1話 夏の終わりと秋の始まりⅠ
体育館の下駄箱で俺たちは夏仕様の半袖Yシャツの胸元をばたつかせながら、靴に履き替えていた。
外は太陽が沈み始めている。周囲が暗くなり始めているのも相まって、セミの鳴き声が少しだけ切なく聞こえる。
靴を履き終え、床に置いていたカバンとバッシュの袋を肩にかける。
季節は8月の中旬。夏休みも終盤、陽が傾いた程度では涼しくなることはない。
「夕陽ー。これからカラオケ行くけど、当然、行くでしょ?」
体育館から外に出て、友達と駄弁っていると、制汗スプレーを手にした女性に声をかけられる。
明るめの茶髪、どちらかといえばオレンジに近い短髪の少女、星田 夏海はスプレーをカバンにしまい、スマホを操作しながら話を続ける。
「篠田も呼んであるから。あと篠田の彼女もね。合計四人でフリータイム、これでいいよね?」
「あいつの彼女?聞いたことはあるけど、会ったことはないな」
「そうだっけ?黒髪セミロングの子で、大人しい感じかな。身長は160くらい?」
「それだけ聞くと篠田にはもったいない彼女だな」
俺は肩をすくめると、隣で別の友達と話していた篠田が会話に割り込み、脇腹に肘でつついてくる。
「うるせーよ。お前にはやらんからな、黒臼」
「いらん、俺は彼女持ちだっつーの」
俺は夏海の腰に腕を回し、抱き寄せて篠田に見せ付ける。夏海は顔を赤らめ、俺の脇腹をくすぐりながら離れる。
「へーへー、お熱いことで何より」
「お前たちはお熱くないのか?」
「……まぁ、それなりだよ」
「なんだよ、それなりって」
篠田はしばらくの無言の後、「うるせー」とだけ言って会話を切られてしまった。
「今、家で勉強してるらしい。今から準備をするから来るのが遅れるってよ」
よほど彼女のことを触れられたくなかったのか、スマホのチャットアプリを見ながら話題を変える。
「じゃあ、とりあえず三人でカラオケまで行こうよ。フリータイムにする予定だし、多少遅れても問題ないんじゃない?」
夏海が話をまとめる。スマホをしまうと、隣まで駆け寄ってきた彼女は、俺の顔を覗きながら笑顔を向けてくれる。
彼女の頭を撫でる。篠田が後ろから突然、俺の背中を軽く叩いた。
「いてぇよ」と軽口をたたき合いながらじゃれあう、いつもの光景。
音楽室から吹奏楽部の音楽が聞こえる。俺たちは音を背に、他愛のない話をしながら駐輪場へ向かった。
俺たちは自転車でカラオケ店へ到着した。篠田の彼女はまだ来てなかったので、エアコンを浴びたという二人の要望もあり、先にフリータイムで部屋を取った。
二人はさっそく採点システムで互いの点数を罵り合いながら楽しんでいる。一方で俺は、万人受けする曲を選ぶことに苦戦していた。曲の好みに偏りがあると、こういう時に困る。
「……ちょっとトイレに行ってくる。ついでに飲み物も持ってくるからお前らのコップも預かるよ」
コップをトイレに持ち込むわけにはいかないので一度、ドリンクバーコーナーにコップを置いた。そのままトイレに行こうとしたとき、店の入り口でスマホを片手に右往左往している黒髪の少女がいることに気付く。
「黒髪で身長は160くらいの美女……あの人が八木坂さんか?」
なぜ困っている様子なのかはよくわからないが、とりあえず声をかけてみた。
「君、八木坂さん?篠田の彼女の?」
「あっ…そうです。あの、篠田くんは…どこに?」
「ん?もしかして部屋番号を教えてもらってないの?全くあいつは……。ごめん、篠田の奴は今、歌に夢中でメッセージも見てないと思うんだ。案内するよ」
「すみません……!ありがとうございます」
「いいよ、気にしないで。俺たちの都合で急に呼び出されたんでしょ、大変だったね。来てくれてありがとう」
「あ…いえ、ありがとうございます」
彼女はなぜか、ぎこちなく下を向いてしまう。少し怯えている小動物のような可愛らしさを感じる。
「大丈夫?」
「ありがとうって言われるとは思っていなくて、ちょっとくすぐったいなって……」
もじもじと両手を握りしめながら、恥ずかしそうに答える。
「あぁ、そういうこと。ごめんね、初対面なのに馴れ馴れしかったかな。気を付けるね」
「いえ!そんなことないです!すごい嬉しかったので……その、またお願いします」
少し表情を赤らめながら深々とお辞儀をする。
彼女とは初対面のはずだが、なぜか、その面影に見覚えがある気がする。
「あ、ごめんなさい……初めてお会いする方にお願いすることじゃないですよね。気にしなーー」
そう、たしか、あのときはこうやって手を――
彼女が頭を上げると同時に、無言で彼女の頭を撫でる。理由はわからないが、触れたくなってしまった。
妙に懐かしい感覚が手のひらから伝わってくる。
最初は目を大きく見開いて、とても驚いていた彼女だが徐々に、はにかむような表情になる。体に少しだけ力が入り、穏やかな表情で目を閉じる。
少しの間、無言が続く。
理由はわからないが、心が温かくなるのを感じる。
