20話 青紫のリンドウ
走馬灯のように夏海との過去を思い出していた。
俺たちが上手くいかなくなった頃から、互いに本音で話すのを躊躇するようになってしまった気がする。
そのくせして、俺は「相手のことを考えて」ああでもないこうでもないと、わかったような言葉を重ねていた。
何か問題が起きれば自分が悪いんだと言い張って、全部自分が背負ってしまえば、無かったことになるんだって本気で思っていた。
でも、いざ抱えきれなくなったら全部を放り投げた。
それで彼女が深く傷付いたことを俺は知っていた。なのに今の今まで、自分の気持ちに対して、よくわからないと言い訳をして苦しみから逃げていた。
そして、その逃避先は――
「夕陽くん、大丈夫?夕陽くん?」
「え?あ、あぁ……えぇ、大丈夫です」
寒い。
指先も口元も震えて止まらない。
誰か、助けて欲しい。
「よかった……だから、私にできること――」
「晴華さん……そうだとしたら、俺はどうすればいいんですか?」
頭の中がぐちゃぐちゃになる。何が言いたいのか、何がしたいのか、全部わからない。
「理屈じゃない……俺が夏海を大事に想っていたのは理屈じゃないんです。だからわからないんです。頭でいくら考えても、俺はどうすべきだったのか……何も見えてこない。晴華さんは……見えるんですか?知ってるんですか?俺がどこに向かうべきなのか……」
俺はロッドをその場に置いて晴華さんに近付く。
「わからないよ……私は君じゃないから」
目の前を手で消した。真っ暗な世界で誰の目も見えないようにしないと情けなさすぎて、恥ずかしい。
「ファミレスで俺のこと、家族だって言ってくれましたよね?晴華さんは……家族なんですよね?俺が探してる答えを知ってるから、俺の内側が見えたんですよね……?」
涙を見せたくなくて、前を見たくなくて、何も考えなくてもいいようにしたかった。
周りに人がいるのに、言葉が内から湧いてくる。止められない。
「じゃあ、どうして!わからないのにどうして……俺が見えたんですか?どうして!?」
子供の八つ当たりだ。晴華さんは大人で、人のことがよく見えている。だから本心が見える。ただそれだけなのに、まるで俺を導いてくれる存在だと決めつけていた。
身体中が冷たく、硬くなる。目を隠していた手で、今度は口を隠す。自分の醜さに嫌悪感が沸いてくる。
「夕陽くん」
肩に晴華さんの体温を感じる。
「私は、君のように誰か救ってあげられるような言葉は持ってない。だけど、待つことはできる」
意味がわからない。待って何が変わると言うんだ。
苦しみから逃げられないのに何をしようと――
「だから、逃げないで」
晴華さんの一言を聞いた瞬間――いつの日か、初めて冬香から図書室に呼び出され、彼女に言われた言葉がフラッシュバックした。
「夕陽くん……あなたの、夏海さんに対する想いは間違ってないです。だから――」
逃げないで。
あのときは、夏海がドアの外にいたことに気を取られて聞こえなかった。だけど、その先の言葉が今、ようやく聞こえてきた。
「あっ……あぁ……!なんで、今更……」
俺はこの期に及んで、逃げていた。夏海から逃げて、冬香から逃げて、晴華さんから逃げた。
とうの昔に、答えを聞いていたはずなのに。
俺は自分から逃げていた。
晴華さんは俺の両肩に手を置いて、ただただ待ってくれた。
どれほどの時間が経ったのだろうか。
俺の涙が落ち着いてきた頃、なぜ俺の悩みに気付いたのか、教えてくれた。
「私ね……夕陽くんと同じことをしたことがあるんだ。もちろん、全部が同じっていうわけじゃないけど」
「そう……なの?」
無理に敬語をやめたと思ったのだろう。晴華さんは苦笑いしながら「無理しなくていいよ」と言ってくれる。
俺たちはその場で並ぶように大きな石の上に座る。
「私が大事に想っている人が悩んだり、苦しんだりしてるときに、相手が望んでいる言葉や行動を先回りしてしまうことがあってさ……。それって目先のことだけを考えると、笑顔が戻ったり、気分が良くなったりするんだよね」
俺は何も言わずに聞いた。最後まで聞いてからじゃないと口にできないと思ったから。
「でも、肝心の当事者が何も解決できていない。私がそばにいることで解決したような気がするだけ。そうやって問題の先送りをするほど……私も相手も苦しくなった。結局、関係は拗れて音信不通。今どこで何をやってるのかさえわからないんだ」
それだけ言うと、晴華さんは黙ってしまった。
「……その後は、もう何もないんですか?」
「うん、何もない。その子とは、それで終わっちゃった」
わかっていたが、やはり俺の知りたかった答えはなさそうだった。
「期待外れでごめんね。結局、君の心に気付いたのは、私がそこを乗り越えたからじゃない。同じ場所にいるからなんだよ。だから君を救うことも、導くこともできない」
「……そう、ですか」
