19話 イヌホオズキ
親戚の人たち――米沢家と一通り挨拶を終え、俺たちはバーベキュー受付のログハウスへ向かった。
その道中、俺はあいちゃんのお母さんからキスの件で謝罪をしてもらった。
子供が面食いなのはよくあるとしても、マーキングとその手段がキスとは……その年で男という生き物の習性をよく理解したものだ。
さっきから晴華さんにべったりなこうちゃんも素質がありそうだし、これは遺伝――いや、やめておこう。よく知らない家庭事情を邪推するのは良くない。
あいちゃんからの熱烈な視線に気付かないふりをしながら、荷物を運ぶ。
そうでもしていないと、冬香からの寒々とした視線で背中が凍りそうだ。
割り当てられたバーベキュースペースの東屋に到着したので、荷物を置く。
「夕陽くんたちが来てくれたおかげで助かったよ」
夏海のお父さんは腰を叩きながら、俺の肩に手を乗せて労ってくれた。
「お義父さん、俺でよければいつでもお手伝いをしますから。来年も是非呼んでください!」
「七沖、字が違うぞ」
「え、何の話?夏海のお義父さんなんだから間違ってないだろ?」
「ははは、篠田君は頼りがいがあるし面白い男だな。夕陽くんとも仲良くしてくれてるみたいだし、君のような友人が私の夏海と夕陽くんに付いているのであれば、私も安心したよ」
豪快に笑いながら七沖の背中を叩く。
「よし、道具類は全て運べたな。それじゃあ、夕陽くんにはこいつで、ニジマスを釣ってきてもらおうかな」
お父さんは意気揚々と荷物から布に包まれた釣り竿を取り出す。装備を見る限り、ルアーフィッシング用みたいだ。
「昔、少しだけやったことがあるだけなので、釣る自信はないですよ?」
「大丈夫。私も自分の釣り竿を持参して一緒にやるから。これは君専用として調整し直したから自分のものだと思って使ってくれ」
「わかりました、バーベキューの準備は他の方に任せても大丈夫ですか?」
「もちろんだ。そっちは夏海と冬香ちゃんに任せて、美味いマスを釣ってくれ。男として腕の見せ所だぞ」
豪快に笑いながら釣り竿と道具一式が入ったボックスを渡してくれる。
「篠田君はバーベキューのほうを手伝ってくれ。力仕事も色々あるだろうから手助けをしてほしい。頼んだぞ」
「任せてください!お義父さん!じゃっ、魚よろしくな、夕陽!」
晴華さんと一緒に作業できるのがよほど嬉しいらしい。七沖の足取りは鳥の羽のように軽かった。
午前9時15分頃
管理釣り場は全部で三つのエリアに分かれている。上流・中流・下流だ。とりあえずお父さんと一緒に上流エリアに向かった。
渡されたツールボックスを開けると、中身はルアーとワームが入っていた。
ルアーはミノー・クランクベイト・スピナーベイト・スプーン……マス釣りで使う最低限のものが厳選されていた。
ワームは……あまり使ったことがないのでよくわからないが、グラブワームがあった。定番どころは押さえてありそうだ。
さすがはお父さんといったところか。とりあえず、朝でそれなりに活性が高い時間帯だ。定番のスプーンで攻めてみるか。
許可証の紙が取り付けられたキャップを被り、ライフジャケットを装備して開始する。
15分くらい経った頃だろうか、お父さんに声をかけられる。
「夕陽くん……少しだけ、話をしてもいいか?」
「えぇ、大丈夫ですよ」
おずおずと近寄ってきた彼は、ロッドを一投してから静かに続ける。
「あー……その、夏海のことだ。娘を助けてくれてありがとう」
「それは、こちらの台詞ですよ。俺は彼女が強いことを最初から知っていて……それを頼りに話をしました。それに彼女を傷付けてしまったのは、他でもない俺です。すみませんでした」
俺がしたことは、夏海が立ち直らないといけないような気になるよう、誘導しただけだ。
もう一度ルアーを投げ、頭を下げる。
お父さんは軽く笑い飛ばす。
「男女が別れるなんて珍しいことじゃないさ。問題はその事実にちゃんと向き合い、話し合いができるかどうか、だと思うよ」
