13話 秋の終わりと冬の始まりⅠ
「一週間ぶりだね。お疲れ様、夕陽くん」
晴華さんは自宅の玄関を開けて、いつものように出迎えてくれた。
10月も上旬が過ぎ、秋の色がだいぶ濃くなってきた。
時折、冬の気配を感じる日も増え、原付で外を走るには辛い季節になってきた。
時間はすでに夜の9時頃。すっかり外は真っ暗だった。
「すみません、遅くなって」
謝る俺に対して晴華さんは、夏海の原付に乗ってここまで運んでくれたことに感謝をする。
「夕陽くんが乗ってきてくれて本当に助かったよ。うちの母さんは免許証を持ってないし父さんは夜遅いから、合わせるのが面倒でさ」
彼女はそう言いながら家の鍵を閉め、車のロックを解除した。
夏海と別れたあの日、夏海は原付で俺の家に来ていた。
別れ話の後、茫然自失の夏海を一人で帰すのはさすがに心配だったので、晴華さんに迎えに来てもらっていた。
「じゃあ、行こうか。夕陽くんは助手席に乗って」
晴華さんは茶目っ気たっぷりのウィンクをした。
相変わらずフランクで元気な晴華さんを見て、少しだけ元気が出た気がする。
二階の夏海の部屋を見上げる。部屋の窓から電気が漏れている。
光の明暗が動いているところ見るに、起きているようだ。
「夏海のこと、気になる?」
車の運転席に乗りかけている晴華さんから聞かれる。
気にならない、とは言えない。
そんな女々しい自分に嫌気を感じ、目を伏せながら答えた。
「いえ……俺にそんな資格はないです。彼女にとっても迷惑でしょうから」
夏海から視線を外し、助手席に乗る。
「……そんなことはないと思うけどね」
運転席に乗った晴華さんは、独り言のように呟きながらエンジンを始動させる。
俺は聞こえないふりをした。
車内はタバコの匂いを消すための芳香剤の強い香りが漂っていて、鼻に付いた。以前、乗ったときはなかったはずだ。
本人がたばこを吸っている姿は一度も見たことがない……彼氏が喫煙者なのだろうか。
カーオーディオからは晴華さんが好きなロックバンドの曲が再生される。
鼻歌まじりに運転を始める彼女の声に意識が向き、目線だけで彼女の横顔を見る。
思わず、夏海の顔を連想してしまった。
全体的にバランスの整った顔のパーツ、スッと通った鼻、目は二重でくっきりしている。髪の色は夏海よりも大人しめなブラウンだが、晴華さんの明るい人間性をより際立たせて、程よく飾り付けている気がする。
ファッションや外見についてはよくわからないけど、夏海と同じで、とてもモテそうな見た目だった。
以前から思っていたことだが、やはり姉妹だけあってよく似ている。
目線を前方に戻しながら、俺は最後の日を思い出した。
心の底から自身に対する嫌悪感が少しずつ湧いてくる。
あの時の泣いている夏海の姿がフラッシュバックする。心が締め付けられ、苦しくなる。
それでも、晴華さんの横顔を通して感じる、夏海の面影を探さずにはいられなかった。
「はい、メニューね。遠慮せず、なんでも頼んでいいよ」
ファミレスに到着すると、晴華さんは2枚あるメニュー表のうち一枚を俺の前に置いた。
彼女は早々に決めたのか、メニューをテーブルの横に置いた。
優柔不断な俺は、晴華さんが決めた、という事実に急かされるようにメニューを決める。
呼び出した店員に一通り注文を終えると、晴華さんは水を片手に本題を切り出した。
「今日、誘ったのは……まぁ、夏海のことなんだけど……父さんが事情を聞いてこいって、しつこくてさ」
俺はそれを聞いて、すぐ謝罪をした。
本当は晴華さんではなく、お父さんに謝るべきだが、もう合わせる顔がない。
「あ、いやいや、謝る必要はないって。父さんも怒ってる訳じゃないし……むしろ、君のことを心配してたくらいだよ」
考えてもいなかったことを言われ、少し驚いた。
てっきり「うちの娘を泣かせて何をやってるんだ」と言われているものだと思っていた。
どう返事をすべきなのか、言葉が見つからない。
「そう……なんですか、ありがとうございます」
「うん、どういたしまして。それは母さんも私も一緒だから、気に病まないで。私たちは二人の味方だもん」
私たちは二人の味方。その言葉に俺の心が揺れ動く。
晴華さんは小型のポシェットからハンカチを取り出して、俺の目を拭いてくれた。
「あ……すみません。なんで泣いてるんでしょう……よくわからない………です、ね」
