第12話 迎えに来た人たち
「リンデン王国から、マルグリット様にお客様がお見えです」
テアさんがそう告げに来たとき、私はルシエラ様と一緒に、隣の書庫で本を読んでいた。
「お客様……ですか」
「ブランデル侯爵様とご子息のオスカー様。それから、ローエン子爵ご夫妻と、妹君のコレット様だそうです」
手にしていた本が、ぱたんと閉じた。
ルシエラ様が、さっと顔をしかめる。
「なにそれ。どの面さげて来たのかしら」
「ルシエラ様、お言葉が……」
「いいのよ、テア。だって、お義姉様をあんなふうに捨てた人たちでしょう?」
私は、膝の上で両手を握りしめた。
指先が、いつもよりずっと冷たくなっている。
(どうして、今になって)
あの夜から、もう三か月が経っていた。
その間、リンデン王国からは何の便りもなかった。
私のことなど、とうに忘れているのだと思っていた。
「閣下は、すでに謁見の間でお待ちです。マルグリット様が会いたくないとおっしゃるなら、このままお帰りいただくとのことですが……」
テアさんの言葉に、私はしばらく黙りこんだ。
会いたくない、と言えば、カイゼル様は本当に追い返してくれるだろう。
けれど。
(逃げたままでは、きっと何も変わらない)
長老会の日のことを、思い出した。
カイゼル様の番として、自分の足で立っていたいと思った、あの気持ちを。
「……会います」
謁見の間に入ると、玉座の隣に立つカイゼル様が、すぐに私のほうを振り向いた。
その前に、見覚えのある五人が並んでいた。
ブランデル侯爵。オスカー様。父と母。そしてコレット。
三か月ぶりに見るその姿は、どこかやつれて見えた。
オスカー様の目の下には濃い隈があり、侯爵の髪には白いものが増えている。
父と母も、ひどく疲れた顔をしていた。
ただ一人、コレットだけが、新しく仕立てたらしい華やかなドレスを着て、まっすぐにカイゼル様を見つめていた。
「マルグリット!」
私の姿を見るなり、母が声を上げた。
「ああ、無事だったのね。心配していたのよ」
心配していた。
その言葉が、ひどく遠いものに聞こえた。
あの夜、中庭で、母は私を「恥ずかしい」と言ったのに。
カイゼル様が、私の隣まで来て、そっと背中に手を添えてくれた。
その手の温かさに、少しだけ呼吸が楽になる。
「グラナート公爵閣下」
ブランデル侯爵が、深々と頭を下げた。
「先日は、愚息が大変なご無礼をいたしました。心よりお詫び申し上げます」
「詫びなら、俺ではなくマルグリットにするべきだろう」
カイゼル様の声は、氷のように冷たかった。
侯爵は一瞬言葉に詰まり、それから私のほうへ向き直った。
「マルグリット嬢。あの夜のことは、すべて誤解だった。コレット嬢の話を信じて、そなたを疑ったのは、我々の過ちだ」
「……誤解」
「そうだ。そこで、どうだろう。改めて、オスカーの婚約者としてブランデル家に戻ってはくれないか」
私は、自分の耳を疑った。
「オスカーも、深く反省している。な、オスカー」
「あ、ああ」
オスカー様が、ぎこちなく一歩前に出た。
「マルグリット、悪かった。俺が間違っていた。お前がいなくなってから、帳簿も取引も、何もかもめちゃくちゃなんだ。あれを任せられるのは、お前しかいない」
お前しかいない。
三年間、一度も言われたことのない言葉だった。
それなのに、少しも嬉しくなかった。
(この人が欲しいのは、私ではないのね。帳簿をつける人なのね)
父も、一歩前に出た。
「マルグリット。家族として、お前を迎えに来たのだ。お前が戻って竜人国の方々に詫びを入れれば、ブランデル家もローエン家も、王家からのお咎めを免れる。家族のためだ。分かるな」
「そうよ、マルグリット。あなたは昔から、聞き分けのいい子だったでしょう?」
母が、すがるような目で私を見ていた。
昔から、聞き分けのいい子。
その言葉を聞いた瞬間、胸の奥が、すうっと冷えていった。
(ああ、この人たちは、何も変わっていない)
私が戻れば、帳簿をつけ、頭を下げ、言われるままに動く。
それが当たり前だと思っているのだ。
ふと、コレットと目が合った。
いいえ、コレットは私のことなど見ていなかった。
その視線は、ずっと、私の隣に立つカイゼル様に向けられていた。
そして、一歩前に出ると、目に涙を浮かべて言った。
「公爵閣下。姉が閣下にご迷惑をおかけして、本当に申し訳ございません。姉は昔から、人付き合いが苦手で……もしよろしければ、姉の代わりに、私が閣下のおそばで――」
その瞬間、謁見の間の空気が、ぐらりと揺れた。
肌が焼けるような熱気が、一気に押し寄せてくる。
カイゼル様の首筋の鱗が、炎のように燃え上がっていた。
金色の瞳の奥で、竜の火が渦を巻いている。
床の石に、ぴしり、ぴしりとひびが走っていく。
「……今、何と言った」
あの夜、中庭で聞いたのと同じ声だった。
いいえ、それよりもずっと低く、ずっと恐ろしい声だった。
コレットが、ひっと短い悲鳴を上げて後ずさった。
オスカー様も、侯爵も、父も母も、真っ青になって震えている。
カイゼル様の背中から、紅い光が漏れ始めていた。
竜の姿に、戻ろうとしている。
(だめ……!)
この人は、あの夜からずっと怒りを抑えてきた。
その怒りが、今、溢れ出そうとしている。
このままでは、この人たちだけでなく、カイゼル様自身も傷ついてしまう。
私は、考えるより先に動いていた。
燃えるように熱いカイゼル様の手を、両手でしっかりと握りしめた。
「カイゼル様」
ジュッ、と小さな音がした気がした。
それでも、私は手を離さなかった。
「大丈夫です。……私に、話をさせてください」




