第11話 姉のものだったはずなのに
コレット・ローエンは、自分の部屋の鏡の前で、爪を噛んでいた。
鏡に映っているのは、桃色のドレスを着た自分の姿だった。
あの夜会で着た、姉のドレス。
あの夜、このドレスを着た自分は、誰よりも輝いていたはずだった。
オスカー様の腕を取り、大広間の中央で踊った。
姉が壁際で、ただ黙って見つめていることしかできなかったのを、ちゃんと見ていた。
中庭で、姉が婚約を破棄されて頭を下げたときは、胸がすっとした。
ようやく、姉からすべてを奪えたと思った。
それなのに。
(どうして、お姉様ばっかり)
コレットは、爪を噛む力を強くした。
昔から、そうだった。
両親が可愛がってくれるのは、愛想のいいコレットのほうだった。
ドレスも、髪飾りも、お菓子も、欲しいと言えば何でも手に入った。
姉のものだって、欲しいと言えば、母が「お姉様なんだから譲ってあげなさい」と言ってくれた。
けれど、どうしても手に入らないものがあった。
家庭教師が褒めるのは、いつも姉だった。
「マルグリット様は、本当に聡明でいらっしゃる」と。
借金のかたにブランデル家へ通うようになってからも、侯爵家の使用人たちが姉の仕事ぶりを感心したようにささやいているのを、何度も聞いた。
地味で、笑いもしない、冷たい手をした姉。
それなのに、なぜか、ちゃんと見ている人は姉を認めていた。
それが、許せなかった。
だから、オスカー様を奪った。
侯爵家の嫡男の妻になれば、もう誰も姉のほうなど見ないはずだった。
それなのに、姉を連れ去っていったのは、竜人国の公爵だった。
二百年以上生きた、紅の竜。
あの夜、中庭で姉の前に膝をついた公爵の姿が、どうしても頭から離れなかった。
(あの人は、私に一度も目を向けなかった)
この私が、すぐそばにいたのに。
地味な姉よりずっと華やかで、ずっと可愛らしいこの私が。
「コレット、入るぞ」
ノックもなく扉が開いて、オスカー様が入ってきた。
その顔は、夜会のときとは比べものにならないほど荒れていた。
目の下には隈ができ、髪も乱れている。
「オスカー様、どうなさったの?」
「どうもこうもない。お前のせいで、とんでもないことになった」
「私のせい……?」
「お前の家の侍女が、全部しゃべったんだよ」
オスカー様は、乱暴に椅子に腰を下ろした。
「マルグリットがお前のドレスを切り裂いたって話。あれは、お前が自分で切ったんだってな。階段から突き落とされそうになったっていうのも、嘘だと」
コレットの顔から、さっと血の気が引いた。
ローエン家の侍女の一人、ニーナ。
姉のことをかばうような目で見ていた、あの地味な侍女。
ローエン家が王家の咎めを受けると噂になってから、屋敷の使用人は次々と辞めていった。ニーナもその一人だった。
辞めるときに、王宮の役人に何かを話したのだろう。
「ち、違うの、オスカー様。それは、あの侍女がお姉様の味方をして……」
「言い訳はいい!」
オスカー様が、机を叩いた。
「おかげで、俺は嘘を信じて婚約者を捨てた愚か者だ。王都じゅうの笑いものだぞ! お前と婚約なんかしなければ、こんなことには……」
「なっ……」
コレットは、かっと顔を赤くした。
「何よ、それ! オスカー様だって、お姉様が地味でつまらないから、私のほうがいいって言ったじゃない! 婚約破棄だって、夜会で見せつけてやろうって言い出したのはオスカー様よ!」
「お前が、姉にいじめられてるって泣きついてきたからだろう!」
「お姉様の仕事に頼りきって、何もしてこなかったくせに! ブランデル家の帳簿がめちゃくちゃなのは、私のせいじゃないわ!」
二人の怒鳴り声が、部屋じゅうに響いた。
廊下の向こうで、母が「やめてちょうだい」と泣き叫んでいる声がした。
父は書斎に閉じこもったまま、出てこようともしない。
ローエン家も、もう王都の誰からも相手にされなくなっていた。
夜会の晩に、竜人公爵の番を見捨てた両親。
その噂は、ブランデル家と同じくらいの速さで広まっていたのだ。
しばらく怒鳴り合ったあと、オスカー様は荒い息をつきながら言った。
「……とにかく、父上が決めた。マルグリットを連れ戻しに、竜人国へ行く」
「お姉様を……?」
「ああ。あいつが戻って、竜人公爵に詫びを入れれば、全部元通りだ。お前の両親も一緒に来るそうだ。家族が迎えに行けば、あいつも断れないだろう」
コレットは、ぎゅっと唇を噛んだ。
姉が戻ってくる。
そうすれば、帳簿は元通りになり、竜人国の怒りもおさまり、すべてが元に戻る。
(でも、そうしたら、またお姉様が……)
ふと、コレットの胸に、ある考えが浮かんだ。
竜人国へ行けば、あの紅の公爵に、もう一度会える。
あのとき、公爵は姉しか見ていなかった。
けれど、それは姉が先にそこにいたからだ。
自分のほうがずっと可愛いのだと、ちゃんと分かってもらえれば。
(姉のものは、いつだって私のものになったんだもの)
コレットは、鏡の中の自分に向かって、にっこりと微笑んだ。
「分かりましたわ、オスカー様。私も一緒に参ります」




