外伝 紫陽花の残り香
三日月の浮かぶ夜。私たちは自転車を手で押しながら帰路についていた。
「篠田くん……」
「どうした?」
「かっこつけて別れの挨拶をしたはずなのに、その相手と一緒に帰っている私の気持ちは……慮れますか?」
一瞬だけキョトンとした後、ピンと来たのか「あ、そういうことか」と独り言を呟いた。合点がいったようだ。
「もちろんわかるよ。気まずいよな。例えるなら、命懸けの戦いに赴く直前に、帰ってきたら結婚しよう、とフラグを散々立てておいて普通に帰ってくるみたいな……そんな感じだね」
絶妙に例えが噛み合ってない気がするのは気の所為ではないと思うけど……そもそも、そういう問題じゃない。
「それなら……なんで一緒に帰っているんですか?」
「仕方ないだろ……帰る方面は一緒なんだからさ」
「私を目指して成長したんでしょう!?そこは気を利かせて帰るタイミングをズラすとか……もう少し何かあるのでは?」
「えー、冬香がすれば……?」
「それ、あなたが私に言います?私はフラれた側なんですよ!なんで私が篠田くんを慮らないといけないんですか!?」
彼は肩をすくめながら私の主張を聞き流す。顔が微妙にムカつくのが気に入らない。
「まぁまぁ、そう言うなって。ケンカ別れをしたわけでもないんだからさ」
「今ここで、ケンカ別れエンディングにルート分岐させてあげましょうか!?」
篠田くんは腹を抱えながら笑いだした。
私はデリカシーのない篠田くんにイライラしながらも、どこか心地よさを感じているのも事実だった。
そして、それが篠田くんにしてやられてるような気がしてムカつく。
「はぁ……いいですよ。篠田くんには勝てません、もう諦めました」
私は押していた自転車に乗り、篠田くんよりも先に走る。
「冬香、どこ行くんだ?もしかして一人で帰るの?」
「帰りませんよ。せっかくですから、新田公園に寄りましょう。飲み物を自販機で買ってくるので、公園で待っていてください」
公園を少し過ぎたあたりに個人商店があり、そこに自販機が並んでいる。
新田公園。駅前の公園とは別の場所で、最寄り駅と自宅間を結ぶ途中にある公園。中学の頃はタイミングが合えば篠田くんと、よく雑談をしていた。
「あー、篠田くんは甘いコーヒーでしたっけ……」
思い返していると、篠田くんが朝飲んでいたコーヒーがブラックであったことを今更、思い出す。
「本当……最後まで思い通りにならない1日ですね」
篠田くんの成長を素直に喜ばしく思いながら、私はブラックコーヒーを二本購入し自転車をこいで彼の元へ向かう。
滑り台とブランコにベンチがいくつか設置されてるだけのこじんまりした公園。花壇にはアンティークカラーに変色した紫陽花が植えられていて、公園の街灯が光を照らしていた。
私は篠田くんが座っているベンチの前に自転車を止める。
「篠田くん、お待たせしました」
スマホの操作に夢中になっている、彼の頬に温かいコーヒー缶を当てる。
「ん、温かい……サンキュー。あれ、ブラックコーヒー買ってくれたの?」
「今朝、飲んでいたでしょう?克服したんですね」
「……まぁな、うん。克服した」
彼は不自然な間を空けたあと「ありがとう」と言って、缶を開ける。
違和感を感じた私は、ジーっと疑惑の目を向ける。
「篠田くん……」
「な、何?」
「克服、してないでしょう?」
あからさまに目を逸らす彼を見て、察した。
「なるほど。そうなると朝のブラックコーヒーは、背伸びをするために無理に飲んでいたと……そんなところですかね?」
「あー聞こえない。何も聞こえないぞ」
「まぁ、気付かなかったことにしてあげるので……黙って飲みきってくださいね」
彼は返事もせず、飲み始めた。
しばらく、彼は無言で飲み続けていた。その様子を横目で見ながら楽しんでいると、話したいことを思いついたのか、手を止めた。
彼は夜空を見上げる。月の光が彼の瞳に反射していた。
