18話 クロサンドラの連なる花たち
車の後部座席で揺られている。
田舎道のせいか、国道なのに道はデコボコしていた。
空は秋らしく抜けるような晴天で、ところどころに綿あめのように薄く引き延ばされた雲が浮かんでいる。
車に乗り始めたときは住宅が、しばらくするとビル群が外を埋め尽くしていたが、今は山が多くなってきた。
木々は紅葉して、風が吹くたびに赤や黄色の葉が空を舞っている。
空気の質感も変わりはじめた。土の香りが鼻に届き、先日の雨が山に染みているのか、ひんやりとした湿った風を肌で感じた。
山が近くなってきたこともあり、視界が狭いせいで鳥の姿はほとんど見えないが、声だけは聞こえた。まるでさえずりが空を飛んでいるようだ。唯一、姿と大きさがわかりやすいトンビだけは見えた。口笛のような特徴的な声が響く。
目をつぶりながら、さわやかな鳥たちの音を聞いていると、今度はカラスの声が聞こえた。目を開け空を見ると、どうやらトンビと縄張り争いをしているようだ。一匹のトンビに対して3匹のカラスがカーカーと鳴きながら追走している。
「何を見てるんですか?」
隣で座っている冬香は体をこちらに寄せながら、興味津々に俺の目線の先を一緒になって追う。
「トンビとカラスが遊んでるなーって思ってさ」
「本当ですね。喧嘩してるようにも見えますが……」
「そうとも言えるね」
二人で観察をしていると、トンビたちが山影の向こう側へ消えてしまった。
冬香は「あ」と呟き、名残惜しそうに身を引いた。
少しだけ、冷たい空白を感じる。
それから逃げるように、無意識に手を動かす。
気付いたら俺は彼女の頭を撫でていた。冬香も何の抵抗もなく受け入れ、陽だまりのような瞳を返してくれた。
初対面の頃に撫でたときはセクハラで七沖にシメられるんじゃないかとビビったものだが、時が経つのは早いものだ。
「それにしても、俺たちも参加してよかったのか?」
冬香の隣にいる七沖はあくび混じりに助手席の夏海に聞いた。
今は朝の8時。車に乗り込んだ時は7時前だった。まだ眠いと感じるのはよくわかる。
「いいに決まってるでしょ?私の友達なんだから。それに毎年参加してるお父さんの弟一家が来なくなって食材が余りそうだったから助かるって話よ。それに――」
夏海は後部座席のほうへ身体ごと振り向く。
「あんたが私たちと遠出をして遊びたいって言ったんでしょうが」
顔をほのかに赤らめながら、少し控えめな声でそう言った。
それを聞いた七沖は夏海以上に顔を赤らめて窓の外へ目線を逸らす。
「まぁ……それはそうだけど。まさかその話をしてから2日後に実現するとは思わないだろ」
俺と冬香は恥ずかしがってる二人の様子を見て、目を合わせて笑う。
「毎年、この時期になると親戚を呼んでバーベキューに行くの。去年はちょうどバスケ部の大会が被って行けなかったけど、今年はどちらのバスケ部も休みでタイミングがよかったわ」
「そうそう。だから篠田君も気兼ねなく食べまくっていいからね。私、美味しそうにご飯をたくさん食べる男の子を見るの好きだからさ。楽しんでくれると、お姉さんも嬉しいぞ」
運転席の晴華さんはきゅるん、とした、語尾に星マークが付きそうな可愛らしい言い方をした。
そういえば、晴華さんとファミレスで飯を食ったとき、同じようなことを言っていた気がする。
「お姉さんが喜んでくれるならいくらでも美味しそうに食べます!」
下心丸見えな七沖へ冬香と夏海は冷ややかな目を向け、俺は苦笑いで受け流す。
「お姉ちゃん、いい歳なんだからそろそろ、そのきゃぴきゃぴした言い方はやめなよ……」
「うっさいわね、篠田君を見なさいよ。効果抜群じゃない。私もまだまだ現役みたいね」
ふふん、とドヤ顔を決める晴華さんと、その言葉を全肯定するように頭を縦に振りまくる七沖。
「篠田君は素直でいい子だねぇ。うちの妹とは大違いだ」
夏海は「うるさい」と晴華さんの言葉をはたき落とす。
「ちょっと篠田!この前あんた、私に誕生日プレゼントくれようとしたでしょ!女なら誰でも下心出すの!?」
「それはそれ、これはこれだ!」
「七沖……それはさすがに節操なさすぎだろ」
俺は小声で突っ込みを入れると、隣から冬香の重みを感じた。
彼女は何も言わなかったが、体温と共に俺の心に彼女の気持ちが少しだけ流れ込んでくるような気がした。
冬香は目を細め、慈しむ。
きっと、些細でくだらない、温かい瞬間を噛みしめているのだろう。
ガタン、と車体が大きく揺れた。
振動の種類が変わる。
道路はいつの間にか、アスファルト舗装から砂利に変わっていた。細かい揺れが身体に伝わり、水の匂いが強くなってくる。
もうすぐ目的地に到着するようだ。