「ただ、君がこれから辿る可能性のある先のひとつに、私がいる。それだけは覚えておいて」
抱きしめるわけでも包み込むわけでもなく、俺の肩を軽く叩いた。
「それに夕陽くんの言う通り、私は君を本当の家族だと思っているよ。だから時間はたくさんある。君が答えを出すまでそばにいる。もちろん、出したあともいるけどね」
晴華さんは立ち上がり、手を差し出してくれる。
「もうすぐお昼だね、バーベキューの準備もできただろうし……魚を持って戻ろうか。夕陽もそれでいいかな?」
俺は彼女の手を取り、立ち上がった。
「うん……行こう。晴華さん」
その後、戻っている最中に管理人が来て、大声を出すと魚が驚くからやめてください。と、至極真っ当な注意を受けてしまった。
締まりのない話だし他のお客さんには申し訳ないが、管理人がいなくなったあと、俺たちは思わず笑ってしまった。
お父さんたちと合流して、今日焼いて食べる分と持ち帰る分の全ての内臓を取る作業をして帰った。
東屋に戻ったのは12時30分頃だった。
バーベキューを楽しんでいる、みんな姿が見えてくる。七沖がいち早く気付く。
「おっ!釣り組が帰ってきたぞ。おかえり!」
「ただいま。遅くなってごめん」
皿に野菜と肉をたくさん乗せて、冬香が駆け寄ってくる。
「夕陽くん、おかえりなさい」
「お疲れ様、冬香」
満面の笑みで出迎えてくれた冬香は、俺を東屋のテーブルに案内をする。
白米と先ほど持っていた皿をテーブルに置くと、俺の荷物や帽子を取ってくれた。
「あ、自分でやるから大丈夫だよ……」
「いいから早く座って、ごはんを食べてください。飲み物も取ってきますから」
てきぱきと身の回りの世話をしていく。
「はい、どうぞ」
「あ、ありがとう……」
少し勢いがあって驚いたが、献身的な冬香を見ていると、心が穏やかになった。
「美味い!めちゃくちゃ美味しいよ!」
夏海のおにぎりだけで午前中を乗り切ったこともあって、空腹にこの美味さは効く。
「足りなければもっと持ってきますから。希望があれば言ってくださいね」
彼女は向かいで、テーブルに肘をつき、あごに手の平を当てながら、俺を観察していた。
「どうしたの?なんか、雰囲気というか……違和感があるんだけど」
「……気のせいです。それより、夕陽くんのほうが変わったような気がしますよ。何かあったんですか?」
「ぇ゙っ!……なんでそう思うの?」
思わず変な声が出てしまった。
晴華さんとの話そのものは、納得している。だが、やはり他の人に知られるのは恥ずかしい。
「なんで、と言われると難しいのですが……つっかえていた何かが外れたような感じがするから、ですかね?」
眉をひそませ、じーっと見ながら答える。
冬香は勘が鋭い。
「……うん、それはそうだと思う。まぁ、色々あってさ。」
それを聞いた彼女は表情を緩ませて
「そうですか、それならよかったです」
それだけ言うと、空になったコップに飲み物を入れてくれる。
「えっと……これ以上、聞かないの?」
「聞いてほしいんですか?」
笑顔の裏に一抹の何を抱えているような表情に見えた。
「……えっと、もう少し心の整理をしてからでもいい?」
何か悪いことを隠しているような気がして申し訳なくなってしまうが、それも含めて、伝える。
「もちろんいいですよ。待っていますから」
待っている。
その言葉が今までにないくらい、心地の良い、重い言葉に聞こえた。
待っていてくれる人がいるってこんなにも幸せなことだと、知らなかった。
当たり前のように目の前にあったから、気付きもしなかった。
「うん……」
出会った最初の頃は……古賀の言う通り、彼女は夏海の代替だったと思う。正直、今でも受け入れたくないと思ってしまうほど、醜悪で最低な事実だ。
当時は夏海との間にある、埋まらない何かを感じるたびに苦しくて悲しくて……冬香でそれを都合よく補っていた。
そうまでして続けていた夏海との交際は、「相手の気持ちを考えて」なんていう賢そうな言い訳をして、話し合うことさえ拒んだ。
俺は醜い優しさで、本当に心配してくれる人たちの気持ちを……冬香を利用して、虚像の自分を維持しようと必死だった。
見て見ぬふりを続けて、その代償を代わりに払ってくれていたのは、他の誰でもない……冬香だ。
こんな俺を……それでも支えてくれた彼女に、俺は何も返せていない。
「冬香……」
「はい、なんですか?」
彼女の笑顔は陽だまりのように柔らかくて温かい。
俺の隣には冬香がいる。
「ありがとう」
きっと、図書室で勇気を出して「逃げないで」と伝えてくれたのだろう。
きっと、俺が見て見ぬふりをしていたから「逃げないで」と伝えてくれたのだろう。
「どういたしまして。私が好きでやっていることですから」
他にも伝えたいことがたくさんあるけど、時間と言葉が足らない。
もっと、言葉を届けたい。
もっと、冬香のそばにいたい。




