14話 古色に染まる紫陽花の終わりⅠ
私は右手に持ったサボテンの鉢を靴箱の上に置く。
日中は玄関の外に置いておくが、最近は夜が寒いので、必ず玄関に入れている。
「ただいま戻りました、お母さん」
夕方5時頃、母にも聞こえるように少し大きめの声を発する。
廊下の一番奥のリビングから「おかえり」という声が聞こえた。キッチンで夕飯の支度をする音が聞こえる。
靴を脱ぎながらサボテンを愛でる。
夕陽くんとの初デートで動物園に行った帰り、彼が買いたいものがあるから園芸店に寄り道したいと言われたときに買ったものだ。
彼は記憶に残したい思い出があるときはその都度、こうしてサボテンを買っているらしい。
とても素敵なことだと感じたから、私も真似をすることにした。
書店で買った漫画を入れたビニール袋を片手にリビングへ向かう。
「おかえりなさい、冬香」
母は忙しそうに夕食の準備をしていた。
「ただいま。カバンを部屋に置いてきたら手伝いますね」
それだけ言って、一度、自室に戻る。
カバンを机の横に置いて、スマホを手にする。
さっき、誰かからメッセージが来たはずだ。
確認をすると篠田くんからだった。
今日の夜、一緒に勉強をしない?という内容に懐かしさを覚える。
受験勉強が終わってから、すっかりそのような機会はなくなり、それが当たり前になっていた。
「……?何か話でもありそうですね。やっぱり篠田くんはわかりやすくて助かります」
高校生になり、少しは大人になったかと思ったが、根本は昔のままだ。
短い文章で彼に返事をした後、スマホの画像フォルダをスクロールする。初デートの帰り、バスの中で撮影した写真を見つけた。
そのまま胸に当てながら、過去に思いを馳せる。もう3年近く経つのに、私の思い出は何一つ色褪せていない。
「……そろそろ夕食の支度、手伝いにいかないと」
私は慌ててリビングへ戻った。
夜8時頃、私は母がキッチンで料理をしている間に洗濯機から洗濯物を取り出して乾かす。すでに乾いたものは畳んでまとめておいた。
玄関が開く音が聞こえる。私は帰ってきた父を迎えに行く。
「おかえりなさい、お父さん」
「あぁ、ただいま」
父は少し疲れた顔をしていたが、穏やかな表情だった。
私は鞄を受け取り、父と一緒にリビングへ向かう。
ドアを開けると、すでに今日の夕食が出来上がっており、テレビからは明日の天気予報が放送されていた。
いつも通り、3人で食卓を囲み、テレビを見ながら他愛のない話で笑い合う。
かつての私だったら、欲しいと言っても絶対に手に入らない平穏な時間が当たり前のようにある。
この事実を実感し噛みしめるたびに、心が安心する。
「そういえば、最近、篠田くんと仲良くしているのか?」
父が唐突に私へ質問してくる。
「あぁ……そうです…ね。それなりに、だと思います。このあと、通話をしながら一緒に勉強をする予定です」
「お父さん、冬香のプライベートなことをあまり聞くものじゃないでしょ」
不躾な質問をする父を母が気を利かせて諫めてくれる。
「あ…あぁ、すまない。以前、篠田くんの話をしていた冬香が楽しそうだったものでつい……最近はあまりその話もしてくれないし……」
母が目線で無言の圧力をかけると父は小さくなって喋らなくなってしまった。
「いえ……大丈夫です。最近は、互いに高校生活が忙しくて接する機会がないだけですから」
フォローをすると、少しだけ元に戻った父は挽回をしようと、会社での部下との接し方についての話や、最近の若い子に関することを色々と私に聞いてきた。
夜9時過ぎ、食事を終えた私は二階の自室に戻る。
メッセージを確認すると夜9時30分ころには通話が可能とのことだ。
私は準備をすることにした。とはいえ、今日は勉強をするつもりはなく、以前から書いている小説を進めようと思っていた。
私の日記というか……自叙伝的なものだ。
誰にも見せるつもりはない。
これから先の私が迷って動けなくなったとき、振り返りやすいように書いている。
机に必要な道具を揃えているとそろそろ時間になりそうだ。
篠田くんに連絡をする。
『よっ、冬香』
いつも通りの軽い感じ、だけど久々な通話。中学の頃に戻ったような気分になった。
「こうやって夜に通話するのはずいぶん久しぶりですね」
私と彼はスマホをセッティングし終えたので、カメラを起動する。
『ん?今日は勉強じゃないのか?』
私がノートに書き込んでいる姿を見たのだろう。
「えぇ、まぁ今日は書き物を……」
『書き物って……小説とかそういうこと?難しい言葉と言い回しを知ってるなぁ』
「篠田くんも言葉を知ってるから小説とわかったんでしょう?そんな難しい言葉じゃないですよ。それよりも、勉強でわからないことがあったら聞きますから、声をかけてくださいね」
カメラで彼の用意した道具をみる限り、一応、勉強をする気があるみたいだ。
『わかったよ』と言って最後、無言になってしまった。
いや、無言というよりも言い淀んでいるような雰囲気を感じる。
「ん?もうわからないところがあったんですか?どこが――」
私が気を利かせると、彼は食い気味に口を開く。
『明日の土曜日、部活が休みなんだ。午前中に話したいことがあるから会える?』
ペンを動かす手が止まる。
初デートの誘いのような会話の導入で、一瞬だけ懐かしさを感じた。
だがその直後、彼の話し方や声のトーンを聞いて、直感で全く別のものだと気付く。
「どうしたんですか?デートのお誘いでしたら、もう少し早く予定を伝えてもらわないと……」
特に急ぎの予定はないが、他人を慮れない彼のためにあえて小言を言った。
『ごめん……だけど、どうしても話したいんだ』
彼が珍しく真剣な話し方をしているのを聞いて、確信めいた何かを感じる。
「……今ではダメなんですか?」
私はペンを置いて、手を机の下にある膝に置く。
『……直接会って話したい』
「わかりました……明日、予定を空けておきます」
『ごめん、急にこんなことを……』
「大丈夫です。よほど大事なことなんでしょう?」
明日、何の話が行われるのか、私はわかっている。その上で……冷静だった。
ペンを持ち直して執筆を続ける。
「それはそれとして、勉強でわからないことがあるんじゃないですか?篠田くんは話をする言い訳として勉強会を提案したのでしょうけど、きっちりと教えますからね」
それを聞いた篠田くんは心底嫌そうな声を上げながら、渋々勉強を始める。
この時間を終わらせるのが嫌で、いつもと比べて1時間も長く彼を付き合わせてしまった。
嫌がられるかと思ったが、終わり際の彼はとても楽しそうに、この時間を過ごしてくれたように思えた。
待ち合わせは明日の朝9時頃、私と篠田くんの自宅から最寄りの駅前にある、カフェの入り口。
明日の天気は晴天、三日月の日。




