外伝 ネメシアとサンドロップⅠ
部屋に二つあるうちの、南側にある出窓のカーテンを開くと陽射しが差し込んでくる。
「まぶし……」
窓から強い朝陽が入り、目の前が一瞬だけ白くなる。
「夏海ー、ご飯できたって。早く準備して降りてきなよ」
ドアの向こうからお姉ちゃんの声が聞こえた。
「うーん、わかったー」
寝起きで気の抜けた声しか出せなかった。
出窓に置いてあるサボテンの様子を観察する。問題がなさそうだから、西側の出窓に付いているカーテンも開ける。
以前、夕陽との初デートで買ったサボテンは、枯れてしまったので捨てたのだが、そのあと別のサボテンを買った。
今回はちゃんと育て方も調べた。サボテンの隣には、常に育て方に関する本を常備してある。
先日、メッセージで夕陽にサボテンのことを正直に話した。
初デートのものは枯れてしまったこと。その代わり別のサボテンを買ったこと。今度は枯らさないように気を付けること。
そうしたら、夕陽は喜んで褒めてくれた。俺で分かることであれば相談に乗るからいつでも連絡してほしいとも言ってくれた。
他人事の話を自分のことのように喜んでくれるところが、彼らしい。
サボテンを見ていると気分が穏やかになる。枯らせてしまった、かつての私にも教えてあげたいくらいだ。
土が乾いていないかを確認してから、部屋着をワインレッドのベッドに放り投げ、さっさと着替える。
鏡で寝癖のチェックをして早歩きで一階のリビングへ駆け降りた。
「おはよう」
目を擦りながらリビングのドアを開けると、お姉ちゃんが忙しそうに朝食を食べていた。
「お姉ちゃん、よく噛んで食べないと太るよ」
「うるさい、あんたも早く食べて夕陽くんを迎えに行かないと、清水さんに取られちゃうよ」
皮肉に皮肉を返されて若干イラッと感じたところに、お母さんが私の分の朝食をテーブルに並べてくれる。
「早く食べちゃいなさい。あなたと夕陽くんの弁当は出掛ける直前に保冷バッグに入れて持って行きなさいよ。忘れないようにね」
小言を言われ、お母さんへイライラのベクトルが向きかけたが、小さなため息をついてその感情を宥める。
「いつもやってるからわかってるって」
「そう言いながらこの前も忘れてたじゃん」とお姉ちゃんから揚げ足を取られた気がするが、無視をした。
椅子に座り、いただきますと手を合わせる。
「最近、反抗期が落ち着いたね」
姉がまじまじと私のことを見ながらそう言うと、母が「そう?ほんの少しマシになっただけでしょ?」と突っ込みが聞こえた。
「え、いつもこんな感じでしょ。大袈裟だよ」
本当のことを言ったはずなのに二人から疑惑の目を向けられている気がするが、これも無視する。
姉は食事を済ませると、早々に立ち上がり、廊下を早歩きで玄関に向かう。
「お姉ちゃん、今日は大学に行くの?」
「たしか……おーぷん、かんぱにーに行ってくるって言ってたわよ」
言葉の表面だけをなぞったような言い方を「そうなんだ」と聞き流しながら食事を終えた私は、姉が置きっぱなしにした食器も含めて台所に置いた。
「じゃあ、私もいってきます」
お母さんに「弁当を忘れてるよ」と怒られながら、今日も清水さんがいるであろう夕陽の家に向かう。
****
自転車で夕陽の家に着いたときには、清水さんはすでにいた。
見せ付けてるわけじゃないだろうけど、派手な髪が私の視界に入るたびに眉をひそめてしまう。
「おはよう、星田さん」
当たり前のように挨拶をしてくる。そんな当たり前はいらないのに。
「おはよ、清水さん」
いくら気に食わなくても挨拶だけはしないといけない。断腸の思いで返す。
私は挨拶のときだけ目を合わせ、それ以外はスマホを見ていた。
清水さんから何か声をかけられることもない。こちらとしてもありがたい話だ。
一瞬だけ彼女の様子を伺う。
一点の曇りもない穏やかな表情で、玄関を見つめていた。
昔も今も……夕陽との関係で、恋人という肩書の有無に関わらず、個人的な気持ちだけで言えば彼女は気に入らない。
だが、この一途さだけは評価している。
小学生のときも一人で藤の花のベンチで待っているところを何度も見かけたし、中学生のときも私が夕陽と付き合うまでは、何かにつけて夕陽と話そうとしていた。