「あのぉ……」
現実に引き戻された俺は、出会って数分の女性の頭を撫でている状況を改めて冷静に確認する。
彼女はこの状況に戸惑いながら上目遣いでこちらを見つめてくる。
「あ、ごめん!セクハラだよね!本当にごめん!八木坂さんを見てたら、家にいた猫を思い出しちゃって……!」
無意識に行った行為に自分で驚き、勢いよく両手を挙げる。
彼女は小声で「猫……」と呟きながら、気を取り直して俺に質問をする。
「いえ、大丈夫です。あの、お名前を伺っても……?」
思わず撫でてしまった罪悪感と、彼女が怒らなかった安堵が同時に胸の中で混ざる。少し距離を取り直して改めて名乗った。
「俺は黒臼 夕陽。よろしく、八木坂さん」
「八木坂 冬香です。よろしくお願いします、黒臼さん」
「さん付けはしなくていいよ。なんだか照れくさいからさ」
「わかりました……黒臼くん」
彼女は控えめに返事をすると、再び下を向いてしまう。
「前に……どこかで会ったことある?」
確信は何もなかった。だが、聞かずにはいられなかった。
名前も顔も心当たりはない。だけど、俺の心が何かを訴えかけているような気がしてならなかった。
「どうでしょう……?私は……たぶん、初めてだと思います」
「そうだよな……変なことを聞いてごめんね。あ、そうだ。申し訳ないんだけど、ドリンクバーのところにコップが2つあるから、それを篠田たちに渡しておいてくれる?部屋番は151番だからさ。八木坂さんの分は俺が持っていくよ。飲みたいものはある?」
「それなら……烏龍茶でお願いします」
彼女は深々と頭を下げて感謝をする。ドリンクを持って小走りで部屋に向かった。
やってしまった、心臓がドキドキする。後でセクハラだと篠田にチクられても文句は言えないな……。
目を閉じ、高鳴る心臓を落ち着かせる。きめ細やかな黒髪を撫でた手に彼女の感触がまだ残っている。少しだけ指先が痺れるような感覚があった。
トイレで用を足しながら昔の記憶を思い出した理由を見つけようと悶々と考えていたが、答えは出なかった。たぶん、映画かアニメに影響されてデジャヴが起きただけだろう。
トイレを済ませ、部屋に戻ると丁度、八木坂さんが歌っていた。
ポルノグラフィティのアポロだ。今から10年以上前の曲なのによく知っているな。
「篠田、彼女を呼ぶならちゃんと部屋番号くらい教えておけよ。八木坂さん、店の入り口で困ってたぞ」
「おぉ、案内してくれたんだって?悪いな、助かったよ」
反省の色が見えない篠田の態度に呆れた。だが、同時にいつものことであるため、早々に注意することは諦めた。
八木坂さんは歌いながら目配せをしてくれる。たぶん、謝罪と感謝を俺に伝えようとしているのだろう。俺も気にしないでくれという意味を乗せて目配せをする。
「何で初対面の八木坂さんとアイコンタクトしてんのよ。ほら、八木坂さんの次は夕陽が歌う番なんだからさっさと入れて」
隣で俺の座っている夏海はジト目で視線を俺に刺す。
「冷たい視線は甘んじて受け入れるから、ついでに横っ腹をつねらないでくれ……」
俺はデンモクでポルノグラフィティのROLLを入力する。夏海が俺の肩に頭を預けながらデンモクをのぞき込む。
「夕陽って本当に2000年代はじめの曲をよく歌うよね。何で?」
「小さいころ、父親の車に乗ったときによく聞いてたし、家でもCDをよく借りて聞いてたからね。そのせいなんだろうけど、この年代の曲が好きなんだよ」
「じゃあ八木坂さんが歌ってる曲も知ってるの?」
「うん、俺もよく歌ってると思うよ」
「あ、そういえば、八木坂さんが歌ってる曲もなんか知ってるなぁって思ってたけど、夕陽がよく歌うからだ」
雑談をしていると、八木坂さんのアポロが終わる。みんなで拍手をすると彼女は少し恥ずかしがりながら軽く会釈をしてマイクをテーブルに置く。
ディスプレイに表示された曲名を見た八木坂さんは少し驚きながらも視線をこちらに向けてニコニコしながら拍手をしてくれる。やはり知っていたようだ、八木坂さんの反応が可愛い。
「黒臼が歌う曲は古すぎてわからんぞ!」
「篠田のために歌うわけじゃないからな。八木坂さんのための曲なんだから知らなくて良いんだよ。っていうか自分の彼女が好きなアーティストくらい覚えておけよ」
「俺の彼女を口説くなよ!?」
「何?八木坂さんを口説くの?隣に私がいるのに?」
「夏海、人聞きの悪いことを言わないでくれ……。ポルノグラフィティが好きな人がいて嬉しいだけだって」
「ずるい!次の曲は私を口説く曲にして!」
頬を膨らませながら猛抗議をする夏海をなだめながらマイクをONにする。
歌に合わせて体を左右に揺らして乗ってくれる八木坂さんは、とても可愛らしくて楽しいひと時だった。
次は夏海のためにサボテンでも歌ってあげるか。
夏海に抱きつかれ、戸惑っていると、飲み物を飲んでいた八木坂さんから視線を感じる。
彼女は俺のことを歌い終わるまで、ずっと見つめていた。




