2話 クリスマスローズと陽射し
『夕陽?おーい、起きてるかー?』
着信音が目覚ましとなってベッドから起き上がる。電話に出ると太陽のように明るく元気な声が頭に響く。
「朝から元気だね……夏海」
『朝練があるんだから当たり前でしょ。元気じゃないのは夕陽が朝に弱いだけ。とりあえず、早く準備してよね。一緒に仲良く遅刻なんてしたくないから』
「今起きたから、ちょっと待ってて……」
『あ、いつものことだけど、朝ごはんはお母さんが夕陽の分も用意してくれてるから気にしなくていいからね!』
『じゃあね、待ってあげるんだから早く来なさいよ』そう言って電話が切れる。
「んー……眠い」
夏海のお母さん、いつもありがとうございます。
俺は心の中で感謝を述べながら1人で頭を下げる。
星田家とは俺が幼稚園に上がる前から交流がある。とはいえ、俺自身は中学生になるまで親の転勤の都合で県外にいることが多かったので直接的な関りは少なく、親同士での交流が多かったようだ。
そういった縁もあって、今でも夏海のお母さんには良くしてもらっている。
そろそろ鳴るであろう目覚まし時計のアラームを止めて、部屋を出ようと、寝起きでフラフラする頭を押さえながら自室の入り口へ向かう。
「いっつ……!」
ドアの縁に足の小指をぶつける。片足でぴょんぴょん跳ねながら悶える。
「いでっ!」
壁に頭をぶつける。
痛みで完全に目は覚めているが、とりあえず脱衣場に向かう。
軽くシャワーだけ浴び、急いで着替える。昼飯は売店で買うしかないだろう。
カバンを背負って玄関のドアを開けると、正面から朝日が当たる。
「おはよう、夕陽――どうしたの?おでこ、赤いよ?」
強い逆光で目を半分に細める。目が慣れてくると、光の中に人の輪郭が見えてくる。
そこには、スマホを操作しながら俺を待っている夏海がいた。
太陽を背に立っている彼女を見て、無意識に目を逸らす。
「おはよう、夏海。まぁ、ちょっと色々とあって……ちょっと待っててもらってもいい?」
玄関横のサボテンに目を向けて水が必要そうな子に一つずつかけてあげる。
「まだやってるんだ、それ」
「最初は暇つぶしだったけど、愛着が湧いたら結構面白いよ」
「ふーん、そうなんだ」
「その様子だと夏海のサボテンはもう枯れたっぽいね?」
元々、夏海との初デートで記憶に残るものが欲しくて、なんとなく選んだのがホームセンターのサボテンだった。
夏海はバツが悪そうに視線を横に逸らしながら、母親に世話をしてもらっている、と言った。
俺はそんなことだろうと、当時から思っていたので、苦笑だけして特にそのことに言及はしなかった。彼女の向き不向きの話だから仕方ない。
トゲが刺さった痛みのようなものを感じる。
自転車に乗り、駅前を通って学校まで向かう。
学校前の長い上り坂まで来ると、俺たちは自転車から降りて押して上がる。
「先週さ、八木坂さんとカラオケ行ったでしょ?」
夏海がスマホを片手で操作しながら聞いてくる。
「うん、行ったね」
「その時に八木坂さんと連絡先を交換したんだけど、今度、ダブルデートでもしないかって誘いが来たんだよね」
俺が夏海を誘うと角が立ちそうだったので、八木坂さんから夏海に誘ってほしいと事前にお願いしていたことだ。
「あー、いいんじゃない?篠田が恋人といる時、どういう言動をするのか興味あるし」
俺はさも初耳かのように、とぼけながら篠田を出汁に使って肯定する。
「……まぁ、それはたしかに気になる、かも」
「でしょ?あいつってガサツというか、結構適当な性格だから彼女を大事にしてるところって想像付かなくてさ。そういう意味でダブルデートは面白そうかな」
その場にいない人間の性格をディスりながらダブルデートの面白さを話す。
「んん〜まぁそうかな……」
煮え切らない反応をする夏海にその理由を聞いてみる。
「いや、ダブルデート自体はいいんだけど……何か、違和感があるんだよね」
「い、違和感?なにそれ?」
「なんで少しどもってるのよ……。デートの場所も動物園か水族館にしようって言っていて……篠田も了承してるとは思うんだけど、あいつはそういう場所が好きなタイプじゃない気がするんだよね」
「八木坂さんがどうしても行きたいんでしょ?篠田はガサツな奴だけど、彼女たっての希望を無下にするような奴じゃないよ。いやー、あいつも彼氏をちゃんとやってるんだな」
夏海を違和感から目を逸らせるために……もとい、さっき篠田をディスった分を取り戻すために褒める。
彼女は足を止め、スマホを自転車の前カゴに突っ込んであるカバンに入れた。
喉で引っかかっている何かを外へ出さないように夏海は黙り込む。
「夏海?」
後ろを振り向くと、何かを言いたそうに無言でこちらを見ていた。
「ねぇ……夕陽」
瞳から、口元から、手の動きから、彼女の焦燥感が滲み出ている。
「う、うん……」
俺の顔を真っ直ぐ見ながら一瞬、不安感のような何とも言えない表情をしながら立ち止まる。
「キスして」
「えっ」
「だから、キス」
「今……ここで?」
「うん、今ここで」
俺の聞き間違いではないようだ。なぜそんなことを急に言い始めたのか、よく理解できない。
自転車をその場に停めて近寄ってくる。
突然の話で自分の表情がこわばってるのがわかる。
「できないの?」
彼女は俺の腕を触り、そのまま肩まで撫でるように指先で伝っていく。
「いや、できるけど……ここ登校ルートだから誰かに見ら——んぅっ!」
夏海は俺の頬に両手を添えて、唇を重ねる。
俺の手から自転車が離れ、その場で大きな音を立てながら倒れたはずだが、聞こえなかった。
目を細めながら、いつもより少しだけ長く重ねる。
名残惜しそうに少し離れ、頬を撫でながら少し潤んだ瞳で見つめる。
最後に、彼女は小さく問いかける。
「ねぇ……私は夕陽の恋人だよね?」
答えられて当然の質問に、すぐ答えることができなかった。
そんな自分に嫌悪感を感じて、それを認めたくなかった。
「……うん、もちろんだよ」
その場しのぎの、当たり前な返事をすると、彼女は微笑みながら手を離す。
「ありがとう」
それだけ言って、彼女は自分の自転車に戻り、歩き始めた。
「朝練まで時間があんまりないね。早く行こう?」
何事もなかったかのように、元気な笑顔を見せてくれた。
その光は、今の俺には眩しすぎる。




