34話 決意とグラジオラス
霜月の名に相応しい寒さの中、いつものように黒臼くん、星田さんと一緒に登校する。
自転車を漕ぎ、体が風を切るたびに冷たさが身にしみる。
髪色を金に変えてから、それ相応の姿となるために、スカート丈を短くするようになった。最初の頃はこの気温が辛かったが、今となっては当たり前となりつつある。
黒臼くんの自宅前で彼を待っているあいだ、星田さんが私のことをしきりに見てくるのはなんだろうと思っていたが、おそらく黒臼くんのコーディネートについてアドバイスを聞きたかったのだろう。
先週の日曜日に、みんなで水族館へ遊びに行くと、黒臼くんから聞いていた。
せっかくの水族館だ。星田さんと八木坂さんには、彼を楽しんでもらえるよう、素の魅力を引き出せる外見にしておいた。
同時に、私だけそこに行けないのが少しだけ悔しかった。その代わりに、私の趣味と私の香りを上乗せしておいた。
あれだけかっこいい彼を見せてあげたんだから、これくらいは許されるはずだ。
彼女の反応からするに、どうやら気に入ってくれたようだ。星田さんはプライドが高い。だからこそ事実を捻じ曲げるような卑怯なことをしないのは知っている。
その星田さんが態度で示してくれたのだから間違いない。
ウエストに香水をかけたときに彼の体を見たのか、と聞かれかけたが……それは私だけの秘密にしておく。
教室に到着すると、星田さんの席の周囲にはすでに三人ほどのクラスメイトが談笑をしていた。
黒臼くんはいつも通り、私たちに軽く手を振り、一人で自分の席に向かう。
彼女は教室に入った途端に、私へ見せていた硬い態度から一変して、柔和で爽やかな笑顔を自然に作りながら、自分の机にいるクラスメイトと挨拶をする。
この柔軟な対応力が、たくさんの友人を作るのに役立っているのだろう。
そして、それは小学生の私から黒臼くんを取るための武器にもなっていたと思う。
中学生の頃も、黒臼くんとは仲の良い友人であり続けたくて頑張っていたけど、その間にも彼女は、黒臼くんの心に入り込み、彼の中から私を追い出そうと必死だった。
そして、文字通り私が追い出されたとき……つまり、黒臼くんと星田さんが付き合い始めたとき、私は彼女の人間性と能力が恐ろしくなった。
星田さんの姿を見ながら過去を思い出し、背筋が凍る感覚に襲われながら、自分の席に座る。
「しーちゃん、おはよー」
一ノ瀬さんが声をかけてくれた。後ろには桑田さんもいる。
「おはよう、二人とも」
私は彼女たちに手を振る。
一ノ瀬さんと桑田さんは、私の恋を応援してくれてる。私の黒臼くんに対するアプローチの半分は彼女たちのアドバイスをもとに決めたものだ。
「みっちゃん、おはよ!」
桑田さんは椅子に座った私の後ろから抱きつく。
スキンシップがとても積極的な人で、一日一回は必ず抱きつかれる。
一ノ瀬さんは私のことをしーちゃんと呼ぶが、桑田さんをはじめとした、他の友達はみっちゃんと呼んでいる。
彼女だけ、頑なに呼び方を揃えないのは何か理由があるのかもしれないが、聞いても教えてくれない。
一ノ瀬さんは隣の椅子を引っ張ってきて座り、桑田さんは、私の机の上に座った。
「昨日、なおっちから聞いたんだけど、男子バスケ部もマネージャーの募集はしてるってさ。みっちゃん、やるの?」
桑田さんはスマホを触りながら、教えてほしかったことを話してくれた。
なおっちこと長尾くんとは、一ノ瀬さんたちがバスケ部の練習スケジュールや土日の大会の予定を聞くために、今も接触している。
だが、一ノ瀬さんは早々に連絡を取らなくなったらしい。最近はもっぱら桑田さんが話しているようだ。
「うーん、どうしようかな。黒臼くんのことは関係なく、面白そうであるんだけど……」
「えー、さすがにやめたほうがいいんじゃない?だって、始めたらすぐやめられないよ?」
一ノ瀬さんが反対した。私と桑田さんは戸惑いを隠せず、思わず目を合わせる。
今までは全面的に協力してくれていたので、なおさらだ。
「志都、急にどうしたの?みっちゃんの応援をするって言い出したのは、志都だよ?」
桑田さんは戸惑いながら尋ねた。
一ノ瀬さんはバツの悪そうな顔をしている。言い出しっぺだから、というのもあるのかもしれないが、それだけではない含みを感じた。
