1話 夏の終わりと秋の始まりⅡ
カラオケが終わり、店の前で談笑をしていると、夏海と篠田が、これから共通の友人のところに遊びに行くと言い始めた。
夜8時を過ぎているし、明日も学校だ。
今日は帰るべきだと思うのだが、最近の夏海にそういうことを言うと不機嫌になるため、言いづらくて、気が重い。
そもそも俺がいるのに、なぜ篠田や他の男と遊ぶことに抵抗がないんだろうか。
距離を感じる。近いはずなのに遠い。些細な価値観の違いから、穴が空くような感覚を覚える俺はわがままなんだろうか……よくわからない。
「俺は行かない」とだけ夏海に伝えると物悲しそうな表情を一瞬だけするが、「じゃあね、また明日」とだけ言って篠田と共に自転車で走り出した。
「……八木坂さんはどうする?篠田と一緒に行かなくて良かったの?」
篠田の彼女である八木坂さんも付いていくものだとばかり思っていたが、彼女は俺の隣で口を噤む。
しばらくの沈黙のあと、彼女は口を開く。
「私も帰ります。とても楽しかったです、ありがとうございました。また今度、黒臼くんのポルノグラフィティを聴かせてください」
彼女は丁寧に返事をしてくれた。だが、話し方も表情も硬く、カラオケで遊んでいたときのような柔らかさはない。篠田に置いていかれたことに、何か思うところがあるのかもしれない。
そんな彼女がこのまま帰ってしまったら、もう会えなくなるんじゃないか。そんな不安が、急に胸の中で大きくなっていく。
「うん。また一緒に遊ぼう。バイバイ」
軽く手を振って彼女を見送る。彼女は深くお辞儀をして自分の自転車のハンドルに手をかけた。
俺は帰ろうとする彼女の後ろ姿を見て、別れたくないと思った。今日、初めて会ったばかりだし友達でもないけど、そう感じた。
何を話すか全く考えてなかったが、咄嗟に声をかける。
「八木坂さんってどっちへ帰るの?」
「えっと、ここから最寄りの駅まで自転車で行って、駅前の駐輪所に自転車を置いてから電車で帰るつもりです」
「俺も駅前を通って帰るんだ。そこまで一緒に帰らない?」
八木坂さんは笑顔で「良いですよ、一緒に帰りましょう」とだけ答えてくれた。
駅までは自転車に乗れば10分程度で帰れる距離だが、俺は何も言わずに自転車を押して帰ることにした。彼女も俺が押して帰っているのを見て、同じようにしてくれた。
新月の日だったこともあり、外は真っ暗だった。この時間になると、さすがに暑さも和らいだように感じるが、湿度の高さは変わらずだった。
今朝、天気予報で熱帯夜になると放送していたことを思い出して、ため息が出た。
沈黙が流れる。勢いで誘ったのはいいが、本当に話すことを何も考えていなかったため、何から話すべきなのか、わからない。
「……八木坂さん」
「はい、なんですか?」
「付き合ってくれてありがとう」
「えっと…何の話ですか?」
意図が掴めない言葉に彼女は少し戸惑いながら返事をした。
「ごめん、紛らわしかったね。徒歩で帰るの、付き合ってくれてありがとう」
「あ、そういうこと……でしたか。いえいえ、気にしないでください」
少しの間を空けて、八木坂さんは続ける。
「私も、もう少し黒臼くんとお話したいなぁって思ってました。誘ってくれて嬉しかったです」
彼女の顔は前を向いたまま、目線だけこちらに向けながら楽しそうに笑う。
「そっか、ありがとう。そう言ってくれると俺も誘った甲斐があったよ」
お世辞だとしても、俺を傷付けないように気遣ってくれる八木坂さんはとても優しい人だな。
そう思っていると、俺が少し苦笑いを浮かべたのを見て取ったのか、首を傾げながら言った。
「違いますよ」
彼女はその場に立ち止まる。俺は後ろを振り向いて彼女の顔を見たが、街灯に照らされることで彼女の顔に影ができてしまい、表情が読めない。
突然の否定に心音が早くなり、緊張が走った。八木坂さんに対して不快に感じる何かをしてしまったのだろうかと、今日の出来事を思い返す……までもなかった。初対面で頭を撫でてるじゃないか。
「え?何が?」
それでも文脈がわからない以上、一縷の望みをかけてとぼけるしかない。
「黒臼くんは、お世辞だと思ってますよね?」
今度は顔をこちらに向けて、俺の瞳を真っ直ぐ見つめる。
「お世辞じゃないです、本当にそう思ってますよ」
顔の角度が変わり、陰から八木坂さんの笑顔が見えた。
彼女のまっすぐな目線と言葉に面食らった。徐々に顔が熱くなる。口元が緩んでいる情けない顔を見せたくなくて片手で口元を覆う。
「どうしたんですか?」
キョトンとした顔で挙動不審な俺を案じてくれる彼女を困らせないために冷静を装う。