少し強い風が吹くと、彼の手はホットコーヒー缶を強く握りしめる。
「なぁ、冬香。夕陽のこと、どう思う?」
私も手を止めた。彼の表情は真剣だ。
おそらく、夏海さんのことも含めた意味での、どう思う?だろう。
「どう、というのは?私たちは友達ですけど……言ってしまえば、部外者でもあります。あまり口出しすることではないと、考えてますね」
「まぁ、そうだよな。でもさ……どう考えても、あの二人だけで解決できる状態じゃないと思うんだけど。何か、手助けできないかな」
言いたいことは理解できる。夕陽くんと夏海さんは良くも悪くも相互に強く作用しているように見える。
「気持ちはわかりますが、本人がどうしたいのか……それが決まらないうちには、私たちにできることはありませんよ」
「それは……あまりにもお利口すぎないか?だって――」
「篠田くん」
彼の言葉を制止して続ける。
「それは、今の話で出すべきことではないです。夕陽くんたちとは何の関係もありませんよ」
問題を混濁すれば、解決できることもできなくなる。それは誰のためにもならない。
「それで……良いのか?」
「……勘違いしないでくださいね。先ほどは何の関係もないと言いましたが、それは二人が答えを出していない段階だからです。私は二人の友達です。もし、どちらかが……手助けを望むなら、私は躊躇はしません」
夕陽くんか夏海さん。どちらがどんな決断をしようとも、それは当人たちにとって、大事な気持ちだ。
「いや、俺が言いたかったのは――」
言いかけて、止める。私は彼の気遣いが見えて嬉しかった。
「……わかった。一理あると思う。俺も冬香の言ったとおりにするよ」
「ありがとうございます……七沖くん」
「……なおき?」
「漢数字の七と沖合の沖で、なおき。違うんですか?」
「……あっ!俺のことを言ってるの?」
「そうですよ。こんな珍しい名前、そうそういないでしょう?」
「いや、そりゃあそうだけど……なんで急に……?」
「あなたのことを忘れないって宣言してしまったので。本人が忘れるくらいですから、私くらいは覚えておいたほうがいいかなと思いまして」
「いや、忘れてはないよ……家では下の名前だし。だけど、親族以外から呼ばれたことがなかったから、今は意識の外にあったんだよ」
「じゃあ外でも忘れないように、これからは私が呼んであげますね」
「……ありがとう」
「どういたしまして、礼には及びませんよ。七沖くん」
彼は、私から名前を呼ばれて、口角が少し上がっていた。
「ん?つまり……冬香は忘れないように今、口に出すようになったんだよね?」
「……そうですね?」
「つまり冬香も、今日まで俺の名前を忘れてたってこと!?」
「……何の話です?篠田くんのことを大切に思っているだけですよ?」
変なところで勘の鋭い篠田――もとい、七沖くんは、私が作ってしまった間の意図を察知したようだ。
「また名字!ポーカーフェイスでしらを切ってもわかるからね!なぜなら俺は相手を慮れる男だから!」
誰が見てもドヤ顔としか言いようのない表情で親指を立てて自分を指す彼の動きが気持ち悪かったし、面白かった。
「いや、何ですか……それ。意味がわかりません。いいですか?慮れる人は、その行動が相手にどう見えるのかくらいはわかるはずです。その上で、そんな気持ち悪い動きを……そもそも慮るというのは――」
私たちは缶コーヒーが冷めきるまで、時間を忘れて話し尽くした。
例えば――付き合ってるときに私を置いて友達と遊びに行った気持ちの詳細とか、夏海さんのどこが好きなのかとか……。
付き合っていたときには口にできなかったこともたくさん話した。
恋人として幸せをくれた彼は、今は最も心が通った唯一無二の友人となってくれた。
今度は友達として、またどこかでお返しをしよう。
私は自室の机の上でそう、自叙伝に彼を書き加えた。




