4話 見つからない心とフジバカマ
高校バスケの世界では年末に行われるウィンターカップという3年生にとっては高校生最後の大きな大会だ。俺が所属しているバスケ部は9月の予選で敗退し、世代交代が行われた。万年控えの俺にはあまり関係がない話だった。
「黒臼、これ飲む?」
夜バスの休憩中、篠田に呼ばれた俺は、目線はスマホに向けたまま、生返事をする。篠田は俺がまともな返事をしなかったお返しとして冷凍されたパウチタイプのスポーツドリンクを俺の首に押し付ける。スマホを触っていた俺は冷たさに驚いてスマホを落としそうになる。それを見た篠田はいたずらっ子のような笑い方をしていた。
「つめた……!もっと普通に渡せよ、びっくりするだろ」
「お前が悪いんだろ。せっかく一度、家に戻ってからクーラーボックスで持ってきてやったのに受け取らないんだからさ」
正論を言われる。反論する余地もないので、俺は一言だけ感謝を伝えて受け取る。それを手持ちのタオルで包んで、首元に当てる。
ここは篠田の母校の中学校。体育館は22時まで夜間開放をしていて、俺も不定期に誘われるから、よく来ている。篠田は中学校から自宅までの距離が短いため、毎回自宅へ戻っているようだ。
「あのさ、星田のことなんだけど……」
篠田はおもむろに口を開く。言い方と話し方の間に嫌な湿度を感じる。
「……何?」
声のトーンが下がる。それを聞いた篠田は慌てて弁明する。
「いや、別に変な意味じゃないんだけど……。ただ、そろそろあいつの誕生日だし、何か好きなものとか欲しいものはあるのかなって。ほら、友達の誕生日を祝いたいのは普通のことだろ?」
篠田が友達の誕生日を祝ったことなんて聞いたことがない。それとも最近、そういう考えになった、とでも言うつもりなのだろうか。
「あいつが好きなものや欲しいもの、ねぇ。俺はそういう祝い事に興味がないからわからないなぁ。強いて言うなら……俺じゃない?」
毎年、誕生日は美味しいケーキを一緒に食べたりするし、クリスマスもプレゼントをあげたりもする。だから渋めのチョコレートケーキが好きなことも、あいつが香水にハマっていて欲しがっていることも知っているが、絶対に言わない。
「自分が一番の誕生日プレゼントってか?自画自賛しすぎだろ~」
「そもそも、お前には八木坂さんがいるだろ……。彼女にあげるべきだと思うけど」
「それは……冬香にはちゃんとプレゼントをあげてるに決まってるだろ。その上で友達にあげようって話をしてるんだよ」
初めて八木坂さんと出会ったとき、彼女は篠田が遊びに行く姿を寂しそうに見ていたことを、俺は知っている。
篠田が言っていることが真実か否かは知らない。だが、少なくとも、本当に大事にされている彼女なら……あんな顔をしないはずだ。
「夏海の誕生日のプレゼントを買うために、彼氏である俺に聞いてる暇があるなら、八木坂さんのことを大事にしてやれ。金と時間と心を向けてやるべきだろ。」
以前から軽いやつだとは思っていたが、これほどとは思わなかった。夏海の意志がなんであれ、こんな奴に彼女を渡したくない。八木坂さんに対する侮辱でもある。
「うぜぇなぁ、冬香は関係ないだろ……。誕生日でもないのに、なんでプレゼントを渡さないといけないんだ?」
本気か?八木坂さんには特別な事情がないとプレゼントを渡したくないって言ってるようなもんだぞ。
夏海がこんなやつからプレゼントをもらっても嬉しいはずがない。
「篠田……八木坂さんをそんな風にーー」
俺は、今すぐ掴みかかるような勢いで近寄ろうとする。
「黒臼、お前、冬香の何なんだよ?そんなに必死になる意味がわかんねぇんだけど」
お前こそ、夏海の何なんだ……?