「一ノ瀬さん、何かあるの?」
何か事情があるのかと思い、私からも聞いてみたが、一ノ瀬さんはますますしおれて黙ってしまった。
「えー……だってさ、マネージャーになったら平日も土日も部活にかかりっきりなんだよ?そしたら、しーちゃんと遊べなくなっちゃうじゃん……」
後半はゴニョゴニョしていて聞き取りづらかったが、つまり――
「一ノ瀬さん、私がいないと寂しいんだ?」
彼女は真っ白な肌を紅潮させながら、そっぽを向いてしまった。
私は一ノ瀬さんの頬を人差し指でつつきながら、反応を楽しむ。
私との時間を大切に思ってくれる、可愛らしい彼女の気持ちを尊重しようと決めた。
桑田さんは、スマホを触っていた手を止めて、真顔でじーっと彼女を見つめていた。
しばらく三人で談笑をしていたが、時計を確認すると、そろそろホームルームが始まる時間だった。
授業が始まる前にトイレへ行っておこうかと思い、廊下に出ると、後ろから声をかけられた。
振り向くと、そこには八木坂さんがいた。
「おはようございます、清水さん」
肩甲骨の上あたりまで伸びた黒髪は、艶やかに光を反射していた。
よく手入れが行き届いている髪だと一目でわかる。
今日は、それをヘアゴムで後ろにまとめていた。
いつも儚い笑顔が似合う彼女にしては珍しく、強い意思のようなものを匂わせていた。
「おはよう、八木坂さん。どうしたの?」
「今週から清水さんが図書室の当番ですよね?」
たしかに、図書室の当番は今週から私のクラスに移った。
「うん、そうだね」
「今日の昼、図書室で少しお話がしたいのですが、大丈夫でしょうか?」
わざわざ人がほぼいない時間帯の図書室で、話したい内容とはなんだろう。
「もちろんいいよ。ちなみにどんな内容なの?」
彼女は「そのときに改めて話します」とだけ言い、頭を下げて去ってしまった。
彼女の表情からして、和やかな内容ではなさそうだ。
おそらく黒臼くんのことだろう。ここ最近、かなり露骨に意思表明をしているのだから、思うところがあって当然だ。
さっきの八木坂さんの雰囲気は、図書委員の集まりで初めて会ったときの彼女とは似ても似つかなかった。
だけど、同時に既視感を覚えた。
あれは――
私から黒臼くんを奪い取った、かつての星田さんと同じだ。
音が消えた気がした。意識に空白が生まれ、永遠とも思える一瞬が訪れる。
「……あ」
思わず手で首筋から頬に触れる。手のひらから、冷たくて固い感触が伝わってきた。
顔に触れた手のひらを凝視し、あたりを見回すと、音と共に意識が戻ってきた。
スマホを取り出して時間を確認する。
もうすぐホームルームが始まってしまいそうだ。
無性にその場から逃げたくなり、早足でトイレへ向かった。
****
3時限目が終わり、中休みの最中、スマホを確認すると父からメッセージが届いていた。
「親父……帰ってくるのか。珍しいな」
日程も曖昧、時間も書かれてない。要約すれば「来週中のどこかで帰ることができそう」と書かれているだけだ。
父はいつも報連相の類が嫌いで、仕事以外では極力やりたくないとぼやいていることが多い。現に唯一の家族である俺にも、この書き方だ。よほどなのだろう。
これでよく会社の取締役をやっていられるな、と思う。
だが、本当に必要なときは、相手に寄り添った連絡をポンと送ってくる人だから、そういうところが欠点を補っているのかもしれない。
予定では、来週の平日のどこかのタイミングで帰れるらしい。
「時間はともかく、日程くらいは明確にしてくれよ。準備するこっちの身にもなってくれ……」
子育ての、「こ」の字もないような放置ぶりだが、これでも唯一の肉親だ。大切にしたいと思っているので、可能な限り手厚く迎えたいが、如何せん予定が読みづらい。
どうしたものかと頭を悩ませていると、夏海から声をかけられた。
「夕陽、大丈夫?なんで頭を抱えてるの?」
「来週のどこかで、親父が帰ってくるらしい。何日に帰れるのか、まったくわからないらしくてさ……飯の準備をするにしても、部活のあとだから面倒だなぁって思ってたところ」
彼女にスマホを渡して、メッセージを見せる。それを見た彼女は苦笑していた。
