22話 桜色のバーベナ
バーベキュー翌日の月曜日、夏海は宣言通り、登校していた。
朝練で先生や部活仲間に謝罪をして回っていた。先生にはレギュラーから外してもらうことをお願いし、それを仲間に説明することで、けじめをつけようと考えていたらしい。
部内でも意見が割れていたようだが、ひとまずは彼女の意見が尊重され、その通りに話は進みそうだと本人から聞いた。
俺が原因なのに何とも情けない話だが、今の俺にできるのは多くない。
なるべく彼女が、平穏でいつも通りの日常を送れるように見守ること。できることはそれくらいだ。
「夏海、お疲れ様。大丈夫?」
授業の合間、机の上でうつ伏せになりながら、うなだれている夏海に声をかける。
彼女は「ん~うん」と体を伸ばしながら気だるそうにこちらを見上げた。
「夕陽こそ……大丈夫?」
「ん?何が?」
「夕陽は一人でいるのが好きなんだろうなって思ってたから……私のそばにいると騒がしいよ?それに、今の私は奇異の目で見られてるし」
たしかに、クラスメイトの一部から刺すような視線を感じる。悪意、というか腫物扱いをしているような、そんな意思を感じる。
いつもだったら、夏海にすぐ声をかけていた人たちも、なぜか近寄ってこない。
「関係ないよ。もう、そういうのは止めたんだ。そばにいたいと思う人と一緒にいることが悪い。なんて言う人はいないと思うから」
自分の机に目を向けると、過去の自分が見えた。そこには、机に突っ伏して、惨めな表情で夏海を見ている俺がいた。
その姿がひどく滑稽で幼く見える。
俺は本当に馬鹿だった。
相手のことを考えたつもりになって、わかった気になって……そんな考えの先に俺と夏海の幸せはなかった。
実際、恋人としては手遅れのまま終わってしまったし、元に戻らなかった。
だけど、ここから先はまだ何も決まってないはずだ。
「……変わったね」
彼女は体を起こしながら、俺の手を握る。
「ありがとう。夕陽がそばにいてくれると安心する」
彼女はゆっくりと手を離す。途中でもう一度、手を握ろうとしたように指先が動いたが、そのまま机の上に手を戻した。
「うん、それならよかった」
ふと気付いたら、いつの間にか、夏海の周りには声が溢れていた。
「体調は大丈夫?」「無理しないでね」「また遊びに行こう」
その中心で彼女はいつも通り、明るく元気に振舞っている。
以前と違うことがあるとすれば、その隣に俺がいることくらいだ。
「冬香、いる?」
図書室のドアを開けると、冬香が本の整理をしていた。
「夕陽くん。お昼時に図書室に来るなんて珍しいですね」
脚立に乗りながら本棚を整理していた彼女は、入り口を開けた俺に気付いて、声だけで返してくれる。
部屋の窓は西向きのため、日中は陽の光は入らない。そのため、昼間にも関わらず電気が付いていた。
「さっき屋上で、冬香が早めに昼ごはんを切り上げてるところ見たとき、昼の図書室に行ったことがなかったなぁって思ってね。せっかくだから顔を出してみた」
「そうですか。気にかけてくれて嬉しいです。私は時間まで作業をしてるので、何かあったら声をかけてください」
一度、脚立から降りてきた彼女は、それだけ言って、忙しそうに本棚へ戻っていった。
まだ見たことがなかった、冬香の仕事姿を見るために来た俺は、手持ち無沙汰にならないよう、図書室にある数少ない漫画を取り出した。
「手首の調子はどう?他の痛みとか……そういうのもなさそう?」
作業の邪魔になってしまうかと一瞬だけ考えた。だが、冬香とは昼以外で話すタイミングが少ないことを考えて、申し訳ないと思いつつ声をかける。
「おかげさまで、悪化はしてませんよ。他の痛みも今のところはないので、心配しなくて大丈夫です」
冬香は本棚からひょこっと顔と手を出す。湿布が貼ってある手首を軽く動かしながら、俺に見せてくれた。
「そういえば、冬香のご両親も驚いてたんじゃない?手首を怪我して、その理由が人を叩いたからだって言われてさ」
図書室の椅子に座り、すでに読んだことのある内容を流し読みをする。
「それは……そのとおりですね。あの日、学校から母に電話があったみたいで、事の顛末を聞いていたそうです。それで私が帰ってきたら本当に怪我をしてるから……どうしてそうなったのか、説明するのも大変でした」
「そっか……そうだよね」
「心配しないでください、後悔はしてません。それにお父さんに話をしたら褒めてくれましたよ。気概のある子に育ってくれて嬉しい、って」
「たしかに、あのときの冬香はかっこよかったね」
「実は、私もそう思ってます」と言いながら彼女は脚立から降りる。脇に抱えた本を何冊か持ってきてテーブルの上に置いた。
「それにしても……夏海さん、学校へ来るようになってよかったですね。やっぱり夕陽くんが様子を見に行ったのが、夏海さんにとってよかったのでしょうね」
「……そうでもないよ。むしろ俺は余計なことをしちゃったと思う」
「そうなんですか?そういう風には見えませんでしたけど」
「うん、俺が無理矢理、夏海の背中を押して……立ち上がることを強制したんだ。本当はもっとゆっくり、時間をかけるべきだったと後悔してるよ」
冬香はテーブルの上で補修用の透明フィルムを使って本の補修をしながら黙って聞いていた。
「……大丈夫ですよ。誰がそう言ったのか知りませんけど、私からすれば、夏海さんにはそれくらい強い後押しくらいがちょうど良かったと思います」
