14話 古色に染まる紫陽花の終わりⅡ
私は夢の終わり方を、夢を見始めた頃から決めていたのかもしれない。
それは、夢見心地で浮かれていた自分への戒めなのか。それとも、そんなものは延々続くものではないと斜に構え、捻くれた理解をしていたのか。
今となってはわからない。理由は何であれ、良くも悪くも、今はとても冷静な気持ちでここにいる。
昨日の天気予報通り、外は秋晴れだった。
とても澄んでいて空が高い。筋雲がところどころ配置されているのが見える。
彼を待ちながら空を見上げて、深呼吸をする。心地の良い空気が身体を抜けた。
休日の駅前ということもあり、人はそれなりに多い。
子供と手を繋ぎ、笑顔で歩いている親子
スマホを耳に当てて、楽しそうに電話をする人
横切る人たちの外見や目線、身振りや話し方などを観察していると、その人たちがどのように今に至っているのか。それを想像するだけで、ただの待ち時間も私にとって大事な時間となる。
風が吹き、街路樹の枯れ葉がアスファルトを転がる。
思わず、手を上着のポケットに入れる。
人々の顔も、声も、音も、徐々に薄れ、輪郭だけになっていく。
目を閉じる。自分の息遣いだけが近くに聞こえる。
私がやるべきことは、これから起こる話に一喜一憂することじゃないし、彼に理由を問い詰めるだけで終わらせることでもない。
私が彼に伝えるべきは――
「お待たせ、冬香」
聞き慣れた声で意識と目線が現実に戻ると、声の主である篠田くんがいた。
「今日は、遅刻をしませんでしたね」
彼に皮肉めいた冗談を言う。彼は初デートでも盛大に遅刻をしていたから、言わずにはいられなかった。
「あの頃はガキだったからな。俺も高校生になって成長したんだよ」
私が初デートを思い出してることを察したのか、懐かしむような顔をしていた。
彼を見つめると、私は見上げていることに気付いた。
中学生の頃はさほど変わらなかったように感じたけど、今となっては彼の肩あたりまでしか、私の身長はない。
最近は高校でも屋上でお昼ごはんを一緒に食べることが増えたが、今の今まで気付かなかった。
「どうした?冬香?」
私の名をわざと呼ぶ。彼は私が名前で呼ばれると喜ぶことを知っているから。
「いえ、今更気付いたことがあって。少し驚いただけです」
「ん?何か変なところでもあった?」
自分の恰好を確かめるように念入りに見直す彼。
「大した話ではないので気にしないでください」
胸が締め付けられる。
本当に今更の反応だと、自分でも思う。
「それで、大事な話はどこでする予定ですか?」
「うーん、カフェでもいいかと思ったんだけど、思ったより人がいて落ち着かないな」
彼は頭をかきながら、悩んでいる。
なんとも締まらない話をする彼を見て、思わず頬が緩む。
「相変わらず想定が甘いですね。大事な話の前だと言うのに」
「ごめん……」
「いいですよ、わかっていますから。それなら、コーヒーでも買って……歩いて5分くらいのところに駅前の公園があるでしょう?そこでどうですか?」
彼の静かなところで話がしたいという要望と、私がこれからしたいことを含めて公園にした。
私の提案を聞いて、安心したように了承をしてくれたが、その顔には影が見えた。
「いい天気ですね」
私たちは公園のベンチに座り、コーヒーを飲む。
隣で私と同じように空を見上げている彼は独り言のように「そうだな」と呟く。
公園の広場では子供たちが遊んでいる。その周りには保護者と思わしき大人が見守りながら談笑をしている。
「……いつになったら大事な話をしてくれるんですか?」
「うん……わかってるんだけど、その……」
もどかしい話し方。だけど、それが私にとっても心地の良い時間だった。
少しでも長く、少しでも遅らせたい。私たちの気持ちは同じだったと思う。
