンデン王国にとって、決して軽くはない罰だった。
国が滅びることはない。
けれど、これまでのような豊かさは、もう二度と戻ってこないだろう。
「お引き取り願おう」
カイゼル様が言うと、竜人の衛兵たちが進み出て、五人を謁見の間の外へと連れ出していった。
コレットが、最後に一度だけ振り返った。
その目は、私ではなく、私の手を握るカイゼル様の手を見つめていた。
けれど、扉が閉まる直前まで、カイゼル様が彼女を見ることは一度もなかった。
謁見の間に、静けさが戻った。
張りつめていたものが一気に切れて、私の膝からかくんと力が抜けた。
倒れかけた体を、カイゼル様が抱きとめてくれた。
「マルグリット」
「……ごめんなさい。少し、力が抜けてしまって」
「手を見せろ」
カイゼル様は、私の両手をそっと開いた。
手のひらが、うっすらと赤くなっていた。
さっき、燃えるように熱い手を握ったときのものだ。
「……すまない。俺のせいで」
「いいえ。カイゼル様を止められたのなら、これくらい」
カイゼル様は、何も言わずに私の手のひらに唇を寄せた。
それから、私をきつく抱きしめた。
「さっきの言葉を、もう一度聞かせてくれ」
「さっきの……?」
「君の帰る場所は、どこだと言った」
耳もとで、少しかすれた声がした。
私は、カイゼル様の胸に顔をうずめて、小さく答えた。
「……ここです。カイゼル様の、隣です」
抱きしめる腕に、さらに力がこもった。
その腕は、少しだけ震えていた。




