26話 赤黒のアンスリウムはたおやかに寄り添う
翌日の金曜日。
鳥のさえずりと人の声が外から聞こえてきた。
朝練の時間帯はそこまで人が多くない地域のはずだが……。
見当もつかないまま、いつものように準備を整え、玄関を開けると、夏海の声が聞こえた。
朝日の逆光で一瞬、何も見えなくなる。
光の中で、言葉の応酬が聞こえる。
目が慣れてくると、そこには夏海と……なぜか清水さんがいた。
「清水さん、バスケ部でもないのに何であなたがここにいるの?」
「黒臼くんと一緒にいたいから。それ以外に何があるの?」
「は?なんでそういう話に――」
「おはよう……二人とも」
状況がまったく読めないので、とりあえず挨拶をしてみる。
清水さんはまるで、いつもそこにいたかのように微笑む。
「おはよう、黒臼くん」
「ちょっと清水さん、当たり前のように挨拶しないで……あ、おはよう、夕陽」
挨拶もそこそこに、二人へ少し待っていてほしいとお願いをした。
玄関横にあるサボテンの様子を確認しながら、昨日の夜を思い返す。
たしかに、清水さんからのメッセージで朝練は何曜日にあるのかと聞かれたから、何も考えずに返信をしたが……。
まさか、それがこうなるとは思わなかった。
世話をしている俺の顔の真横から清水さんの声が聞こえた。
「サボテンを育ててるんだね。かわいい」
彼女の温かい吐息が頬と耳に当たったのを感じた。
吐息の熱から電流のような痺れが身体に走る。
初めての感覚で背筋が緊張してしまった。
「し、清水さん……近いよ」
たぶんきっと、サボテンが、かわいいということだろう。
「そうかな?サボテンをよく見たかっただけなのになぁ……」
隣に清水さんの顔があるはずだが、緊張のあまり視線すら動かせない。
徐々に息遣いが耳元に近付いて――
「誘惑しないで」
夏海が低く、強めの口調で注意をしながら、清水さんを引き剥がす。
夏海の介入のおかげで、胸をなで下ろした俺の後ろでは「というか、あんた今、耳元で何をしようとしてたの!?変態!!」と夏海の怒号が飛んでいた。
未知の刺激すぎて、身体が浮ついた感じがする。
気持ちを落ち着けるために、深呼吸で整えた。
「……えっと、お待たせしてごめんね。それじゃあ行こうか?」
「うん」
清水さんは、夏海の追求を意に介さず、涼しい顔で返事をする。
俺はガルガルしてる夏海を宥めながら、自転車で学校に向かう。
体育館前の下駄箱に到着すると、体育館内ではすでに1年生が準備を始めていた。
夏海は先ほどまでとは違い、和やかな雰囲気を醸し出している。とはいえ、清水さんを警戒する目つきは変わっていないが。
「清水さんはどうするの?まだ教室は開いてないと思うけど……」
元気よく挨拶をしながら、一年生の男子が通りかかる。清水さんの髪が気になるようだ。
「少しだけ練習を見ていてもいい?黒臼くんのカッコイイところを見たいかも」
俺はレギュラーじゃないから、そんな姿が見れる実力ではないが、一緒に登校してきてくれた清水さんの願いだ。無下にするわけにはいかない。
「じゃあ、私は更衣室に行ってくるから。また後でね、夕陽」
夏海は俺の手を引いて、清水さんが聞こえない位置まで離れる。
「私がいないからって清水さんに鼻の下伸ばさないでね」
語尾を強めに俺へ忠告をしてくれる。本人の顔は不機嫌そうに膨れているが、それはそれで可愛い。
「したことないと思うんだけど……うん、わかったよ。ありがとう、夏海」
「してるから言ってるの。まったく……じゃあね」
早歩きで更衣室へ向かう夏海を見送り、清水さんの元へ戻る。
「ごめん、待たせて。先生と部長には清水さんのこと伝えておくから見学しても大丈夫だと思う」
「ありがとう、黒臼くん」
「俺は夏海みたいにレギュラーでもないから、あんまり期待しないでくれると助かるかも」
照れ笑いをしていると、清水さんが俺の手を握る。
「一生懸命な姿の君が一番カッコいいんだよ。だから謙遜しないで。頑張ってね、黒臼くん」
彼女の熱が手の平と瞳から伝わってくる。
「清水さん、他の人がいるから……」
女子更衣室から体育館に入っていく女子部員に見られる。コソコソと何か言われてるような気がするが、目の前の清水さんが強すぎて、それどころじゃない。
「ちゃんと返事をしてくれたら、離してあげるよ?」
階段から七沖の話し声が聞こえてくる。
「わかった、わかったよ。あ――」
タタタと駆け上がる音が近付いてくる。
「おはよーございまーす!……え、夕陽と……清水さん?なんでここに?」
「あ、篠田くん。おはよう」
さもここにいて当然かのように返事をすると、清水さんは再び俺の目を見る。
七沖に手を握られている姿を見られ、思わず引こうとしてしまったが、清水さんにホールドされてしまう。
「わお、すげー情熱的だな」
俺は七沖の驚き交じりの茶化しを諦め半分で受け入れた。
「ありがとう……清水さん。頑張ってくるね」