「いや、なんでもないよ。ストレートに言ってくれて……俺も嬉しい。ありがとう、八木坂さん」
彼女は俺が恥ずかしがっていることに気付くと、「えへへ」とはにかむ。
「はい、喜んでくれたようで良かったです」
柔らかな微笑みに、思わず目が奪われる。
「あ、そうだ。聞きたいことがあったんですけど……いいですか?」
彼女はそう言いながら、自分の頭に手を乗せて軽く撫でる。少しだけ頬を赤らめながら。
「もちろんいいよ、どうしたの?」
「今日、撫でてくれたときに私のことを家にいた猫みたいって言ってましたよね?どんな猫ちゃんだったんですか?」
「あー、その話ね。白黒でハチワレのメス猫だったんだ。名前はハモ、由来はそのままでハチワレのモノトーン。俺が父親の転勤の都合で名古屋の幼稚園に通ってた頃に母親が野良の子猫を拾ってきたんだよね」
「え……?」
「うん?どうしたの?そんなに猫が好きなの?」
「いえ……まぁ、たしかに好きでは……あるのですが」
視線を外して言い淀む。口元に手を当てることで隠した。
「えっと、変なことを聞くようで申し訳ないのですが……どこの幼稚園だったんですか?」
「え?んー、覚えてないな。その幼稚園に通っていたのもあまり長くなくてさ。すぐ転園したんだよね」
「転園……?そう……ですか。ありがとうございます」
八木坂さんは少しだけ黙り込んだ。
何に引っかかっているのか、俺には全くわからなかった。幼稚園については、これ以上聞かれても覚えていることはほとんどない。
「ごめんなさい、話の腰を折ってしまって。……ハモちゃんですか、可愛い名前ですね。お母さんが名付けたんですか?」
彼女の反応が気にはなったが、それよりも今は八木坂さんと楽しく話をしたかった。
「どうだったかな……たしか父親だった気がするけど、父親が関わってるのはそれくらいしかないよ。世話は専業主婦だった母親がほとんどやってたし」
「優しいお母さんなんですね、私の母は……動物が苦手で飼えないのでちょっと羨ましいです」
八木坂さんの声のトーンが少し落ちた気がしたので目線を彼女へ合わせる。笑ってはいるが少しだけ哀愁の漂う表情をしていた。
ちょっと羨ましいと言っているが、本当はめちゃくちゃ動物好きなのかもしれない。
「じゃあ、黒臼くんはハモちゃんと一緒にお父さんの転勤で色んなところに引っ越してたんですか?」
「うん、そうだね。特に幼稚園と小学校に通っていた時代は友達ができた頃に引っ越すことがほとんどで、あまり仲の良い友達はいなかったな。でも家に帰ればハモと母親がいたから寂しいっていうのは無かったと思う」
「そうなんですか、それはよかったです。家は安心できる場所じゃないとダメですから」
また彼女から哀愁を感じる。そんなに動物がいないことが寂しかったのだろうか。
時折、悲しそうな表情をする八木坂さんのために何かできることはあれば、と考えを巡らせる。
「今度、動物園か水族館あたりに一緒に行く?二人だけだとまずいから篠田と夏海も連れてダブルデートになると思うけど……」
「え、急にどうしたんですか?もちろんどちらも好きですけど……」
「さっきから動物の話をしたときに寂しそうな言い方をしてるから、そんなに動物が好きなのかなぁって思って誘ってみたんだけど……」
彼女はその言葉を聞いて一瞬だけ固まったかと思うと次の瞬間、控えめに笑い出した。
何が面白いのかよくわからず、戸惑っている俺を見て、笑いをこらえながら謝罪をしてくれた。
「急に笑ってしまってごめんなさい……ただ、黒臼くんって本当に優しいなぁって思っただけなんです」
「えっと……よくわからないけど、八木坂さんを励ますことができたってことなのかな?」
「とても励ましてもらえました。黒臼くんの優しさに触れたら、いつまでも過去に引きずられて生きていても仕方ないなって思えたので。おかげさまでもう解決済みです」
「そっか。まだよくわからないけど……でも、役に立てたなら良かった」
「はい、黒臼くんのおかげです、ありがとうございます。内容は、まぁ大した話じゃないんですけど……それについては、また今度お話しますね。それよりももっと大事な話があるのでそっちの話をしましょう」
「ん?なんだっけ?」
「デートですよ、ダブルデート。どう考えてもこっちのほうが大事じゃないですか」
そう言うと、スマホを取り出して動物園と水族館はどちらも行きたい、昼食はここで食べたいとわくわくしながら調べている彼女を、目を細めながら眺める。
解決した悩みについては……タイミングが合った時に、改めて聞いてみよう。
今は八木坂さんと、これからのことについて楽しく話していて忙しいのだから。




