外伝 ネメシアとサンドロップⅡ
マックへ向かうため、通学路を自転車で走っていると、前を走っていた古賀くんから声をかけられた。
「俺、中学のとき、夏海先輩と会ったことがあるんですけど、覚えてます?」
覚えてない。というより今もそうだが、中学時代は今以上に夕陽以外の男に対して興味の欠片もなかった。
「ごめんね、覚えてないかも。古賀くんは違う中学だったよね?」
「はい。違う地区だったので、初めて会ったのは俺が中学二年のとき、全中のブロック大会に出場したときですね」
古賀くんが二年なら私は三年、ということになるが……。
まったく覚えてない。そもそも、他校の生徒をいちいち覚える人なんているのだろうか。
まぁ、実際に目の前にいるのだが。
「そっか。うーん、やっぱり覚えてないかも……ごめんね」
彼は「いえ、大丈夫です」と苦笑いをしていた。
「夏海先輩ってミニバスやってましたよね?浜崎さんって知ってると思うんですけど……その人と同じ中学なんです」
ミニバス。懐かしい名前だ。私も小学生の頃、クラブに入っていた。
「あー!美咲か。浜崎美咲でしょ?うん、覚えてるよ。中学に上がる直前に引っ越して転校しちゃったんだよね」
懐かしい名前が出てきて、遠い記憶が呼び起こされる。
「はい、そうです。その大会の日、会場で再会してませんでした?」
「うん、してた。久々の再会でテンションが上がった記憶があるよ」
「一応、そのとき隣にいて紹介してもらいました。まぁそれだけなんで、覚えてなくても当然ですけど……」
「そういうことかー……」
ほぼ会ったことがない、と同じような気がするが、彼はそうではないようだ。
だけど、まったく記憶がないわけではない。美咲を通して当時の記憶が蘇ってきた。
「あ、もしかして美咲が可愛がってるっていう後輩って古賀くんのこと?あのあと、何回か連絡を取ったときにそんな話を聞いたような気がする」
古賀くんは嬉しそうに首を縦に振った。
「そうだと思います。美咲先輩には色々と世話になっていて、今も連絡を取ったりしてるんです」
思わぬところで関係が繋がるものだ。まさか美咲が関わってるとは思わなかった。
話をしていると、マックに到着した。
私たちは話を中断し、早く空腹を満たすため、足早に店内に入った。
注文を終え、空いているテーブル席に座る。
「そうかぁ。美咲の知り合いだったんだ」
とても大人しくて誠実な話し方をする子にしか見えない。
冬香さんたちに手を出して顔面をはたかれた人には到底思えなかった。
「はい、そうなんです」
それだけ言うと、会話が途切れてしまった。古賀くんは何を話すべきか悩んでいるようだ。
私も何を聞けばいいか、よくわからない。正直、冬香さんに手を出した理由とかを聞きたいが、そんなことを言える空気でもない。
「えっと、美咲は元気?」
とりあえず、共通の話題を出してみる。
「あ、はい。元気です。少し前、電話しながら説教されました」
「へぇそうなんだ。美咲って昔から正義感が強いからね。なんかやらかしたの?」
「……学校の食堂で八木坂先輩に叩かれたことです」
「あー……」
ピタッと会話が止まってしまった。でも、彼はこの話をするために、わざわざ前振りをしたのだろう。
彼が口を開くまで待ってみることにした。
数分の沈黙の後、彼は言葉よりも先に頭を下げた。
「すみませんでした。感情に流されるまま、酷いことを言ってしまいました」
「あ、うん……そうだね。えっと……」
私のことがきっかけだと聞いたけど、私自身は現場にいたわけじゃないから、謝られても困る。
「それは私じゃなくて、冬香さんたちに言うべきだよ」
彼は頭を下げたまま、動かない。その状態のまま話し始める。
「八木坂先輩に関しては……すみません。接点がなくて、どう話す機会作ればいいのか、わからなくて……。夕陽先輩と七沖先輩については、謝りたいんですけど、ムカついて謝れません……」
冬香さんはともかく、男二人については何ら理由にもなっていない。
「なんでムカつくの?」
彼は言い淀む。「えっと……」というつなぎ言葉だけが独り言のように聞こえる。
「あ、無理に話さなくていいよ。明日、私から言っておくこともできるし」
気を利かせてみたが、彼は頭を横に振ってから顔を上げた。
「夏海先輩は夕陽先輩と別れたんですよね?」
話の繋がりが見えてこないが、答えないといけなさそうだ。
「うん、別れたよ」
「恋人はいないんですよね?」
「……うん、いないね」
「じゃあ、まだ二人とも恋人みたいに見えるのは、なぜですか?」
何を言っているのか、よくわからなかった。別れたと言ったのに恋人みたいに見えるのはなぜ?というのはどういうことだろう。
「ん?別れたから恋人じゃないよ?」
彼は言葉を開きかけたが、カウンターから番号の呼び出しが聞こえた。どうやらできあがったようだ。