彼と知り合い、失恋をしてから、もう何年も経ってるはずなのに、彼女の心は変わらず夕陽の元にある。
認めるしかない。彼女は優しさの上っ面だけを見ているのではなく、本当に夕陽のことが好きなんだ。
だからこそ、昔から人として脅威に感じていた。
「どうしたの、星田さん?」
「なんでもない」
いつのまにか凝視をしていた目線を再び逸らした。だが、今度は清水さんが目線を返してきた。
「そういえば……私の、黒臼くんコーディネート、どうだった?かっこよかったでしょ?」
言われた途端にそのときの感情を思い出したこと、「私の」を強調してきたことにカチンときた。せっかく評価してあげたのに。こうやっていちいち楯突くところが嫌いだ。
「知らないし教えない」
口が裂けてもかっこよかった、なんて言わない。
「そっか。それならよかった」
「何も言ってないんだけど?」
なぜか安心する清水さんに私は食ってかかる。何もよくない。
「言ってるよ。かっこよかったんでしょ?でも私の気配や香りが強くて認められないって顔に出てる」
清水さんは私の頬を人差し指でつつきながらそう見透かすように言った。
私は返事もせず、つつかれてることを無視しながらスマホに目を落とした。
「ちなみに、使った香水はこれ。藤の花の香り。良い香りだったでしょ?手首はすぐ気付かれて消されると思ったから、ウエストあたりにも付けておいたんだけど、気付いた?」
視界の端で清水さんがこれ見よがしに香水をちらつかせる。
「は?」
口には出さなかったが、最後の最後まであの香りが夕陽から消えなかった。手首の香りが残ってるものだと思っていたが、まさかウエストにも……。
「というかあんた、ウエストってことは夕陽の体を見たって――」
言いかけると、彼の自宅ドアが開いて声が聞こえる。
「おはよう、二人とも」
「おはよう」
夕陽の挨拶に対して、清水さんと声がハモってしまった。
夕陽の裸体を見たのかと問い詰めようかと思ったが、彼の挨拶を聞いて無意識に反応してしまった。
いつも通り優しそうな彼の顔が見えて、荒れていた心が整ってしまった。
言うタイミングを失ってしまったので、仕方なく切り替える。
「夏海、大丈夫?」
「うん、大丈夫。それよりも昨日話した、サボテンの話なんだけど――」
今日も夕陽と一緒に学校へ向かう。
****
授業の合間。私は数人のクラスメイトと話している隙に、夕陽の様子を見ていた。
清水さんと、いつも彼女とつるんでいる一ノ瀬さん、桑田さんは夕陽の机に張り付いて楽しそうに話をしてる。
教室にいる手前、あまり素で威圧することができない。冬香さんが同じ教室ならこんな歯痒い思いをしなくて済むのに。
それにしても――
夕陽もずいぶんと社交的になったような気がする。高校に入ってからしばらくは、一人でいることを望んでいる空気を醸し出していたが、今は嘘のように積極的に会話をしている。
「そう言えば、夏海って黒臼と別れてから気持ちに余裕が出てきたよね」
隣で私と話していたクラスメイトの女子から、唐突にそう言われた。
「え、急にどうしたの?」
「急も何も、さっきからずっと黒臼のこと見てるじゃん。まぁそれ自体は前からだけど」
上手く隠しているつもりでいたが、筒抜けだったようだ。
そう思って過去を振り返ると、急に自分が恥ずかしい人間に思えてきた。
「あ、いやいや。別にそれが悪いって言ってないよ?黒臼は愛されてるんだなぁ、いいなぁって思ってただけだからさ」
顔に出ていたのか、釈明されたが、ここまで内心が表に出してしまっている事実がさらに恥ずかしくなった。
「……ごめん、見苦しいところを見せて」
「いいって。ただ、黒臼も夏海も今のほうが自然体で好きだなって思っただけ。悪い意味じゃないよ」
自然体。正直、私もそう思う。中学のとき私が好きで仕方なくて、友達から恋人になったけれど、楽しさ、嬉しさ、愛おしい、そういうポジティブなだけの関係はそう長く続かなかった。
今もそういう感情は残っていながらも、それらを元に別の何かへ変換されている気がする。
対外的には家族愛、とでも言うのかもしれないが、相変わらず芯を食っていない気がする。
だが、それがかつての自分では想像できないほど、自分に合っていた。
「ありがとう。そう言ってくれると嬉しいな」