その言葉を聞いて満足したのか、彼女は手を離す。
俺は清水さんに手を振り、体育館に併設されてる職員室へ向かう。
顧問の先生に事情を説明してから、体育館2階の卓球スペース兼男子更衣室へ七沖と共に向かう。
「おいおい、マジかよ。めちゃくちゃ積極的だなぁ。朝練まで見に来るとは」
「まぁな……朝、家の前にいてびっくりしたよ」
階段を上がり、2階に到着する。カバンを置いて着替えを始める。
「朝練に合わせて家の前にいたの!?はー、なるほど……うーん、ちょっと劇薬すぎたか……」
「え、なにが?」
七沖が後半、ぼそぼそと何か言ったような気がしたので、返事をしてみたが「なんでもない、独り言だよ」と話を切られてしまった。
下でダムダムとバスケットボールをドリブルする音が増え始める。俺たちも着替えてバッシュを履く。
軽く手足の先をストレッチしながら1階に降りていく。
コートの入り口では、清水さんが興味津々に練習前のアップ風景を見ている。俺の姿が見えると、表情が明るくなる。
控えめに手を振ってくれたので、周りの目線が気になったが、振り返す。
「夕陽先輩、おはようございます。このあいだの彼女だけじゃ飽き足らずに、あの人も彼女にするんですか?」
綺麗なシャツに墨汁を垂らされたような気分になる声が聞こえてしまう。
古賀だった。おそらく同じ気分になっている七沖の表情が、みるみるうちに険しくなっていくのがわかる。
俺は七沖の肩に手を乗せて制止する。
「ただの友達だよ。それよりも、このあいだの怪我は大丈夫?派手に倒れてたし、あのあと、しばらく部活にも来てなかったから心配してたんだよ」
冬香に張り倒されたことを引き合いにして、遠回りに軟弱であることを指摘する。
「……あれ自体は別になんとも……ないです。怪我もしてませんよ」
図星だったのか、しどろもどろになっている。
「それならよかった。古賀はうちのエースだからさ。よろしく頼むよ」
俺は古賀の肩を軽く叩き、七沖とボールを取りに行く。
「夕陽先輩は……夏海先輩のことはもういいんですか?」
俺は足を止める。おそらく恋愛的な意味で聞いていると思うが……。
古賀が夏海を狙ってるというだけで、俺は素直に答えたくなくなった。
「どういう意味?」
「どういうって……そのまんまの意味ですよ。夏海先輩のことはもう好きじゃないんですか?」
近くに清水さんがいる。彼女にもあまり聞かせたくない。
俺は答えをはぐらかし、ドリブルをしながら清水さんのいる場所から離れてから答える。
「夏海のことは好きだよ。今も変わらずね」
古賀が望んだ答えではないのだろう。食い下がってきた。
「それ、どういう意味なんです?別れたんですよね?なのにまだ好きってなんですか?」
「そのままの意味だよ。別れたのも本当だし、好きなのも本当。それだけの話」
「……適当なことを言ってはぐらかさないでくださいよ。じゃあ、俺が夏海先輩のことを狙っても文句ないんですよね?」
思った通りの会話にならず、イライラしてる古賀はしびれを切らしたようだ。
「ああ、いいよ。好きにしたらいいんじゃない?古賀では荷が重いと思うけどね」
最後の言葉が効いたようだ。ドリブル音からそれが伝わってくる。
「なんか、その上から目線……ムカつくんですよね。夏海先輩のことを全部知ってる、みたいな面……何様なんです?」
古賀はまるで、俺に縋るような目をしていた。
問い詰めている側が縋るような目をしているのも、おかしな話だが、夏海を知りたいのにわからないのがよほどストレスなのだろう。
少なくとも古賀よりは知っているし、俺のほうが彼女の幸せを願っている。
それは恋人という肩書で収まる気持ちじゃない。そもそも、本当はそれを言語化すること自体、抵抗がある。
陳腐になるからだ。俺と夏海は安易に言語化できるような繋がりじゃない。
それでも、強いて言うなら――
「うーん……家族かな」
彼にとっては予想外の答えなんだろう。ドリブルを失敗して、ボールが手元から転がる。
「は?意味が分かりません」
「そうだろうね。いいよ、わからなくて」
それだけ言って会話を終わらせると、古賀は苦虫を噛み潰したような表情でボールを拾う。
そして、先ほどよりもさらに強いドリブル音を響かせながらシュートを打ち始めた。
「話は終わったか?あいつ、イライラしてるみたいだけど」
「終わったよ。格の違いを見せてきた」
古賀にイラッとしていた七沖を安心させるため、ニコッとしながら少し大袈裟に話す。
「へへっ、そうか。いいね、さすが夕陽だ」
それを聞いた七沖は、満足そうな顔で俺の肩を叩く。
体育館入り口から着替えた夏海が大きな声で挨拶をしながらコートに入ってくる。いつも通りの爽やかな笑顔で。
清水さんとは最低限の、目線だけで挨拶を済ませていた。
顧問の先生も姿を見せると、空気が少しだけピリッと張り詰める。
朝練の時間だ。俺たちは清水さんに軽く手を振りながら、気合いを入れた。