とりあえず、私たちは注文したバーガーセットを取りに行った。
席に座り、ポテトを口に入れながら話を聞く。
「えっと……そういうことじゃなくて、ですね。別れたはずなのに、別れる前と何も変わってないように見えるんです。むしろ、距離が縮まったようにさえ感じるときもあります」
彼は、自分でも気持ちの整理ができていないのかもしれない。言葉を選ぶように続ける。
「正直、夏海先輩と夕陽先輩がどういう関係なのか、よくわかりません」
要するに彼は、私のことが好きなのだろう。だから私に恋人がいるかどうか、それが気になって仕方ないわけだ。
「それと、夕陽に謝れないことに何の関係があるの?」
意地悪をしたいわけじゃない。単純に話が見えてこないから聞いた。
「少し前、夕陽先輩に、このことを話しました。夏海先輩のことをどう思ってるんですか?と……」
私は黙って頷いた。
「家族だと言ってました。血の繋がりもないのに、家族だと言ったんです。一応、確認したいんですけど……夏海先輩と夕陽先輩の親同士で再婚してるから義理の兄妹、みたいな話ではないですよね?」
「違うよ。だから私と夕陽には、いわゆる家族と呼べる関係性はないかな」
一般論としてはそうだ。私たちはそれに当てはまらないけど。
たぶん夕陽は、私がそう考え始めるよりも前にこの結論に達していたのだろう。
私が別れ際に八つ当たりをして、引きこもっている間……私のために、自分自身のために、彼はずっと考えてきたはずだ。
「じゃあ、なんで夕陽先輩はあんなことを言ったんですか?あの人が勝手にそう言ってるんです?」
「それも違う。私も、夕陽のことを家族だと思ってるよ」
古賀くんは言葉が出ないようだ。彼の目線が下に落ちる。
「夏海先輩もそうだって言うんですか?じゃあ恋人は?恋人は誰なんですか?本当にいないんですよね?」
「それは……」
適切な言葉が見つからなくて、それ以上、続かなかった。
それは私も答えられない。自分でも曖昧にしてる部分だ。
私の恋人の席には……例えるなら、夕陽の影がいるような感覚に近い。
すでに恋人としては私の元から去っているのに、私の内には未だ鮮烈に残っている。
新しい恋人を見つけようと考えたこともある。そのたびに彼の影が後ろをついて来た。
どんな男性と会っても、夕陽と比べてしまう。
結論はいつも同じ。
彼より魅力的じゃない。
そして、現時点では古賀くんも同じ結論だ。
仲良くなれば、もしかしたら変わるかもしれないけど……少なくとも古賀くんでは、たぶん変わらない。
「恋人はいないよ。だけど、今は作ろうとも思えないかな」
今、言えることはこれしかなかった。
「俺じゃあダメですか?」
「うん、たぶんダメ。でも君が悪いわけじゃないよ。私がダメって感じるだけだから」
「理由は、なんですか?」
「……わからないんだ、ごめんね」
本当にわからない。私が聞きたいくらいだ。夕陽の何と比べて、他の男性が魅力的じゃないと感じるのか、わからない。
「さっき、なんで夕陽先輩がムカつくのか、聞きましたよね?」
古賀くんは飲み物を一口飲んで、続ける。
「これが夕陽先輩をムカつく理由です。夏海先輩と別れたのに、まだ先輩の後ろにいる。そのくせして八木坂先輩もいて、わざわざ練習風景を見に来るほどの女性までいるじゃないですか」
彼は頭を抱える。解けない難問でも解いているかのように眉をひそめている。
「何なんですか?振った女を家族として取り込んで、他の女を恋人に据えようとしてるなんて傲慢だと思いませんか?しかも夏海先輩さえ、それを容認してる。考えるほど頭がおかしくなりそうです」
ものは言いよう、なのかもしれない。私はそんな捉え方を一度もしたことはないし、今後もしない。
彼には、私たちの背景が見えてない。だから私と同じ考えに至ることはないだろう。
だけど、彼が軽い気持ちで言葉を発しているわけじゃないこともよくわかった。
むしろ古賀くんの見え方のほうが一般的と言えるのかもしれない。
「ごめんね。私もなんて言えばいいかわからない。何か特別なきっかけがあって、夕陽のことを家族だと思うようになったわけじゃないから。いつのまにか、気付いたらこうなってたんだ」
伝わるかどうかわからないけれど、最後に私の価値観を伝えることにした。
「私は、人の心っていうのは全てを割り切れたり、名前をつけられるものばかりじゃないと思ってる。グラデーションって言うのかな。名前のない色みたいなものがたくさんあって、私と夕陽は互いが理想とする色を見つけて、それが偶然同じだったんだと思う」
彼はうつむいた。ため息をつきながら顔を上げ、上を向く。
「そうですか……どうやら、俺には理解できない世界みたいですね。すみません、声を荒げてしまって」
「ううん、大丈夫。私もごめんね、上手く説明できなくて」
