14話 古色に染まる紫陽花の終わりⅣ
池エリアの隣にある、モルモットのふれあい施設へ来たが、残念ながら閉館中だった。
「老朽化によって閉館……リニューアル工事中、か。残念だったね」
工事現場前の立て看板を篠田くんが読んだ。
施設はすでに改修工事を始めており、建物は全て建設資材に覆われていた。
「仕方ありませんね。モルモットを触ってる篠田くんをまた見たかったのですが……次――」
そんなものはない。何を言っているんだろう。
自分の無意識の未練がましさに不快感を覚えたが、今は楽しいことを考えよう。
「……そういえば、ここで篠田くんに口説かれましたね」
過去の記憶から話したい思い出を引っ張り出して塗り潰す。
「なんだっけ……?たしか、冬香が不貞腐れてモルモットに触ろうとしなかった記憶はあるけど……」
「モルモットの可愛さの話をするとき、どさくさに紛れて私のことを可愛いって言いましたよ」
「あぁ、そうだったな。冬香はよく覚えてるね」
「逆に篠田くんは覚えてないんですか?シジュウカラガンのことは覚えていたのに……」
忘れるはずがない。私の中に今でも鮮烈に残っている大切な記憶なのだから。
「いやいや、ちゃんと思い出したよ!冬香に口説き方がかっこ悪いって言われて、結構ショックだったんだぞ!」
「そこで思い出したんですか?いえ、ですが……そうですね。それはすみません、言い過ぎました」
「ううん、大丈夫。ありがとう。まぁでも、たしかにかっこ悪かった。今の俺でもそう思う」
私たちは思い出話に花を咲かせながら、次の場所へ歩き始めた。
一度だけ足を止め、もう一度だけ、ふれあい施設だったものを見るために振り返る。
「冬香、どうした?」
「いえ、なんでもありません。早く次に行きましょう」
私が知っている思い出は、どこにもなかった。
午後3時30分が過ぎ、日が傾き始めていた。
人通りも少なくなり、秋に混ざった冬の気配がだいぶ強くなってきた気がする。
帰りのことも考えると、残り時間は多くなかった。
最後にレッサーパンダを見るため、その道すがらの動物だけをさらっと見ることにした。
「冬香、見えてきたよ」
「本当ですね。可愛い……!」
早く見たくて、彼を置いて早歩きで近寄る。
木製のアスレチックの上でゴロゴロとリラックスする姿に目が奪われる。
以前と同じように、スマホで写真を撮っていく。
「相変わらず好きなんだな」
声が聞こえたほうに振り向くと、遅れてきた篠田くんが私の後ろでポケットに手を入れながら、身を縮めていた。
「寒くなってきたから、温かいお茶買ってきたけど……いる?」
そう言って、350mlペットボトルを私の頬に当てる。
「ありがとう、ございます」
また、ズレる。私の知らない彼が見えた。
風が、隙間を抜ける。
まるで、私だけが置いて行かれてるような気がした。
「篠田くん……聞きたいことがあるんです。いいですか?」
聞かずにはいられなかった。
「ん?もちろんいいよ」
なんでこんなにも距離ができてしまったのか。
「どうして……そんなに変われたんですか?」
「うーん……冬香が思うほど、俺は変わってないと思うけど。そうだな……」
彼はベンチに座る。そこはかつて、彼がうたた寝をしていた場所。
今は私のために、真剣に考えている彼が座っている。
「冬香に……追いつきたかったから……だと思う」
「私に……追いつく……?意味が、わかりません。なぜ私が、出てくるんですか?」
「……朝、話をしたときに言ったでしょ?俺は高校生になって冬香に色々言われると傷付くことに気付いたって。なんで傷付くんだろうって色々考えたんだけど……たぶん、これが理由。俺は冬香に相応しい男になりたかった……。冬香のように相手のことを慮れる……優しい人になりたかったんだ」
「何を……言ってるんですか?」
私は、篠田くんが思っているような大人じゃない。自分のことしか見えてない人間だ。
篠田くんの適当な言動に突っ込みを入れるのも、訂正するのも全部――自分が楽しいから。
付き合っているのも私が楽しいから……彼のことを慮ったことなんて一度もない。
「冬香はどう思っているか、わからないけど……。俺が変わろうと思ったのは、そういう理由だよ」
知らない世界と知らない私が、そこにいる。