声にならない怒りが喉から出かけたが、言葉にならなかった。
「もういい、わかったよ。明日、星田から直接聞くわ」
面倒になったのか、両手を挙げて降参のポーズを取りながら投げやりになる。
「明日……?」
「あ……まぁ、会えたら聞いてみるってことだよ」
たしかに明日は日曜日、練習は休みだ。少し前、その日曜日に夏海とのデートを入れよう誘ったが、先約が入っているからと断られた。
篠田と遊びに行く予定なのか。
心がざわついて視点が定まらない。
普段、男と話したり遊んでいる分には不快に思うことはあれ、否定することはない。だけど……今はすごく否定をしたい気分になった。
口元が、考える前に動く。
「ダメだ、聞くなよ」
口走る。これ以上言えば、もっと面倒なことになるのは分かっているのに。
「は?それは俺と星田の自由だろ」
正論だ。
だけど、自分を守るために、たとえ俺が間違っていても言うしかなかった。
「彼氏の俺が言ってるんだからダメなんだよ!」
体育館に静寂が広がる。
大声を聞いた他のメンバーがこちらを一斉に振り向く。修羅場の雰囲気を感じてヒソヒソ話をしながら、面倒な空気から逃げ出すように練習を再開しようと準備運動を始めた。
普段は怒ることのない俺が突然、大声を上げた姿を見て篠田もドン引きをしている。場の空気が凍っているのがわかる。
周りが準備運動を始めたのは篠田にとっても、この空気から抜け出せる助け舟だったのだろう。
「悪かったよ、練習に戻ろうぜ」ため息をつきながら、一言だけ告げて立ち上がる。
結局、練習が終わるまで俺は集中することができなかった。心が受け入れられない。俺の意志とは関係なく空白が広がり、心臓が痛む。
夜バスを終えて帰ってきたのは21時頃だった。汗まみれの服を洗濯機に放り込んで、体を濡れタオルで拭きながらソファに倒れる。スマホを開くと約30分前に夏海から着信があったようだ。
ため息をつきーー自分の行動にショックを受ける。
彼女から電話がかかってきたら喜ぶところじゃないのか?なぜ、俺はため息が出たんだ?
心の弱さに、辟易する。
なんとなく無音が嫌で、震える手でテレビをつけると、絶滅危惧種の植物に関する特集番組が始まる。
映し出された薄紫の小さな花を視界の端に捉えるが、気にも留めずに聞き流しながら冷蔵庫から水のボトルを取り出して注ぐ。
飲みながら電話をかけたが、最初の発信は繋がらなかった。もう一度かけてみようと、発信ボタンを押そうとしたとき、スマホが手からこぼれ落ちる。
少しイライラする。心を落ち着けて、もう一度スマホを手に取り発信ボタンに指をかける。
力が入らない、けど夏海に電話をしなくては……
次は電話が繋がった。
『あ、夕陽?ごめん、篠田たちと夜バスやってたんだよね?忘れていて……電話かけちゃった』
大丈夫、いつも通り話せばいいんだ。
スマホを持つ震える片手を、もう片方の手で押さえる。
彼女の気遣いの言葉の後ろでは複数の歌声が聞こえる。カラオケに行っているようだ。
「どうした?何か困ったことがあったの?」
『ううん、そういうわけじゃないんだけど……ただ、大丈夫かなって思って』
「俺のことを心配してくれてるの?大丈夫だよ。ありがとう」
嘘をつく。彼女の問題ではないはずだ。俺が自分の心と折り合いを付けるのが下手なだけ。俺が被害妄想に振り回されているだけだ。
『そう?本当に?明日のデートだって断っちゃったし……ごめんね、わがままばかりで』
「平気だよ。夏海は友達が多いからね、仕方ないよ。その代わり、その分の埋め合わせを今度はしてくれると思って、次を楽しみにしてるよ」
強がる。本当はこんなことを言いたくない。本当は一緒にいたい。本当は、俺を優先して欲しい。
『うんっ!今度は美味しいパンケーキのお店を見つけたから一緒に行こう。もちろん、私の奢りだから。楽しみにしていてね?』
「わかった、楽しみにしてるよ。夏海も遊ぶのはほどほどにしないと、君のお母さんがーー」
いつものクセで思わず、つまらない保護者のようなことを言ってしまったと思っていると、夏海の電話から男性の声が聞こえた。声の主はテンションが上がっていて何を言っているのかよく聞こえなかったが、どうやら夏海の番が回ってきて呼びに来たようだ。
『ちょっ!今、彼氏と電話してるから……うるさいっ!』
向こうにいる夏海は、俺がいなくても楽しそうだ。
心臓の鼓動が早まり、再び痛む。
あぁ、そうだ。俺が彼女の身を案じるなんて無粋で邪魔なだけじゃないか。なんで俺はそんなことにも気付かなかったんだ。
そう彼女を思った途端、俺の中で空白の音が広がる。
何も聞こえない……何も聞きたくない。
自分の加速する心音だけが広がり、それ以外は何もーー。
スマホを耳から外し、マイクに向かって一言だけ話す。
「……夏海、俺のことは気にせず楽しんできて。おやすみ」
俺は何も考えず電話を切ってしまった。通話が切れる直前に夏海が何か言っていたような気がするが、今は……なにも考えたくない。
視界が暗くなり、光が消えていく。
「朝になれば、全部、夢……で、なつ……み、は……」
睡魔に襲われながら、喉の奥で何かを押し殺す。薄れゆく意識の中で、最後に浮かんだ顔は夏海ではなかったことだけは覚えている。




