16話 大雨に咲くサワギキョウ
4時限目、終了のチャイムが鳴る。
教室には窓を閉めていても分かるくらい、ザーッという雨音が聞こえる。水滴が垂れ、施設の様々な金属やプラスチックに当たる音が耳に入ってくる。
「黒臼くん」
教科書を机に戻し昼食の準備をしていると、声をかけられた。
「あぁ、清水さん。昨日ぶりだね」
目線を机のカバンから上げると、金髪のカーディガンを着たギャルが目の前に立っていた。
「うん。昨日は連絡先を教えてくれて、ありがとう」
「こちらこそ。連絡先を聞かれることなんて、あまりなかったから嬉しかったよ」
「えっ……あ、そうだよね。それなら……よかった。」
なぜか一瞬だけ、清水さんが戸惑ったように見えた。
「……どうしたの?俺、何かおかしいこと言った?」
「ううん!なんでもないの!ただ、夕陽くんってモテるのに連絡先の交換をあんまりしてないんだって思って……」
「ははっ、清水さんは冗談が上手いな。ありがとう、嬉しいよ」
それが事実なら、今まで他の女性との接点が増えなかった現実と辻褄が合わない。
それこそ、最近仲良くなったのは冬香くらいだ。
俺がモテるなんて話は、彼女のリップサービスだろう。
割と無難な返事ができたと思っていたが、やはり清水さんの言動から戸惑いを感じる。何か変なことを言ってしまったようだ。
「……ごめん」
「あ……ち、違うの。何もおかしくないよ?私こそ変な態度をとってごめんなさい……」
微妙な空気のあと、俺たちは苦笑いをした。
「黒臼くんは、これからどうするの?」
それを清水さんも察したのか、話題を変えた。
「昼ごはんの話?雨も降ってるし、食堂で食べようかと――」
言いかけると、清水さんの隣には、いつの間にか人が増えていた。
清水さんの両側に二人、俺を横から挟むように二人。合計5人の女子に囲まれている。
これは、異常事態だ。
「これがみっちゃんお気に入りの黒臼くんか〜」
清水さんの隣にいる見覚えのない黒髪ギャルが興味深そうに顔を覗き込んでくる。
「星田さんの元彼でしょ?清水が言ってた通り、優しそうな人だねぇ」
俺を無視して好き勝手な話を始める彼女たち。
思考がフリーズして何をどうすべきなのか、わからなくなる。
「あのっ……!黒臼くん?大丈夫?」
清水さんの声に引っ張られて俺はようやく口を開けた。彼女は周りの友達を制止しながら、俺を心配そうな表情で気にかけているように見えた。
「あぁ……うん、大丈夫だよ。経験したことがなかったから……ちょっと驚いただけ」
「騒がしくしてごめんなさい。えっと、よければ一緒にお昼……どうかなって……」
俺はどう返事をしたものかと、逡巡する。
いつもであれば、俺が迎えに来ないことに痺れを切らして、冬香が教室に来る頃だ。それまでに断らなければ。
この場面を見られたら、あらぬ――
清水さんたちの隙間から、教室の開いているドアに目を向ける。廊下に、うちの教室前を通り抜ける冬香の姿が見えた。
気のせいかもしれないが、彼女は意図的にこちらに注意を向けないように通り抜けているように感じた。
心臓が跳ね、背筋が硬くなった。
俺は考えるよりも先に、弁当と財布を持って立ち上がる。
彼女たちを驚かせてしまったが、今はそれどころじゃない。
「清水さん、ごめん!昼ごはんは別の人と食べてるから!」
手遅れにならないように、ひたすら追いかけた。
「なぁ、お前……何をしたんだ?」
七沖は俺に耳打ちする。
「何もしてない……けど、教室で清水さんに話しかけられて……金髪ギャルたちに囲まれた……」
「は?」
要領を得ない内容に七沖が口を開けた。
高校が用意している食事用スペースに俺たちはいた。
四角いテーブルと椅子はオフィス用のものが使われているらしく、全て白とグレーで統一されている。
屋上が使えない日は、ここで集まることが多い。
俺と七沖の向かいの席に座っている冬香は、あからさまに不機嫌な顔をしながら、黙って食事を続けている。
「とりあえず、夕陽が原因っぽいな……」
七沖は俺の肩を数回叩く。
自分でなんとかしろ、ということだろう。
恐る恐る声をかける。
「あの……冬香……さん?」
「さん付けをやめてください。距離感を感じるので」
「えっ、でも普段からさん付けで……」
「やめてください」
「アッ、ハイ……えっと、冬香?」
食事の手を止めて、彼女は俺の目を見る。
「ギャルに囲まれるの、楽しそうでしたね?どなたが好みでしたか?」
冬香のジト目によって、俺の目を通して奥を覗きこまれているのを感じる。
「いや、その……誤解……」
「顔が緩んでましたね。正面横にいた黒髪ミニスカートの人ですか?それとも真横にいた褐色系の人?あぁ、それとも……金髪ギャルなのに清楚系の清水さんですか?」
怒涛の皮肉に耐えながらも、最後の言葉に驚く。
「え、清水さんのこと知ってるの?」
「……えぇ、あの人、図書委員ですから。今月、10月の図書委員の集まりにも来てたので覚えてます。あの外見で図書委員は珍しかったので話をしたこともありますよ」
金髪ギャルの図書委員……矛盾した属性……。
「夕陽……」