「じゃあ……私へ追いつくために変わったなら、どうして別れるなんて言うんですか……!矛盾してるじゃないですか!どうして……私から離れるんですか……?」
篠田くんは、声を静かに荒げる私へ言葉を選ぶように話す。
「……冬香が辛そうだから。俺がそばにいる限り、君は過去の俺たちに縛られながら生きていくんだろうって感じたんだ」
何も言い返せなかった。全てが事実だ。私は篠田くんがそばにいる限り、前に進めない。ずっと立ち止まっていられる。それが、私にとっての幸せなのだから。
「あなたに……そんなことを言われる日がくるとは思わなかった……」
「ごめん……」
「謝らないでください……!今のは、ただの……篠田くんへの、八つ当たりなんですから……」
「そっか……じゃあ、ありがとう……かな?」
「えぇ……それも……違う気が……ふっ……ふふ……。なんで八つ当たりをされてありがとう、なんですか……」
思わず笑ってしまった。彼も釣られて笑う。
「そ……そうだな。なんで八つ当たりされて、感謝してるんだろう……」
「すぐ謝らないほうがいいと言ったことはありますけど……だからといってすぐ感謝をすればいいってものでもないですよ……」
私たちは笑いあって、動物園デートの最後を終えた。
レッサーパンダはあまり見れなかったけど、その代わり、最後の最後に篠田くんを見ることができた。
彼しか知らない私と、そんな私が住んでいる彼だけの世界がとても素敵なものだと感じた。
私が篠田くんへ伝えるべき言葉は、もう決まっていた。
「冬香、もうすぐ着くから起きて」
「う……うぅん……。篠田くん……?ここは……」
「電車の中。冬香、椅子に座ったらすぐ寝てたよ。今日は色々あって、ちょっと疲れたよな。お疲れ様」
彼が私の頭を撫でてくれる。意識がはっきりしてくると、私は彼に寄りかかり、頭を肩に預けていることに気付いた。
降車予定の駅名がアナウンスされる。篠田くんは降りる準備をするために体を動かそうとする。
私は篠田くんの手を掴む。彼が動けないように。
「もうすぐ降りるんだから準備しないと――」
より強く、掴む。
篠田くんは何も言わないまま、私の肩を抱き寄せた。
「ご、ごめんなさい……私のせいで危うく乗り過ごすところでした……!」
「いや、俺も悪かった……つい、その場のノリで……」
私たちは予定通りの駅に降りることはできたが、本当に直前まで、降りる準備をしてなかったせいで、扉が閉まる直前に降りることになってしまった。
私たちは息をあげながら、膝に手を付く。
最後の最後、こんなドタバタになるとは思っていなくて、二人揃って自然と笑みがこぼれる。
息を整えて、彼の目を見ながら頭を下げる。
「今日は……お付き合いしてくれてありがとうございました」
「俺も楽しかった……ありがとう」
しばしの無言の後、篠田くんが言葉を続ける。
「何か……見つかった?」
「えっ、何の話ですか?」
「そう見えたんだ。冬香は何かを探したいからデートに誘ったんだろうなって」
核心と図星ばかりついてくる篠田くんに私はお手上げだった。
「あぁ……また適当なことを言っちゃったかな……悪い」
「もう……もうっ……!はぁ……いいえ、そんなことありません。その通りです」
かっこよくてかっこ悪い。そんな彼が私は大好きだった。
「篠田くん……朝の返事について、なんですけど」
「……うん」
「わかりました……別れましょう」
彼は再び「うん」とだけ言って、私から目を逸らす。
「それで、さっき篠田くんが言っていた、私の探していたもの……見つけたので、お伝えしますね」
それを聞いた彼は、逸らしていた目線を私へ戻してくれる。
彼に近付き、目を真っ直ぐ見つめる。
きちんと声が届くように。
「私を連れ出してくれて、ありがとう。篠田くんが助けてくれなかったら、今も一人で……他人を拒否ばかりする人生を歩んでいたと思う」
「私を前に進ませようとしてくれて、ありがとう。あなたがそばにいなかったら……今でも過去に縛られて生きていたと思う」
私の人生にも様々な色があると教えてくれたあなたを――
「私、忘れないよ……。篠田くんのこと、大好きだった」
彼の胸に、手を優しく当てる。
彼からもらった、返しきれないほどのプレゼントのお返しを渡す。
「私を――好きになってくれて、ありがとう」




