39話 月下美人
「あの……二人とも、どうしたの?というか、これは一体何事……?」
「何がですか?」
「何のこと?」
冬香と清水さんは、とぼける。
「いや、なぜ俺の両側から腕にしがみついてるのかを聞きたいんだけど……」
右腕に冬香、左腕に清水さん。
学校の中庭にあるベンチに座り、彼女たちに挟まれている。
校内の街灯が俺たちを照らしている。
「うーん、黒臼くんのかっこいいところとか、優しいところを八木坂さんと話してたら、君のことが恋しくなったから……かな?」
「それを満たすついでに、女の子二人からこうされたら夕陽くんも幸せかなと、話をしてたんです」
幸せです。
とても、幸せです。
「あぁ……なるほど……?」
今後の学校生活に支障をきたすような噂が流れそうな悪い予感を除けば、幸せこの上ない。
少し強めの風が吹く。
体感温度がぐっと下がり、寒さで鳥肌が立つ。
「夕陽くん、手が寒いです……」
冬香は俺の制服とシャツの間に手を入れた。
シャツの上を、彼女の手のひらが滑りながら入ってくる。
彼女は頬を染めている。少し緊張しているのか、指先が震えていた。
「暖かい……」
それでも、彼女はやめなかった。
「えーずるい。私も寒いなぁ〜」
清水さんも反対側から同じように手を入れてきた。
「んんっ……ま、待ってっ……!これはさすがに……」
二人は幸せそうな顔をしているが、俺はそんなことを言ってられない。
理性が吹っ飛びそうだ。
しかも校門前はバスケ部員も含めて、生徒が帰るために通る場所だ。
傍から見れば学校という公然の場で、一人の男が黒髪と金髪の女を両脇に抱えて、体を触らせてるやばい人でしかない。
現に、通りかかった何人かの生徒から強烈な視線を向けられているのをひしひしと感じる。
「いいからいいから。美女二人に体を触ってもらえるなんて、人生で一度もない人のほうが多いんだから。両手に花ってやつだよ?」
「そうですよ。こんなことが現実で起きるなんて、そうはありません。だから、素直に体を差し出してください」
なぜか二人ともノリノリである。
俺が言うのもおかしな話だが、恋敵のはずなのに、なぜ一緒にいるんだろう。
「黒臼くんの心臓……すごいことになってるね?」
清水さんは楽しそうに左胸あたりを撫でる。
「わぁ、夕陽くんも男の子なんですね」
冬香も真似をする。
心臓が跳ね、頭が真っ白になった。
なぜ、こんなことになったのか。
今日の朝練を思い出した。
いつもとは違う日常の始まりだった。
****
朝練のために家を出ると、夏海、清水さんのいつもの二人はいいとして、なぜか冬香さんもいた。
本人が言うには、清水さんが練習を見学していることを聞いて、自分も見てみたくなったということ……らしい。
さすがの夏海も戸惑いを隠せない様子だったが、一番戸惑っていたのは俺だ。
体育館に金髪女子と黒髪女子が、俺目当てでわざわざ朝練に来るのだ。
当然のように他の部員にもイジられるし、顧問の先生からも逆に心配されてしまった。
「お前……もしかしてハーレム漫画の主人公なのか?」
七沖の至極真っ当な突っ込みを否定することもできなかった。正直、俺もそう思う。
長尾にも羨ましがられたが、オタクに優しいギャルという、漫画の中にしかいないはずの存在と仲が良い君には言われたくない。と突っ込んでおいた。
練習中、夏海が俺の顔を見るたび、大きなため息をつきながら睨んでくるのは理不尽な気がしてならない。
だが、この件に対する感情のはけ口が、俺しかいないのもよくわかるので、何も言わなかった。
他の部員からも羨望と嫉妬の眼差しを受けるハメになり、先日のお兄ちゃん騒動も含めて、部内で俺は相当浮きまくっていた。
朝練後、体育館の玄関に着くと、冬香さんと清水さんが二人で待っていた。
冬香が右手、清水さんが左手を握ってくる。
二人とも、隣り合っているときは喧々諤々としているものだと思っていたが、意外にも楽しそうに話している。
後ろを歩いていた夏海から、殺気と困惑が混ざった、今まで感じたことのないオーラが漏れていた。
その後、冬香と清水さんは放課後の練習も見学をしながら俺の帰りを待っていた。その流れで今に至る。
「夕陽……なにしてんの?」
考えることを諦め、目先の幸せを享受していると、鋭い刃物のような、冷たい声が飛んでくる。
何の感情も読み取れない、無の表情で俺を見下ろしている夏海が目の前に立っていた。
「えっと、あの……これは俺じゃなくて……」
俺ではないのだが、ここで他責をするのは男がすべきことじゃない気がする。
「星田さん、顔怖いよ?」
夏海はオーラで般若を召喚しながら清水さんを無言で威嚇をする。
清水さん。笑いながら挑発をしないでほしい。