彼は手前まで巻いたルアーを池から持ち上げ、手に取る。
「君のお父さんとは昔からの長い付き合いでね。当然、君のことも知っていたわけだが……そんな君がうちの娘にとって、これほど大事な存在になってくれるとは思わなかった。私は幸せ者だよ。友人から預かった息子が――うぅむ……」
ルアーを投げずに、その場で黙る。言いづらそう、というより適切な言葉を選んでいるのかもしれない。
「とにかく……ありがとう。これからもよろしく頼む。夕陽くん」
そう言って、道具を持って無言で立ち去ろうとする。
「お父さん」
声をかける。背中を向けたまま彼は立ち止まる。
「前から言おうと思ってたんですけど、君呼び……しなくていいですよ。そういう仲だと、俺は思ってます」
お父さんはきっと、この言い方の意味を理解してくれると思う。
「……それならついでだ、こちらからも言っておこう。敬語や丁寧語は使わなくていい。私たちはそういう関係なのだから。そうだろう、夕陽?」
「――うん、お父さん」
彼は左手を振りながら去っていった。
体の芯が熱くなった気がして、お腹あたりを手で擦り、拳を作った。
9時50分頃
今のところ、釣果は一匹。それ以外にも何匹か釣ってはいるのだが、サイズが気に入らないためリリースをしている。
太陽がだいぶ上った。10月も中旬が過ぎるとはいえ、今日のような晴天の日は暑くなる。
ライフジャケットを着ていることもあって、少しだけ汗をかいてきた。
「夕陽、調子はどう?」
後ろから夏海の声が聞こえた。隣には手を繋いだあいちゃんがいた。
「まぁまぁかな」
魚籠を指さすと夏海は覗き込み、声のトーンが明るくなる。
「へぇ〜釣りできるんだ。すごいね」
「昔、父親とバス釣りをしたことがあってさ。マス釣りは、バス釣りの感覚を掴むのにちょうどいい魚なんだ。それで何回か練習したことがあるんだよ」
夏海はあいちゃんに「ゆうちゃんすごいね〜」と言いながら魚を見せている。
「それで、どうしたの?バーベキューの準備は大丈夫?」
「食材のカットなんかは最初から施設側が用意してくれたものを使うからあんまりなかったし、炭に火を入れるのが大変なくらいだよ。重いものは全部七沖に運ばせたしね」
俺と冬香は篠田を名前呼びにしていたから、夏海も変えたようだ。
夏海はアルミホイルで包まれた、大きくて丸い物体を手渡す。
「朝ごはん、まともに食べてないでしょ?私が作ったおにぎりだから……」
「ありがとう、ちょうどお腹空いてたんだ」
ルアーを巻き終え、ロッドを置いた。その場でおにぎりを食べ始める。
「美味い。ありがとう、夏海」
「どういたしまして。あ、あいちゃん、足元危ないから気を付け――」
管理釣り場とはいえ、元は天然の川を流用したものだ。足元は大小様々な石が転がっている。
あいちゃんは足元も見ず、俺の方だけを見ながら歩いてくる。嫌な予感がしたと同時にあいちゃんの足に石が引っかかり、体が前方に投げ出される。
俺は咄嗟に走って彼女を支えた。幸い、頭をぶつけたり手足に怪我をした様子はなかった。
「あいちゃん大丈夫?痛いところはない?」
しゃがみながら彼女の体の安否を確認する。
「うん」と言いながら俺の胸に飛び込んできた。
俺は勢いに少し押され、軽く尻もちをついた。
「怖かったね。よしよし」
あいちゃんの頭を撫でると、彼女はそのまま体を預けてくる。
「あ~……夕陽、あんまり甘やかすと本当に執着されるよ?」
「わかってるけどさ……好意を邪険にするのは可哀想かなって……」
夏海の眉が僅かに動いた。
「夕陽って、そういうところあるよね」
「え、どういうところ?」
彼女はため息をする。
「……そういうところ、だよ」
「んん……?ごめん、わからない」
「そうだろうね。まぁ、夕陽は優しいよねって話」
それだけ言い終えると、夏海はあいちゃんの手を取る。
あいちゃんは俺から離れない。怪我はしてないから歩けるとは思うが。
彼女の頬に手を当てる。