「そうだと……いいんだけど」
「私が今言ったこともそうですけど、夕陽くんの意見も、夏海さんに直接聞いたわけじゃないのでしょう?どちらが正しかったのか、ではなく、誰に支えられているのか……それが大事なんだと思います」
冬香は晴華さんとは違う視点で、夏海を見ているようだ。
「少なくとも、夏海さんは夕陽くんに励ましてもらったことそのものが、立ち上がる大きな理由だったと思いますよ」
「ありがとう、冬香」
「夕陽くんは考えすぎるところがありますからね。まぁ、そういうところが好きなんですけど」
さりげなく、好きという言葉を正面から言われて、心臓がドキドキしてる。冬香は人間的に好きという意味で言ったに過ぎない、はずだ。
それを示すように、彼女の様子は変わってないように見えた。自意識過剰になってしまったのかもしれない。
「ちなみに、今の考えは……夕陽くんから教えてもらいました」
「俺から?そんなこと話したっけ?」
「言葉で教えてもらったわけではありません。夕陽くんと夏海さんの関係にそれを感じたんです。だから今でも、互いを大事に想い続けることができるのでしょう?一般論なんて飛び越えることも厭わない。そういう繋がりがあるのでは……と」
立ち上がり、補修を終えた本をまとめて本棚に戻していく。
冬香は黙ったあと、もう一度、口を開こうとするがチャイムが鳴った。
「――終わりですね。戻りましょう、夕陽くん」
冬香は何を言おうとしたのか、俺にはわからなかったが、彼女の瞳には昏く冷たい感情が横たわっているように感じた。
ただ、初めて見たものではなかった。
古賀を叩いた瞬間に見えた、あの瞳とよく似ていた。
放課後の練習前、夏海は朝練では声をかけきれなかった女子部員や、男子バスケ部員にも声をかけていた。
古賀は登校はしているようだが、部活には来てないようだ。
もしいたら、夏海が変な絡まれ方をしそうだから、心底安心した。
部活帰り、俺は七沖と夏海の三人でマックで夕食をとっていた。
周囲を見渡すと、多くの中高生が雑談をしながら席に座っている。
「んん?中学時代の冬香?そんなの聞いてどうすんの?」
七沖はケチャップをべったり付けたポテト数本をまとめて口に放り込む。
「まぁ……ちょっと気になることがあって」
席を外していた夏海が戻ってきた。
「何の話?」
「夕陽が冬香の中学時代とそれ以前について、どういう人間だったのかを知りたいんだってよ」
夏海は俺の顔を見ながら「ふーん、そうなんだ」と言って席につく。
七沖が言うには自分も中学時代以降のあいつしか知らない。似たようなことは聞いたことがあるが、そのたびに誤魔化されるから、そのうち聞かなくなってしまったそうだ。
「ただまぁ……その類いの話を振ると、ほぼ確実に機嫌が悪くなる……というかしばらくの間、口数が極端に減るんだよな」
少なくとも、七沖と出会う前の彼女について、彼女自身は誰かに開示したくないと思っているみたいだ。
「他の話から間接的に推測できそうな話とか、そういうのもまったくないの?」
夏海はコカコーラを片手に、肘をつきながら聞く。
「そうだなぁ……機嫌が悪そうな冬香って圧がすごくて、マジで聞きづらいから……」
顎や目に手を当てながら悶々と悩んでいると「あっ」と人差し指を立てる。
「中学時代の下校中、冬香のスマホに電話がかかってきたことがあって、そのときの反応と電話中の受け答えが、結構込み入った話だった気がするな」
それだけ言うと、七沖は食べかけのチーズバーガーを口に入れる。
「肝心の内容が聞けてないんだけど?」
勝手に話を終わらせるな、と夏海は釘を刺す。
「えー……だいぶ前の話だし、当時の俺は何のことかさっぱりわからなかったからなぁ。うーん……」
誰にも話したくない過去がある、それがわかっただけでも助かる。これ以上、七沖を詰めても可哀想だ。
「まぁ、無理して思い出さなくても――」
「あ、思い出した。そのときに……たしか、明けの空学園って聞こえたんだよな」
「私立の小学校?小学校から本人にかけてきたってこと?」
夏海は素直に疑問をぶつけると、七沖は首を横に振る。
「いや、電話をかけてきたのはお母さんだったよ。本人もそう言ってたし。ただ、音漏れで会話の一部が聞こえてたことは気付いてなかったと思う」
コーラを飲みきってズズズ、と音が鳴った。
夏海は空になった紙コップをテーブルに置きながら、小さく唸る。
「その話を聞いて、よく深掘りしなかったね。私だったら調べちゃうかも」
「あぁ、それね。正直、俺も調べようかと思ったけど、冬香の、この世の終わりみたいな顔を見るとね……。聞けないっていうのもあったけど……それ以上に、知ってほしくないんだろうなって思ったんだよ」
七沖がいい奴すぎて、無言で学園名を検索した俺の立つ瀬がない。
「……七沖ってところどころで身の丈に合わないほど、相手のことを慮るよね。正直、解釈不一致なんだけど」
「ひでぇ言い方……でも、そう言ってくれると嬉しいね」
「ディスられて嬉しいって何……?」
夏海は不審なものを見るように薄目で七沖を見ていた。
「へへっ、いいじゃん。褒めてもらったら喜ぶもんだろ?」
二人が話している隣で俺は、明けの空学園が名古屋にある、児童養護施設であることを知った。