「えっと、二人とも寒いって言うから……その、暖めてあげようかなって……」
背後の般若が二体に増えた気がする。
一応、男気を見せて俺が主犯であるような言い回しでフォローしてみたが、余計まずいことになってしまった。
「星田さんもどう?元、恋人のあなたも一緒にしてあげたら、黒臼くんをもっと幸せにできるよ?八木坂さんにも提案したら乗ってくれたし……いいと思うんだけどなぁ」
明らかに『元』を強調している。
前から思っていたが、清水さんの煽りスキルが高すぎる。
夏海は何かを想像したのか、急に顔を真っ赤にしながら地団駄を踏みながら怒る。
「はぁっ!?するわけないでしょ!!鼻の下が伸び切って地面につきそうなやつなんか知らない!こんなのが私の兄扱いされるとかありえないから!」
夏海は振り上げた拳が下げられないのか、冬香にも目を向ける。
「冬香さん!あなたのことは応援するって言ったけど、こんな不埒なことをするためじゃないからね!?」
冬香はおそらく、初めて夏海から怒られている。
少し動揺しているみたいだが、変わらずに制服の中で手は動いている。
「夕陽くんが幸せを感じてくれるなら……それでもいいかなって思いまして……。ほら、見てください。とろけてる夕陽くんの顔、可愛くないですか?」
冬香は俺の頬をつつく。清水さんもそれに乗って反対側の頬をつついてくる。
俺は何も考えずに、その場に流されて何も考えないようにすることで、乗り切ろうと決意した。
「まぁまぁ、夏海。当事者の三人が納得してるんだから……とりあえず、それくらいにしてあげたら?」
七沖が宥める。夏海はまったく納得いってなさそうだが、とても長いため息をして言葉を飲み込む。
「まぁ、いい……いや、よくないけど、ムカつくけど!外野の私はもう帰るから。じゃあね!ほら七沖、行くよ!」
七沖は夏海に服を掴まれながら「お幸せに〜羨ましいなぁ」と手を振りながら退場していった。
嵐が去ったあとのような静寂を感じる。
俺は改めて、尋ねた。
「えっと、二人とも……今日はどうしたの?何かあった?」
「明後日の日曜日は、清水さんとデートじゃないですか。答え次第では夕陽くんと、こうすることもできないんだなって思ったら、居ても立ってもいられなかったんです」
「そういうこと。私も八木坂さんも、互いに黒臼くんのことが好きなことは知ってるし、当然、あなたも知ってるでしょ?」
それはそうだが、なぜこういう状況になるのか。それがわからないのだが。
「……冬香さんの行動の意味は、わかった。でも、それがこの状況とどう関わってるの?」
「簡単だよ。今、この瞬間だけは……私たち二人であなたを喜ばせて、幸せにすることができるから。だから、細かいことは気にしないでいいの」
清水さんは懇願するように上目遣いで見つめてくる。
「……わかった。気持ちもすごい嬉しいんだけど……冬香さんはいいの?」
「はい。清水さんは恋敵ですけど、それよりも夕陽くんが幸せであることのほうが大事ですから。それに、どちらかと付き合ったら……優しくて責任感が強い夕陽くんには、こんなずるいことはできませんよね?」
冬香は俺の胸あたりに腕を回し、ギュッと抱きつく。
「黒臼くん、役得だね?」
清水さんは膝の上に頭を乗せ、手はシャツを強く握る。
穏やかな表情の彼女たちを見ていると、この状況を受け入れている人として最低な自分さえ、肯定されているような気がした。
冬香の肩に手を回し、抱き寄せる。
そして、清水さんの頭に手を乗せ、優しく撫でる。
二人から小さな声が漏れた。
本当はこんな節操のないことをすべきではないのだろう。
それでも、ここにいる三人はそれを認めている、はずだ。この瞬間だけは許されると信じたい。
二人は何を考えているのだろうか。
俺は、こんなにも想ってくれる女性がそばにいてくれたことが、とても幸福な人生だと考えていた。
それと同時に、やはりどちらかを選ばないといけない責任があるのだと、改めて身に染みた。
「二人とも、ありがとう。こんな俺を好きになってくれて」
「『こんな俺』じゃないですよ。私たちにとって、夕陽くん以上の男性はいません」
「そうだよ〜?私たちが選んだ人なんだから、もっと自信を持ってほしいな」
俺たちは曖昧な関係であることを許容し、そうであることを言い訳にして初めて手に入る――
今日という特別な時間。
きっと二人は、これをプレゼントしたかったのだ。
二人は仲良くなったわけじゃない。互いに相容れない考え方もあるはずだ。
それでも、俺のためにこうして寄り添ってくれる。
本当に、幸せ者だ。
風が吹くたびに、俺は彼女たちを撫でていた手に力を少しだけ入れる。
夜空の下で、彼女たちからもらった宝物を愛でていた。