「いえ、大丈夫です。実は夕陽先輩に聞いたとき、わからなくていいよ。と話を切られてしまったんですけど……その意味がようやくわかった気がします。言い方はムカつきましたけど、本当にその通りでした。あの人は最初からこうなることがわかってたんですね」
私は何も言えなかった。これ以上、彼にかける言葉が私にはない。
それから5分くらいだろうか。古賀くんはポテトだけ残した状態で、立ち上がった。
「今日は帰ります。ご迷惑をおかけしてすみませんでした。夏海先輩はまだここにいますか?」
「うん、もう少しここにいようかな。古賀くんと話して、ちょっと考えたいことができたから」
「わかりました、おつかれさまでした」
「あ、ちょっと待って。もうひとつだけ聞きたいことがあるんだけど……」
「はい、なんでしょう?」
「夕陽がムカつく理由はわかったんだけど、七沖がムカつく理由は?」
「あー、それは……あれですね。普段おちゃらけてるのに、変なところで……こう、図星を突いてくるのが、ムカついたんです」
「うん、それはわかる」
私たちは、思わず笑ってしまった。
彼は「ありがとうございました」と言いながらトレーを持って立ち上がり、店舗の入り口へ向かった。
「古賀くん」
背中を向ける彼に声をかける。
「思ってること、たくさん話してくれてありがとう。君にもいい人が現れることを願ってるよ。美咲にもよろしく伝えてね」
「えぇ、わかりました。伝えておきます」
「うん、また明日」
彼はこちらには顔を向けず、そのまま外に出て行った。
慰めにもならないだろうけど、明日以降、古賀くんが少しでも部活が気まずくならないように、せめてもの言葉を贈った。
しばらくのあいだ、駐輪場に向かう彼を目で追い、見送る。
結局、冬香さんに手を出した直接的な理由は聞けなかったけど、推測くらいはできる。
たぶん、伝えたかったことは同じだ。夕陽が手にしようとしているものが、彼にとっては理解の範疇を超えた関係性で……その枠の中に私が巻き込まれていると思ったのかもしれない。
だから冬香さんを揶揄することで、感情に流されながらでも、自分の意見をぶつけたかったのだろう。
今の私目線だと幼稚な言動だけど、私が古賀くんの立場だったら、同じようになるのかもしれない。
私の好きな夕陽が、私の知らないところで清水さんと時間を重ねて、関係が深まって、恋人になって、私の理解を超えた場所へ彼の居場所が移っていたら……。
もしかしたら、小学生の頃に夕陽を好きなまま諦めていたら、今の彼と同じ気持ちになっていたのかもしれない。
私は飲み物を口にして、一息ついてから立ち上がる。
柱の向こう側の席からひそひそ声が聞こえたので、そちらに歩いていく。
「やばいって……絶対バレたでしょ」
「ばかやろう。俺たちの完璧な隠密行動には、万に一つの隙もなかったはずだ」
「というか、古賀の奴……まるで俺が女を侍らせてるみたいな言い方をしてたけど、誤解を招くようなことを言わないでほしいんだが……。変な噂を流されたらどうしよう……」
「俺なんて、あんなシリアスな話をしてるのに、どうでもいいおまけのような理由でムカつく判定されてるんだぞ。雑すぎるだろ。もっとシリアスな理由をくれ」
そこには夕陽と七沖が息を殺しながら潜んでいた。
「で、二人はこんなところで何をしてるの?」
二人は体を屈め、低い体勢でポテトを頬張っている。
私はテーブルに優しく両手を置いて、可能な限り優しく問いかけた。
「いつから……気付いてた……んですか?」
七沖は怯えながら、私に伺いを立てた。
「最初から。先に店、入ってたよね?」
「ほら、だから言ったじゃん。最初の時点で目が合った気がしたんだよ……」
夕陽がため息をつきながら、バーガーを口にする。
「まぁとりあえず、二人には言わないといけないことがあるから。ちょっと広い席に移動しようか?言い訳はその時に聞くから」
空いている席を指さしながら、さり気なく帰ろうと準備をしている二人に、釘を刺した。
七沖には体育館でとぼけて裏切ったこと、夕陽には古賀くんを煽るようなことを言うついでに、私に丸投げするな、と説教した。
その他諸々、古賀くんと話したことも含めて言いたいことがあったので、1時間ほど問い詰め、最後は私の食事代を奢らせた。
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古賀くんに言われた通り、私は夕陽に対して割り切れない思いをまだ残している。簡単にどうにかできることではないだろうし、時間が解決するしかないかもしれない。
それでも、私と夕陽の内にある、思い出と共に重ねてきた色。その先で見つけた今の関係が、一番尊いと感じている。
ここに至るまで互いを傷つけ合って、苦しんで、離れた。それでも相手を想う心は消えなかった。それは夕陽も同じだと思う。
たとえ、他人には理解されない関係だとしても
私たちが選んだ、私たちだけの色は決して消えない。




