15話 嵐の前の静けさⅠ
朝練が終わり、更衣室として使っている体育館2階の卓球場で着替えをしていた。そこで篠田に声をかけられた。
「夕陽、お疲れ。調子はどうだ?」
「ん?まぁいつも通りだけど……どうしたの?」
「いや、特に理由があったわけじゃないんだけどさ。あれから、もうそろそろ3週間くらい経つだろ。気持ちとか、そういうのは大丈夫かな、と思ったんだよ」
「……悪いな、気を遣わせて。俺は大丈夫だよ」
ここ最近の篠田は、俺に優しい気がする……ちょっと気持ち悪いくらいだ。
夏海が登校しなくなって三週間。俺も晴華さんに様子を、何度か聞いてみたが状況に変化はないらしい。
「気にするなよ!俺とお前の仲だろ?」
普段なら鬱陶しいと思ったりするのだが、ここ最近は篠田の気遣いで安心感を覚えてる自分がいたりする。
夏海のことで気を遣わせてしまっているんだろう。
「夕陽先輩、ちょっと聞きたいことがあるんですけど、いいですか?」
声をかけてきたのは、一年の古賀 嵐汰。バスケ部の後輩だ。
両側の耳たぶにはピアス穴が無数に空いている。黒髪で男子にしては長めの髪。部活中はヘアゴムでまとめている。容姿端麗な顔立ちで、学年問わず女子人気がある。
「えっと……どうしたの?」
「夏海先輩ってなんで学校に来てないんですか?誰に聞いても知らないらしくて……夕陽先輩は付き合ってるんですよね?何か知ってれば教えて欲しいなと思いまして」
俺は同じ部活仲間とはいえ、後輩とはほとんど接点は持たない。というか同級生以外とは付き合い程度の仲しかいない。
だから、わざわざ俺を名指しで話かける後輩なんて一人も会ったことがない。
隣の篠田は古賀と俺を交互に目配せをしている。
「あー、俺も詳しいことは聞いてないかな。体調が悪いって話は聞いたけど……」
もう別れてしまったことも含めて、よく知らないやつに夏海の内情を話したくなかった。
俺は手を握りしめながら口を閉ざす。
「もう三週間は来てないですよね?彼氏なのに、なんでそんなフワッとした情報しか知らないんですか?そもそも、自分の彼女が引きこもってたら、こんなに放置しないと思いますけど。まるで他人事じゃないですか?」
上っ面の憶測で推し量られるのは不快で仕方ないが、我慢のときだ。
「えぇっと……」
とはいえ、もっともなことを言われて、返す言葉もないのは事実だ。
「おいおい、お前さ……。不躾すぎるだろ。その時点でこいつの口から星田のことについて、お前に何か言う必要があると思ってるの?そもそもお前、年上に対する礼儀も人に対する聞き方もなってねぇことくらい、わかるよな?」
篠田は横から入り込み、軽く拳を作って古賀の胸を小突くように押し返す。
「篠田先輩……俺、先輩のことはバスケプレイヤーとして尊敬してますけど……ちょっとは状況と空気を読んでください。今はそこにいる腑抜けた優男の、夕陽先輩に聞いてるんですよ」
俺たち二人に向けられた、挑発目的の煽り言葉だ。
「あ?お前……マジで言ってんの?こっちは状況も空気も読んだ上で言ってんだよ。少しバスケが上手くてちょっとモテるからって調子に乗ってんじゃねぇぞ」
「篠田……それ以上は……」
周りの人たちもざわつき始めてる。大事になりそうだ。
「篠田先輩も……夏海先輩のこと気にしてましたよね?この人に言いたいことのひとつやふたつくらい、あるんじゃないんですか?」
篠田の目つきがさらに鋭くなるのが、はっきりと見えた。
こういうとき、3年生がいれば収まりがついたりするものだが、残念ながらウィンターカップを予選で敗退しているため、すでに引退済みだ。
「テメェ……夕陽の何を知って――」
「はいはい、喧嘩はもう終わりだよ」
現部長の山岸はため息をつきながら、篠田の肩を軽く叩く。
「俺のせいじゃねぇよ、俊。古賀が夕陽にダル絡みした上に態度がふざけてるから――」
「最初から見てたから、わかってるよ」
山岸は篠田の肩を軽く揉む。
「古賀、今のはお前が悪いからな。人に聞くもの言いじゃないのは篠田の言う通りだ。先輩・後輩以前の問題。少しは相手のことを考えて発言しような?」
古賀はその場で黙り込んだまま、俺の前に近付くと
「すんませんでした、失礼なことを言って」
明らかに不平不満を抱えて不貞腐れてるような話し方だった。それだけ言い終えると、踵を返して1年のグループに戻っていく。
俺は何も言い返すことができず、その場で立ち尽くしてるだけだった。
古賀の後ろ姿を眺めながら、山岸はため息をした。
「夕陽、このあと……ちょっと話したいことがあるんだ。少し、時間いいか?筋トレルームを空けておくから、そこに来てくれ」
山岸はそう言いながら階段を降りていく。
「すまん、夕陽。余計なことをしちゃったかな」
