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冬日向に舞う風花~夏と冬の狭間に揺れる夕陽の物語~  作者: 翠月
5章 剥がれ落ちる心とあるがままの自分
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31話 ヘデラは離れない

アクアリウム大浜。七階建ての大型水族館が見えてきた。


水族館の向こう側には海が広がり、潮風が肌を撫でる。磯っぽい香りが、海へ近付くにつれて強くなる。


強めな風が吹く音と共に、消波ブロックにぶつかる波の音が心地の良いアクセントとなって耳に入ってきた。


少々肌寒いが、それを打ち消すほどの太陽の暖かな陽射しが私たちを照らしていた。


「潮の匂いって海に来たって感じがしていいよな〜」


「……海に来たのだから潮の匂いがするのは当たり前では?」


「冬香〜そういう正論が聞きたいんじゃないんだよなぁ。当たり前を口にして、再認識する。その上で当たり前を享受する。結構必要なことだと思うよ?」


七沖くんは両手を上着のポケットに入れ、空と海を見ながらそう言った。


それっぽく深そうなことを言っている彼の言葉を少しだけ、真剣に考えてしまった。


私にも当たり前すぎて、見えていないことがあったりするのだろうか。


「冬香さん、七沖。せっかく四人で来たから水族館の前で写真を撮ろうって話になったんだけど、どう?」


夏海さんと一緒に前を歩いていた、夕陽くんが無邪気に振り返った。


「はい、もちろん撮りますよ。行きましょう、七沖くん」


「そうだな」


私たちは道行く人に声をかけて、写真を撮ってもらう。


その後は夕陽くん・七沖くん、夏海さん・私でツーショットを撮ったりして遊んでいた。


当たり前を享受する。


私にとっての当たり前は、この四人で変わらぬ日常を送ること。


でもそれは、今も理解しているし、十分噛み締めているつもりだ。


それだけでは説明できない、何かがあるとすれば、それは――夕陽くんだ。


今のままでも十分だと思っていたけど、もしかしたら、そうではないのかもしれない。


「よし。写真も撮り終わったし、チケット売り場に並ぶか」


七沖くんは一番乗りで列に並ぶ。私たちも彼の後を追う。


……今は四人の水族館を楽しもう。


そう考え、答えの出ない問いを心の隅に置いた。



****



無事、チケットを購入できたので受付を済ませた。


館内への入り口は三階にあり、入ってすぐ、水槽が出迎えてくれた。


「わぁ、たくさんの魚が泳いでますね。魚の種類についてはよくわからないですけど、とても綺麗です」


小型水槽が3つ並んでいて、小型の魚が一定方向に回りながら泳ぎ続けている。


「ここらへんは近郊の海に住んでる魚が展示されてるらしいよ」


夏海さんは私の隣で、そう解説してくれる。


「詳しいんですか?」


「ううん。ここに決めたとき、多少調べた程度だから私も詳しいことはわからないけど……調べた限りだとこの先の大型水槽が凄いって書いてあったよ」


「じゃあ早く行こうぜ。時間は有限だぞ」


七沖くんは早足で先に行ってしまう。


子供のようにはしゃぐ七沖くんの後ろ姿を夏海さんは呆れ気味に眺め、私と夕陽くんは微笑ましく見ていた。


七沖くんを追うように歩いていると、先に到着した彼は目を輝かせながら、私たちに手招きをする。


だが、そうしたくなる気持ちはよくわかった。


目の前の大型の円筒型の水槽には万はゆうに超えそうな、大量のイワシが大きな渦を作りながら泳いでいた。


ひとつの大きな生き物のようにうねり、時折イワシたちの鱗が光を乱反射している。


「これは、すごいね」


夕陽くんが呟く。彼も七沖くんと同じように、この光景に釘付けだった。


私も夕陽くんの隣で一緒にイワシと彼を交互に見ていたが、いつのまにか、彼しか見ていなかった。


水槽の深い青の光に当てられ、楽しそうな彼を見ているだけで心が安心する。


ふと気が付くと、周りには夏海さんも七沖くんもいなかった。


マナーモードにしてあったスマホのバイブレーションに気付いた。


手に取ると、夏海さんから「私が七沖を連れて先に見て回ってるからゆっくり来て。1時間後に屋外エリアの出入り口に集合で」とメッセージが届いていた。


「冬香さん、どうしたの?」


スマホを触っていた私に気付いて、彼が声をかけてくれる。


「あ、いえ。七沖くんが先のエリアを見て回りたいらしいので、夏海さんもそっちに付いていったみたいです」


夕陽くんと二人きりになりたくて、夏海さんのメッセージに脚色をして伝える。


「あいつも元気だな。気持ちはわかるけど」


苦笑いしながら、再びイワシの群れを観察する。ときにはウミガメやエイ、サメなども泳いでいる水槽に沿って少しずつスロープを降りていく。


私は夕陽くんが些細な疑問や独り言を全て聞いて、相槌をしながら付いていった。


他にもお客さんがいるのはわかっているけど、まるで二人きりで海の底を散歩している気分になった。


水槽の一番下まで降りると、底は粒子の細かい砂がひかれ、その上に岩礁を模した岩がゴロゴロと置かれている。


その付近にはタイやカンパチ、ウツボなど、岩礁を住処にする生き物が自然の姿に近い形で生息している。


「ここらへんの海はこんな感じになってるんですね」


「ね。説明では黒潮と親潮が交わる、潮目を再現してるらしいけど。自然って雄大だよね」


ふと、中学時代に七沖くんが、動物園の動物たちの特性から特殊能力を妄想するという中二病を披露していたことを思い出した。


「夕陽くんは、こういうのを見て妄想とかしないんですか?」


深く考えずに発言をしてしまったが、言わないほうがよかったような気がする。


「え?うーん、具体的にどういう……?」


まぁそういう反応になるよね。と内心、自分に突っ込みを入れながら、どう話を進めたものかと頭を悩ませる。


「あ、変なことを言ってすみません。中学時代に七沖くんと動物園デートをしたんですけど、そのとき、動物の特性から……こう漫画的な特殊能力を考えていたことがあって。夕陽くんはそういうのはないのかな、と思いまして……」