よく考えると、こうやって夏海・七沖・冬香と遊びに行くのは、冬香と出会ったカラオケ以来だ。ダブルデートの水族館も流れてしまったし、それ以降は、それぞれの事情があって、全員で遊びに行くことができなかった。
まだバーベキューは始まってすらいないが、俺の中ではすでに幸せな思い出になりつつある。
帰ったらサボテンを一つ買おう。
アスファルト舗装された駐車場に到着した。
外に降りると、目の前には管理釣り場の池があった。
車の中で聞いていたときよりも水の流れる音がたくさん聞こえ、魚特有の匂いもかすかに感じる。
もう一台の車からは夏海の両親と親戚と思われる人たちが降りてきた。
小学生低学年くらいの女の子と男の子が一人ずつ、その親と思われる大人の男女が一人ずつ。合計四人だ。
「夏海ちゃん!久しぶり~!綺麗になったねぇ」
女性が夏海に駆け寄る。夏海もそれを見てテンションを合わせて迎える。
「おばさん~久しぶり~!元気だった?」
相手に合わせてテンションを変えることができる。これこそ夏海が世代を問わずに好かれる理由だ。
俺だったら一日で疲れて、翌日からは絶対にやらなくなる自信がある。
こういう彼女の明るさが俺は好きだった。
「晴華、今年も付き合ってくれてありがとう。うちの子供たちは毎年楽しみにしてるから助かるよ」
「あ、おじさん。ううん、気にしないで。私もこうちゃんたちに会いたかったから」
晴華さんは「こうちゃん」と呼ぶと、男の子が満面の笑みで晴華さんに近寄ってくる。
「お姉ちゃん~。元気だった?」
こうちゃんは晴華さんの足に抱きつく。
「おい……!あいつ晴華さんの生足に触れたぞ……!」
七沖にとっては、衝撃的な光景にわなわなと発狂しかけてるので、俺は肩を叩いて諫める。
「子供に嫉妬するなよ……しかもジーンズ越しだから生じゃないし」
「ずいぶん重くなったねぇ」と言われながら抱っこをしてもらっているこうちゃんの立場が羨ましすぎたのか、おいおい泣き始める。
「冬香……七沖って中学の頃からこんな感じだったのか?」
「うーん、面食いだったことは間違いないですね。私に声をかけたのも美人だからって言ってましたから……それにしても、ここまでとは思っていませんでした」
「きっと年上お姉さんが好みなんだろうな……」
俺たちは憐れみを込めて七沖を見つめた。
ふと足元を見ると、こうちゃんと兄妹の女の子が俺の顔をまじまじと見つめながら立っていた。
俺は同じ目線になるようにしゃがみ、声をかける。
「こんにちは、名前はなんて言うの?」
女の子はもじもじと恥ずかしがりながら「あいちゃん」と伝えてくれた。
おそらく両親にちゃん付けで呼ばれているのだろう。自分をちゃん付けで呼ぶのは子供らしく可愛い。
「あいちゃんか~、よろしくね。俺はゆうひって言うんだ。ゆうちゃんって呼んでね」
警戒心を持たれないように、持ちうる限りの優しさを総動員して、あいちゃんの頭を撫でながらニコニコする。
「……ゆうちゃん」
「なーに?あいちゃん」
じ~っと俺の顔を見ていると思ったら、おもむろに頬に手をぺたぺたと触り――
俺の頬にキスをした。
――え?
「は?」
冬香から聞いたことのない声が聞こえた、気がする。気のせいであって欲しい。
あいちゃんはお母さんの元へ急いで走っていってしまった。
深く深く、深呼吸をする。立ち上がり、冬香の様子を確認してみる。
いつも通りの表情に見えたが、俺には見える。怨念が渦巻いている姿が。
たぶん、古賀を張り倒したときより怖い。
「……子供のすることだから。ね?」
「なにがですか?」
「え、だからさっきのは――」
「なんのことですか?記憶にないですよ」
記憶がなければ出ない発言にしか聞こえないが、そういう体で押し切るつもりのようだ。
「あー……そうだね。なにを話そうとしてたんだっけ?俺も忘れちゃった。なぁ、七沖?」
「え、何言ってんの?夕陽、キスされてたじゃん。前から思ってたけど夕陽ってモテる顔をしてるよなぁ。小さな女の子でもわかるもんなんだな」
笑顔のままあっけらかんと地雷原を踏み抜いていく彼の雄姿がかっこよく見えた。まるで地雷の爆発を背にポーズを決めるヒーローのような姿だ。
「張っ倒しますよ!?」
冬香は追い回し始めた。七沖はバスケ部の体力を有効活用して「はははは!」と煽り散らしながら逃げていく。
「三人とも……なにやってるの?」
「夏海、お疲れ様。まぁ、俺があいちゃんにキスされたところを冬香が見て怒って……そこに七沖が火に油を注いで、今に至るってところかな」
「あーあいちゃんね。あの子、めちゃくちゃ面食いだから。気に入った男がいたらキスしてマーキングするよ」
「なにその小悪魔……怖いんだけど」
「まぁ……まだ子供だからいいけどね。やっぱり夕陽は狙われるかぁ」
世の中って広い。