両手を合わせる篠田に俺は心の底から謝意を伝える。
「ありがとう。正直、ぐうの音も出ない正論だったから庇ってくれて助かったよ」
「あんなのは正論でもなんでもねぇよ。ただの思い込みの知ったかぶりだ。何の価値もねぇ」
「あぁ、そうだな。俺の代わりに言ってくれて、ありがとう」
篠田に二回目も感謝を伝える日がくるとは思わなかった。
だが、これほど側にいると頼りになる友人だったことも実感できた。
一年は着替え終わり、階段を降りていく。その中には古賀もいた。彼はこちらをチラチラ見ながら、姿を消した。
「……古賀ってほとんど話したことないんだけど、篠田はどんなやつか知ってる?」
「俺も大して知らないけど……聞いた話だと、入部した頃から夏海のことを狙ってるみたいだな。夕陽が家族ぐるみの付き合いで交際してるってことを知ってからは、大人しくしてたみたいだけど……まぁ、要するにお前のことを羨ましがってるんだろ」
かつて、夏海が多くの男友達と遊んでいる姿を見てきたことを思い出した。
俺は自分に精一杯でどんな男が周りにいたのか、何も見えてなかったけど、それらの中にも古賀はいたのかもしれない。
「なるほど……」
夏海の恋人の席は今まで俺が占有していたから気付きにくかっただけで、夏海はとてもモテる人間であることを、改めて身をもって知ることになった。
二階の体育館から階段で下に降りると、打ちっ放しのコンクリ製の背の高いスペースが存在する。そこには購買部・剣道教室と共に筋トレルームがある。
「悪いね、夕陽」
「いや……俺こそ面倒を起こして悪かった」
入り口を開けると、ベンチプレスの上でスポーツドリンクを飲んでいる山岸が待っていた。
「自分を卑下しすぎるなよ。さっきのお前はどう見ても、もらい事故だよ」
彼は篠田と同じくらいの身長がある。170センチ後半、筋肉質な体型なので、外見だけはかなり威圧感がある。本人もそれを自覚ししているのか、話し方はかなり柔らかく、話の通じる人だと一目でわかる。
「それで……話というのは、古賀と同じ質問で申し訳ないんだが……星田のことについて、本当に何も知らないのか?女子バスケ部を中心に、結構問題になっていてな。先生も体調不良で休んでいることくらいしか知らないようだ。事情がわかれば、不平不満を持ってる奴らにも説明しやすいんだが……」
夏海は女子バスケ部で一年の頃からレギュラーだった。事情がどうであれ、三週間も顔を出さないとなれば他の部員から不信感が出るのは自然な話だ。
「もしかして、古賀もその話の流れから起きたことなの?」
「おそらく、そうだと思う」
あまり言いたくはないが、こうやって問題が表に出てきてる以上、隠すのが良い方向に向かうことはないだろうな。
「あー……本当に休んでいる理由そのものは知らないんだけど……」
「……理由は知らないが、事情は知っている。そういうことか?」
「うん、まぁ……そんな感じ。……あのさ、今から話すことは他には言わないでくれないか?」
「わかった。部長として守るよ」
「……別れたんだ、夏海と。で、別れ方が……まぁ、拗れたというか、彼女の意に添わない形になってしまって……」
内輪の話を他人にするのはなかなか心に来るものがある。上手く話せない。
「なるほど。要するに星田は夕陽と別れたショックで引きこもっていると?」
要約すればそうなるが、それでは彼女の自分勝手な理由で休んでるみたいな言い方で、嫌だった。
「いや、わからないよ?俺と別れた直後から来なくなったから、それが無関係とは思えないっていう憶測の話だからさ。仮にそうだとしても、俺が悪いだけだから夏海は何も――」
「わかっているよ。それに、事情を説明するときは、そっくりそのまま言ったりはしないさ。彼女や夕陽のプライベートにも関わるからな」
「悪い……わがままばかりで」
「謝るなよ。その代わり、夕陽には星田のところに行って直接、理由を聞いて来てほしいんだ。顧問も両親とは連絡を取っているらしいが、何も聞けないらしい」
「……まぁそれは受けるよ。でも、さっきも言ったけど、俺はもう別れてるからね。期待しないでくれよ」
「わかってる。よりを戻せと言っているわけじゃない。無理そうなら諦めてくれて構わないから」
俺が望んだわけではないが、結果的に向き合うことになった……いや、なってしまった……?何が正しいのか、よくわからない。
俺は朝の教室に向かう途中、夏海の顔を思い出していた。
恋人ではなくなった夏海。
長い間、恋人だったせいか、今の彼女と何を話して、どう接していたのかさえ、忘れてしまった。
彼女のことを考えると輪郭が二重にぼやける。俺が見ていた彼女はどこにいったのだろう。
たった三週間。それだけで俺は彼女が見えなくなってしまった。