キョトンとしていた彼は、それを聞いて控えめに腹を抱えながら笑い出した。


話を振った自分が恥ずかしくなってしまい、顔を俯ける。


「あぁ、そういうことかぁ。中学生男子がよくやるやつね。あーそうだね、考えることは今でもあるよ」


「笑ってごめんね」と言いながら私の頭を撫でる。


「今もこうやって大きな水槽の前にいると、まるで冬香さんと海の底を散歩してるみたいだなぁって思ったりするし……実際の海でもそんなことができる能力があったら楽しいかも、なんて考えたりしてたよ」


かっこいい彼が、優しくフォローをしてくれるたびに、意識が夕陽くんばかりに向いてしまい、目を離すことができない。


「それにしても、中学時代の七沖ってそんな感じだったのか。最近、急に大人っぽくなってきたなって思ってたけど、やっぱり男子なら誰しも通る道なんだね」


それは、私が一番よく感じていた。七沖くんはここ最近、急に大人になっていっているような気がする。宮貴さんが見たら驚きそうなくらいの速度で精神面が成長してる。


夕陽くんは一通り水槽を見て満足したようだ。


「冬香さん、次行こうよ。時間はあまりなさそうだ」


夕陽くんは私へ手を差し伸べる。私は無意識に彼の手を取った。


あまりにも自然に手を出されたので握ってしまったが、意識した途端に顔が熱くなってきた。


手のひらから彼の体温が伝わってくる。もっとほしくて強く手を握ると、彼も同じだけ強く握り返してくれた。


その後、同じフロアにはミズクラゲの展示水槽がいくつかあり、様々な光の色でライティングされていて、透明な体がとても映えた。


エスカレーターで上がり、三階に戻る。


サメが展示されている水槽に、マンボウが浮遊している水槽がある。


特に、マンボウの実物を初めて見たのだが、思った以上に縦長で横幅がないことを知った。


さらに、夕陽くんのうんちくで、噂されるほどマンボウは打たれ弱くないらしいことも聞き、以前よりもマンボウに興味を持った気がする。


私たちは水槽を背景にツーショットの写真を撮っていく。


さらに上の階へ上がると、北の海をテーマにしたエリアが見えた。


カワウソにアザラシ。あとはエトピリカという海鳥が展示されていて、どれも可愛らしかった。


「アザラシ、可愛いですね。ポヨンポヨンしてそうです」


彼はなぜか笑っていた。理由を聞くと「ポヨンポヨンの言い方が可愛かった」と言われた。


なんだか恥ずかしくなり、抗議の意味を込めて繋いでいた手を強く握ると、彼は謝った。


「北の海は寒いからね。きっとこれくらい脂肪がないと生きていけないのかも」


取り繕うようにそう言いながら、アザラシを眺める。


手を繋いでいるのが当たり前のようになっていた。


「あ、冬香さん」


彼は手を引き、私の体を抱き寄せた。


私の後ろから横切る人の声が聞こえた。


「急にごめんね。ぶつかりそうだったから」


「あ、いえ……すみません、周りが見えてませんでした」


肩が彼の身体に当たって、意識せずにはいられない。


「ううん、大丈夫だよ。あ、ごめんね、ちょっと近かったかな」


彼は私と距離を取り、離れようとした。


私は離れたくなかった。


夏海さんみたいに恋人以上の特別な繋がりもないし、清水さんみたいに情熱的で膝枕のような特別なものもない。


彼女たちと比べたら、何の魅力も無い私にできるのは、ただこうやって、あなたのそばにいることだけだから。


私は夕陽くんの手を離し、彼の体に手を回して抱きついた。


「冬香さん……?周りに人が……」


「すみません……私、周りが見えてないので」


今はあなたのことしか見えてないから、少しだけ我慢してほしい。


「ねぇ、夕陽くん」


今だけでもいいから、私の夕陽くんでいてほしくて、甘えた声で彼の名を呼んだ。


私はスマホを彼に渡す。


「一緒に写真、撮ろう?」


より強く抱きついて、お願いをする。


夕陽くんは恥ずかしそうにしながら、笑顔で快諾してくれた。少し上から見下ろすように私たちを撮る。


その後も角度を変え、ポーズを少しずつ変え、色んな写真を撮った。


水槽を背にポーズを決める私たち。


魚と一緒に撮った私たち。


そして、魚も水槽も写ってないけど、その代わり、私と夕陽くんだけが写る写真。


思い出と時間がスマホに重なっていく。


私は七沖くんが言っていた、当たり前を再確認する大切さの意味を今、気付いた。


たぶん、彼はまだ気付いてないだろうけど、私と彼は同じ幼稚園にいたことがある。


その頃から夕陽くんのことが好きだった。


彼の家の都合ですぐ転園してしまったので、一緒にいられたのはとても短い時間だったけれど、あのときの彼が私の頭を撫でてくれた。優しさをくれた。そうやって私の心を照らしてくれたから、辛い時期を乗り越えられた。


私は夕陽くんと一緒にいる時間を……高校生の間だけじゃない。私の人生の中で、当たり前にしたい。


撮り終えた写真を見返しながら、夕陽くんに送ろうと、画像をピックアップする。


写真の彼は全てを優しく包み込み、色褪せず永遠に照らしてくれる、冬茜のような笑顔だった。

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