遠くから聞こえる子供たちの声と、風の音だけが私たちの間に響く。
コーヒーを飲み終えた篠田くんは、意を決した顔をしてこちらを見つめる。
「……あのさ、話があるんだ」
心臓が早くなる。
それが終わりへ向かう足音に聞こえた。
「……はい」
その言葉を聞くまでの間は、そう長くないはずだったのに、私にはとても永い時間だったように思えた。
「別れよう……俺たち」
彼は場の空気に耐えるように顔を下に向ける。
「……理由を聞いてもいいですか?」
私は両手でカップを握り、コーヒーの水面に映る自分の顔を覗く。
心臓の鼓動が速くなっているのに、思ったよりも表情に出ていない自分に苦笑をする。
篠田くんはあっさり返事をした私に驚いた様子だった。
「大層な理由があるわけじゃないよ。ただ……うーん、見てるものとか、すれ違いがあるなって思って」
私は彼の顔を見る。バツが悪そうな彼はそれに気付いて、こちらを見返した。
「具体的に、どんなことで……すれ違いがあると思いましたか?」
私は聞かなくても、なんとなくわかっている。
まるで詰問のような言い方で申し訳なく感じるけど、どうしても彼の言葉と気持ちを聞きたかった。
彼は言葉を整理して選ぶように続ける。
「本当にくだらないことだと思うかもしれないけど……。俺のプライド、みたいなものが邪魔をしてたんだ」
彼は一呼吸置く。言いずらそうな表情をしているが、決意は固いようだ。真っ直ぐ、私の目を見つめる。
「中学の頃、冬香の印象ってすごい大人びた頭の良い人なんだなって考えていて、そんな君に色々教えてもらえることが嬉しかった。だけど、高校に入って、それ自体が恥ずかしいことのように感じるようになってきてさ……。友達の前で彼女に色々言われる姿が恥ずかしいことだと……そう思うようになって……それで、冬香と一緒にいる時間が減ったんだ」
泣いているわけではないが、彼の目から申し訳なさそうな気持ちが溢れている。今でも私のことを大事に考えていてくれているんだろう。
「それと……冬香は……まだ中学時代の俺を見てるんじゃないかって、感じることがあって……でも俺は……もう、その頃の俺じゃない。冬香に、応えることができない……だから、別れたほうがいいって思ったんだ」
コーヒーの水面に映る、私の顔が変わる瞬間を自分で見てしまった。
瞳孔が瞬間的に広がり、表情の筋肉が硬くなっていく。
思わず、目線を彼とは反対の方向へ向けてしまう。
今の彼の成長を改めて感じ、それが思い出の彼と乖離していく。
信じられなかった。彼がそれを理解しているなんて、考えたこともなかった。
私の中の――記憶の中の彼と今の彼がズレる。それは今に始まった話ではない。いつも、ことあるごとに過去を持ち出し、同じ部分を探していた。
私はショックと同時に戸惑いを覚えた。それを隠そうと目線を合わせないように泳がせる。
それを見た彼は、謝りながら弁明をする。
「あ、冬香の話は、あくまでも俺から見た話ね!俺みたいな他人の機微を見れない人間がそんなことを当てられるとは思ってないから!的外れだったら申し訳ない!」
彼らしい不器用で優しい話し方を聞いて、笑いが漏れてしまう。
「なんで、そうやって締まりの悪い方向に話を着地させるんですか……」
せっかく私の核心を突いた、かっこいい内容だったのに、もったいない。
なぜ笑われたのか、よくわかっていない彼は「……ごめん」と戸惑いながら答えた。
冷めかけた残りのコーヒーを全て飲み、カップをベンチに置く。
誠実に私の質問に答えてくれた、篠田くんへ感謝を伝えながら、ベンチから立ち上がる。
「篠田くん……お願いがあります」
私は彼の前で頭を下げる。
「私と……最後のデートをしてもらえませんか?」
答えを出す前に、別れる前に、恋人として最後の時間が欲しいと伝える。