クラスメイトに感謝を伝えると、次の授業のチャイムが鳴った。
夕陽はこちらに気付き、手を振ってくれたので私も返す。
私は、次の授業の準備を始めた。
恋人という枠組みが正しかったわけではなかったのかもしれない。
だけど
決して無駄でも、無かったほうがよかった時間でも、なかったと思う。
それがあったから私たちは今の在るべき形になれたのだから。
****
昼ごはんは、屋上でいつも通り、いつものメンバーで食べていたのだが、冬香さんが用事があると言って途中で抜け出してしまった。
図書室の当番は、今週から隣のクラスへ移ったはずだが、それとは別の用事だろうか。
バスケ部でもない彼女にとって数少ない、夕陽のそばにいられるタイミングで離れるのは珍しい。
「そういえば、清水さんもいないな。今日も美味しいデザートをもらえるもんだと思ってたのに、残念だぁ」
呑気な七沖の言葉を聞いて思い出したのか、夕陽が見慣れないバッグを持ち出してきた。
「そういえば、清水さんからこれを預かってるよ」
彼が中身を取り出すと、人数分のプリンが入っていた。
七沖は嬉しさのあまり、座りながら喜びの舞を踊っている。
夕陽が手に取ったプリンには彼の名前が書かれた付箋が貼ってあった。ほかのプリンには何もないのに。
誰の目から見てもしっかり特別扱いをしているのがわかる。したたかな差別化だ。
私も一応もらい、一応食べてみた。相変わらず美味しい。
彼女が作るスイーツを見て、改めてホッとする。
先に私が夕陽の弁当を作り始めていて本当によかった。そうでなかったら清水さんは夕陽のため、即座に弁当を作って来たはずだ。
彼の胃袋まで掴まれたら、正直危なかったと思う。
私は自分が打った先手が、有効に働いていることを実感しつつも、スイーツが美味しすぎて悔しがっていた。
****
放課後の練習が終わり、夕陽たちと帰るために体育館の下駄箱で待っていると、古賀くんから声をかけられた。
「夏海先輩、今日このあと遊びに行きませんか?」
「えっ、今から?うーん……」
唐突なお誘いだったので、とりあえず古賀くんから目を逸らす。
正直、対応に困る。私が休んでる間に大事な人たちに手を出したみたいだし。かといって邪険に扱うのも違う気がする。
二人とも早く来てくれと願っていたが、一向に来ない。
「あーごめんね。今日は早めに帰りたいんだ。また今度にしない?」
また誘われる口実になってしまうが、仕方ない。
「じゃあ、遊びに行くんじゃなくて、飯でも一緒にどうですか?マックとかどうです?」
古賀くんはこちらに一歩前進してくる。それに合わせるように私は後退した。
「あー……どうしようかな」
目を合わせないように体育館のコートのほうに目線を投げていると、夕陽と七沖が歩いてきたのが見えた。
彼らは私と古賀くんの姿が目に入ったのか、怪訝な顔でゆっくり近付いてくる。
「お疲れ様、夏海」
夕陽が声をかけてくれる。まさに、渡りに船だ。
「あ、お疲れ様。あのさ、今日の予定なんだけど――」
架空の約束をでっち上げるために私は即興で演技を始める。
実際は何の予定もない。
案の定、二人は首をかしげそうな動作をしているが、古賀くんに目を向けると、二人は何かを察したかのような表情になる。
「今日は夕陽先輩たちと予定があるんですか?」
古賀くんは夕陽たちに質問をした。
お願いだから合わせてほしい。
「ん?なんかあったっけ?」
早々に七沖が裏切る。夕陽は七沖の発言を聞いて、どうするべきか悩んでいるようだ。
「えーっと……あったような、なかったような……」
ここは間髪入れずに「そうだね、俺は夏海との予定が入ってるよ」って言わないとダメな場面だろう。
事実上の裏切りだ、酷い話だと思う。
これは、あとで優しさと優柔不断は似て非なるものだということを教えないといけないようだ。
「夕陽先輩、このあいだ言いましたよね?夏海先輩にアクションをしてもいいって」
夕陽は何を言ってるんだ……。
とうに裏切られていた事実にショックを受けるが、もう逃げ道がないことのほうがまずい。
「あー……うん、わかった。古賀くん、マックに行こうか」
裏切りによって孤立無援となった私は結局、了承してしまった。嬉しそうに声が上向いてる彼に申し訳なさを感じながら、私は二人を睨みつけた。