「じゃあうちに来たら?どうせ帰ってくる時間も夜でしょ?さすがに前日には確定するだろうし……うちの父さんも喜ぶよ」
「え、でも俺と親父を含めて六人前を作るのって大変じゃない?」
「気にしないでいいよ。私も手伝うし、お姉ちゃんにもやらせるから」
そこまでやってもらうのは気が引けるのだが、彼女はすでにその気のようだ。
「いいの?」
「前からいいって言ってるでしょ。それに、夕陽はいつでもうちのご飯を食べに来てもいいよって言ってるのに、全然来ないんだもん」
頬を膨らませている夏海を宥めながら、彼女の頬を指先でつついた。
4時限目の終わりを告げるチャイムが鳴る。
私は席を立ち、まだ机に座っている夕陽くんへ声をかける。
「お疲れ様、清水さん」
彼は変わらず、優しい笑顔を向けてくれる。
「お疲れ様、黒臼くん。さっき悩んでたみたいだけど、どうしたの?」
「ん?あぁ、親父が珍しく帰ってくるみたいでさ。日時が曖昧だから、迎える準備をどうしようかなって悩んでたんだ」
夏海さんと黒臼くんのご両親は仲が良いらしいから、もしかしたら夏海さんは、それを引き合いに悩みを聞いていたのかもしれない。
黒臼くんのお父さんには、会ったことがない。
何気なくそう考えると、私の知らない黒臼くんが見えたようで、知りたいという欲求に駆られる。
「お父さんとも話をしてみたいから、こっちに帰ってきたら教えてほしいな」
「え、あぁ……まぁ、いいけど。会ってもしょうがないと思うよ?」
戸惑いを隠せない様子の彼だったが、「私にとっては、しょうがなくないよ」と言いながら、彼の肩に触れる。
「あ、今日から図書委員の当番で図書室に行かないといけないから、これ、渡しておくね」
家から持ってきた保冷バッグを手渡す。
いつもの食後のデザートだと気付いたのか、彼はニコニコしていた。
楽しみを待ちきれない子どものように、バッグの中身を確認する。
「いつもありがとう。わぁ、プリンだ。俺好きなんだよね。美味しそう。あれ、数がひとつ少ないような……」
「八木坂さんの分はこのあと、私から渡しておく予定なんだ。だから気にしないで」
「そうなんだ、わかったよ。ありがとう」
彼は立ち上がると、星田さんお手製弁当を持って教室から出ていった。
夕陽くんを見送り、八木坂さんの分のプリンを持っていこうとすると、夏海さんから声をかけられる。
「今日は教室で食べるの?」
彼女から話しかけてくるなんて珍しい。何か用事でもあるのだろうか。
「うん。今日から図書室の当番ですぐ向かわないといけないから、ここで食べようかなと」
「ふーん、そうなんだ。わかった、じゃあね」
てっきり言いたいことがあって話しかけてきたものだと思っていたけど、そんなことはなかった。
私の知ってる夏海さんであれば、友達のように声をかけてくるなんてありえない。そう感じるが、それ以上のことはわからなかった。
黒臼くんのあとを追うように廊下へ出ていく彼女を観察していると、一ノ瀬さんと桑田さんに呼ばれた。
一ノ瀬さんたちのもとに戻る前に、八木坂さんへプリンを渡しに行こう。
星田さんの言動に、なんともいえない不信感のようなものが、いつまでも払拭できなかったが、無視をした。
昼食を終え、私は図書室を開けに向かう。
なぜかわからないけど、足取りが重い。
朝の彼女を思い返し、寒気を感じながらも鍵を開ける。
クラスで昼ごはんを食べている彼女にプリンを渡したときは、いつも通りの八木坂さんだった。
きっと私の思い過ごしだろう。彼女は星田さんのように、相手から何かを奪い取るような人じゃない。
ドアを開け、すぐ横の壁にあるスイッチを入れると、部屋の電気がつく。
換気をするために窓を開け、ほうきを持って軽く掃除をする。
日常業務をこなしながら八木坂さんを待っていると、ほどなくして彼女と思われる足音が、廊下から聞こえる。
私は平常心を保ち、心を落ち着ければいい。
図書室の前で足音が止まる。私は本を戻すために、本棚の裏へ回る。
開く音が聞こえ、棚の隙間から覗くと、八木坂さんだった。
彼女はキョロキョロと私のことを探している。
本はすでに戻した。もう本棚から顔を出せばいいだけ。
そのはずなのに、足が動かなかった。
八木坂さんは本を手に取り、椅子に座った。