七沖が小声で呼びながら俺の横っ腹を指先でつつく。
彼を見ると、アイコンタクトで「集中しろ」というメッセージが届いたことだけは、わかった。
俺は咳払いをして意識を切り替える。
「へぇ〜そうなんだ。清水さんって図書委員なんだ。意外だなぁ」
「……何ですか?今の間とアイコンタクト……どういうことです?」
怪訝な顔をする冬香を苦笑いで乗り切ろうとする俺たち。
追求をのらりくらりと躱していると、舐めたような上から目線の不快な声が通路から聞こえた。
「あれ、夕陽先輩と篠田先輩じゃないですか」
両隣に女子二人を連れた、古賀がそこにいた。
ニヤニヤと悪意に似た感情を醸し出しながら、こちらを見てくる。
偶然見つけた、というよりも最初から俺たちがここにいることをわかっていた上で、このタイミングで声をかけたような雰囲気を感じる。
瞬間的に場の空気が固まる。
俺と七沖が真顔になったことを察知したのか、冬香も全身が萎縮したように見えた。
「……古賀。俺たちに何か用でもあるのか?」
七沖は警戒心を隠さず、声に乗せる。
「いやいや……そう警戒しないでくださいよ。ここであまり見かけないので、つい声をかけてしまっただけですよ」
古賀は俺たちへ順に目線を向けていくと、冬香で止まった。
「ずいぶん可愛らしい子ですね、夕陽先輩?夏海先輩とはだいぶタイプが違うように見えますが?」
何を言いたいのかよくわからないが、とりあえず、夏海を含め、俺たちを遠回しに侮辱しようとしているのは、よくわかった。
「何の話?その子と夏海を比べる意味はないと思うけど?」
精一杯の正論で返すと、古賀は嘲笑うように笑いを堪える。
「へぇ……」
ゆっくりと冬香が座っている椅子の背中部分に手を乗せて、品定めするように見回し、頭を撫でる。
「これが夏海先輩の代わりなんですか?」
冬香の頭を撫でる、笑顔の古賀を見た瞬間、俺は人生で初めて脳と体が沸騰する感覚を味わった。
七沖は目を見開き、立ち上がる。
古賀が立っている側に座っていた俺は、七沖よりも早く立ち上がり胸元を掴もうと動く。
だが、どれも実行されることはなかった。
パァン!という甲高く破裂するような音が響き渡る。
そこには――
古賀の頬へ向かって、フルスイングで平手を決めた、冬香がいた。
彼はビンタをされた勢いで、後ろによろめきながら仰向けに倒れる。
誰一人として、状況を理解できていなかったと思う。
その中で唯一わかったのは、俺にとって、冬香の行動と表情は今まで一度も見たことがなかったこと。
そして、怒りと悲しみを混ぜ、それを燃料にしながら突き動かされているように見えたこと。それだけだった。
古賀の隣にいた女子の一人が叫び声をあげる。もう一人は彼の身を案じ、近寄る。
先生を呼びに行けと言う人、走って職員室に行くと思われる人、スマホを片手に現状を煽る野次馬――
周囲が騒がしくなる。それでもお構いなしに彼女は声を荒げる。
「謝ってください……!夏海さんに……私の大事な人たちに謝ってください!!」
立ち上がり、両手を握りしめる。
頬から大粒の涙を流しながら、憎悪にも似た昏い表情をしていた。
それを見た俺はようやく、意識が目の前に戻る。
彼女はゆっくりと古賀に近付く。
「あなたが、どこの誰かなんて知りません……!だけど、私の――!」
気のせいかもしれないが、腕が再び上がるような気がした。
2回目はまずい。そう思った俺は、取り返しのつかないことになる前に体を動かす。
「冬香!」
俺の声に彼女の体がビクッと反応して、止める。
古賀と冬香の間に割って入る。
「大丈夫!?冬香?」
肩に手を置き、体を揺らしたが反応が薄い。
「冬香……聞こえる?」
無我夢中だった俺は、彼女の頬を両手で包み込み、顔を上げさせる。
「ぁ……うぅっ……!ゆうひ……くん……!」
「うん、俺はここにいるよ……」
俺の顔を見て、堰を切ったように涙がとめどなく流れる。
彼女を抱き寄せる。少しでも安心させようと背中に手を回し、ぎゅっと抱きしめた。
全身から緊張と力が抜けていくのがわかる。体重を俺に預け、弱々しい嗚咽の中には謝罪の言葉が混ざっていた。
「冬香……ありがとう。俺たちを守ってくれて」
「あ……ぅ……うぅ……ゆうひ……」
冬香の身体はわずかに震え、熱を帯びている。
彼女の手を右手で握る。だが身体の体温とは裏腹に、感情を爆発させていたとは思えないほど指先は冷たかった。
後ろで、古賀が立ち上る音が聞こえる。冬香からそれが見えたらしく、体が強張るのを感じた。
だから、彼女の頭を左手で撫で、見えないように顔を胸に埋める。
幸い、七沖が古賀の前に立ち塞がってくれたおかげで事なきを得たようだ。
先生たちが集まってくる。冬香を抱えたまま古賀のほうを見ると、足元がおぼつかないため、男性の先生に肩を借りる形でその場を後にしていた。
七沖は騒がしい野次馬に囲まれている中で、状況を見に来た先生たちに事情を説明してくれる。
大事な人だけを案じるために、俺は周囲の雑多な声や音を意識の中で遠ざけた。
冬香の慟哭は止まらない。腕の中で彼女は俺たちの名を呼んでいた。