「あいちゃんは良い子だから、なつみお姉ちゃんと帰れるよね?」
小声で「うん」と言いながら少しずつ離れていこうとする。最後、俺の手の平にキスをして夏海の元へ戻った。
「あいちゃん……またそうやって。ほら、ゆうちゃんも困ってるから、帰ろう?バイバイしてあげて?」
彼女とあいちゃんは手を振りながら帰っていった。
夏海は何を言いたかったのか、俺にはわからなかったが、あいちゃんに怪我がなくてよかった。
10時50分頃
釣果は2匹。釣り上げた数だけで言えば、10匹近くになっている。ここは天然の川を利用しているため、スレてる個体が少ない。
それに先ほど放流があったので質の良いマスが増えるだろう。
徐々に人が増えてきた。ここはルアーフィッシング専用エリアなので静かだが、少し離れたところでは餌専用の釣り場がある。そこで釣りに馴染みのない人たちが楽しんでいる様子が遠くからでも聞こえる。
その喧騒をBGMに釣りを続けていると、今度は晴華さんから声をかけられた。
「お疲れ様、夕陽」
くん呼びでなくなってることに驚いたが、察しはついた。
「お父さんと話してきたんですか?」
「うん、すごい喜びながらくん呼びについて話してくれたよ」
「そうですか……それはよかった」
「えー、私には敬語と丁寧語なの?寂しいなぁ」
「あはは……それじゃあ、えっと……よろしく、晴華さん」
「さん、は外れないんだ?」
ルアーを変更して、再び投げる。
「それはお父さんも一緒……でしょ?年上には敬意を持って接するべきだと思うから」
「ふふっ。そうだね、ありがとう」
あらかたイジって満足したのか、晴華さんは少しだけ声のトーンを落とし、改めて話を始める。
「夏海のこと……まだお礼をきちんと言ってなかったから。いい機会だなと思って来たんだ」
俺は何も言わず、手首でロッドに動きを加えながら聞く。
「ありがとう、夏海のことを助けてくれて」
「お父さんにも言ったけど……俺は何もしてないよ。夏海が自分で決めたから、結果的に俺が助けたように見えるだけで……実際は何もしてないと思う」
「……夕陽らしいね。優しくて、他人の努力や気持ちをきちんと立てるところがさ」
なぜかわからない。だけどその言葉は俺の心に刺さる気がする。
「私ね、夕陽に言いたいことがあったんだ。言っていい?」
「……うん」
「ありがと」
晴華さんの優しくて温かい、そしてトゲのように鋭い視線を背中に感じる。
「夕陽の……その優しさは誰かを守ると同時に傷付けていること、ちゃんと理解してね。それをわかっていないと、結果的に君が一番傷付くことに繋がるよ」
口の中が空回りして、表情の筋肉が強張るのがわかった。
何か、言わないと……。
「……どうして、それを言おうと思ったんですか?」
動かない身体と口を無理矢理、動かす。
振り向くと、晴華さんの顔があった。胸に手を当て、まるで自分事のように俺を見つめていた。
後ろにいるのは当然だ、もちろん分かっていた。だが、驚いてしまった。そこにあってほしくなかった。
「あの日……夕陽くんが来てくれることで夏海が元気になるところまでは想像が付いていたんだ。だけど、学校にも部活にも出るなんて言うとは思ってなかったんだよね」
「……なんで?」
「夕陽くんと話をした上で、少なくとも、あと一週間くらいは心の整理をする必要があると思ってたから。だけど、実際はそうならなかった」
「……」
「きっと……夕陽くんがとても強い言葉で夏海の背中を押したんだなって、すぐわかったよ」
強すぎる光に全てを見透かされている感覚に襲われた。どんなに必死になっても隠しきれない。
そして、俺が気付いていないものさえ、白日の下に晒されるのではないか。そんな恐怖心に似た何かがそこにあった。
先ほどの夏海の言葉が響いてくる。
「夕陽は優しいよね」
言葉通りの意味で受け取っていた。だけど、本当はそれ以上に強い意味が込められていたのではないか?
優しすぎる。
今の俺にはそう聞こえた。