本を開いて待っている。
私は深呼吸をし、生唾を飲み込んで足を前に進めた。
「あ、八木坂さん。来てたんだ。気付かなくてごめんね」
彼女は本を閉じて、私のほうを見る。
「いえ、大丈夫です」
彼女は、朝と同じ瞳をしている。
儚い光の中心に、芯のように強く輝く、熱い光。
「それで……話があるって言ってたよね?」
私は八木坂さんのテーブルを挟んだ正面の椅子に座り、相対する。
「はい、夕陽くんのことでお話が……あります」
私は膝を揃え、その上に手を置く。
「単刀直入に言いますね」
彼女は私の目をまっすぐ見て、迷いなく告げてきた。
「私は、夕陽くんのことが好きです。清水さんには渡せません」
彼女が黒臼くんのことが好きなのは、わかっていた。目新しい話ではない。
だが、知っていてなお、彼女の雰囲気は私を飲み込もうとしている。
夏海さんと同類のなにかを感じたけど、たぶんそれ以上のものが、彼女にはある。
「……それを私に言って、どうするの?もしかして、デートをするなって言いたいの?」
そうやって釘を刺そうとしてきているのであれば、納得はできる。
だが、彼女は首を横に振り、否定してきた。
「デートは行ってきてください。止める気はありません」
意味がわからない。それなら、なぜわざわざ私に気持ちを言いに来たんだろう。
夏海さんならこの場面であれば、デートをするな、と止めてくるはずだ。
少なくとも彼女は、そうやって黒臼くんの目線と意識を囲い、自分だけに向けさせようとしてきた。
両手を膝の上で強く握り、飲まれまいと必死に言葉を零す。
「それは……ありがたい話だけど、八木坂さんは何をしたいの?私に宣言なんかせず、黒臼くんに直接告白すればいいだけじゃない」
八木坂さんの言い方は、私の自由意志を認めようとしているように聞こえる。
「勘違いさせてしまったようでしたらすみません。それでは意味がないんです」
彼女の挙動は、私のことを考えて言葉を選んでいるように見えた。
これではまるで、私が子供で、彼女にあやされているみたいだ。
「夕陽くんには、清水さんとの過去や思いを全て受け止めた上で、私の気持ちと向き合って欲しいからです。申し訳ないのですが、私は清水さんのためを思ってこんなことを言っているわけではありません」
淀みない言葉で私の心に切っ先を向けてくる。
違う。あやされている、なんていう優しい話じゃない。
夏海さんと同じ、という見立てそのものが甘かった。
彼女は私を明らかな脅威と感じ、私を意識してくれていた。
だけど八木坂さんは脅威どころか、黒臼くんが幸せになるための、選択のひとつとして私を見ている。
選択肢のひとつである私と、正々堂々向き合い、勝つことで、八木坂さん自身が彼にとっての一番だと証明しようとしているのかもしれない。
八木坂さんが本当にそのつもりで言ってきたのか、それはわからない。だけど、今の私にはそうとしか受け取れなかった。
夏海さんの比にならないほど強烈な光を放ち、私の目をくらませてきているように感じた。
「じゃあ……今週末のデートで私が彼を取っても文句はないってこと?黙って受け入れてくれるの?」
「はい、それが彼が選んだ幸せの道なら……私は何も言いません」
全ては黒臼くんのために、自分の気持ちさえ犠牲にできる覚悟はできている。彼女はそう言っているのだろう。
私の心と体が、彼女から距離を取りたがっているのが嫌でも伝わってくる。
私ならそんなこと、怖すぎて虚勢でも言えない。
「私が強硬手段を使って、彼の心を手にして……あとになってもクレームは受け付けないよ?」
「はい、それも含めて大丈夫です」
彼女は話し始めてから一度も目を逸らさない。迷いがない。何が彼女をそこまで奮い立たせるというのか。
「私は夕陽くんのことを信じていますから」
八木坂さんは時計に目を向け、立ち上がる。
「私、諦めないから」
言われっぱなしが嫌で、言い返した。
彼女は手元の本を棚に戻し、ドアに手をかける。
「わかってます。だから、こうしてお話をしたんです。私たちは、夕陽くんに選んでもらうことでしか、受け入れることはできないんですから」
八木坂さんは図書室のドアを閉めた。
時計の音だけが響く静寂の中、私は深いため息をついた。