誰に対して、何のために言い訳をしてるのかもわからない。
だけど涙が止まらなかった。
落ち着くまで、晴華さんは黙って待っていてくれていた。
「お待たせして申し訳ないです……落ち着きました」
「謝らなくていいよ。きっと、夕陽くんは一人暮らしだから吐き出せる場所がなかったんだよ」
晴華さんは最後に残った涙を拭いて、ハンカチをしまう。そして、言葉を続ける。
「他人には見せられない弱い部分を受け止める。それが家族ってものでしょ?夏海も含めて私たちは夕陽くんの家族で、逆も然りだよ。血縁関係がないことなんて大した問題じゃない」
俺が夏海にしたことが許される訳じゃない。だけど、晴華さんの言葉は俺の心を軽くしてくれた。
「ありがとう……ございます」
「うん。……あ、ちょうど料理が来たから、ごはんを食べようか。積もる話はそのあとにしよう」
直近の一週間、夏海は一度も登校していない。だから、朝ごはんも昼ごはんも作ってくれる人がいなくて、ずっとコンビニとスーパーで食事を済ませていた。
自宅で料理を作るという選択肢もあったけど、俺の心もそこまで立ち直ったわけでもなかった。
晴華さんに奢ってもらったからなのか、あるいは俺の心を重くしていた何かが取り除かれたからなのか……理由は不明だが、今日はいつも以上に食べる量が多かった。
「よく食べたねー。さすが現役高校バスケ部ってところか」
「お言葉に甘えて食べ過ぎてしまいました……ご馳走さまでした」
「いい食べっぷりだから見てて楽しかったよ」
食事を終え、俺は晴華さんに事の顛末を話す。
晴華さんは、決して険しい顔はせず、終始、穏やかな表情で聞いていた。
話を一通り終えると、晴華さんはお茶を飲んで、一息つく。
「なるほどね、わかった。話してくれてありがとう」
他の人に悩みやなかなか声に出せない話を言語化すると、自分の心がまた軽くなった気がする。
「いえ、聞いてくださってありがとうございました」
「夏海の気質についてはわかっていたつもりだし、あの子にも冗談で、よくからかっていたけど、想像以上に……メンヘラだった。夕陽くんも大変だったね」
夏海と晴華は仲の良い姉妹だ。普段からメンヘラいじりをしているのが想像に難くない。
「俺が彼女を不安にさせて、その上で自分勝手に気持ちが冷めただけなんで……悪いのは俺ですよ」
晴華さんは黙り込む。言葉を選んでいるようだ。
「……でも、その割にはまだ夏海のことが好きみたいだね?」
その質問に答えるには夏海から色々された話をするしかないが……俺と夏海にとって恥ずかしい話だから少し憚れる。
「そう……ですね。最後の日、俺は……えっと、夏海に迫られましたけど、何も感じなかったんです。恋人に好意を寄せられるって嬉しい事のはずなのに……。それでも好きなのは、正直よく……わかりません」
「……それは――」
晴華さんが口を開きかける。だが、言葉を飲み込んだ。
「私が言うことじゃないね、ごめん」
彼女が何を言いたかったのか、よくわからなかった。
だが、話を聞いて、俺が気付いていないことに気付いたのかもしれない。
晴華さんは大人だから、立場によって言えること、言えないことがわかっているんだろう。
「よし、事情は聞けたし……帰ろうか」
一区切りつけるように立ち上がり、お会計を済ませた。
ファミレスの外で晴華さんにお礼を伝える。
「ごちそうさまでした。それに、話を聞いてくれてありがとうございました」
晴華さんは俺の顔を見て、笑顔を見せた。
「こちらこそ付き合ってくれてありがとう。これで父さんも少しは安心すると思う」
俺たちは車に乗り、帰路についた。
帰宅途中、晴華さんは一言だけ伝えてくれた。
「さっき言いかけたことだけど……夕陽くんがまだ夏海のことを好きな理由、たぶん君はもう知ってるよ。言語化ができていないだけ」
そう言われてもよくわからなかった俺は、話してくれたこと自体に対して感謝を伝える。
俺の要領を得ない話し方に彼女は苦笑いをしていた。
自宅アパートに到着して晴華さんと別れ際の挨拶をする。
「それじゃあ、夕陽くん。元気でね。また話したいことがあったらいつでも連絡して」
「はい、ありがとうございます、晴華さん」
これで挨拶は終わりかと思ったが、なぜか車に乗ろうとしない。
晴華さんの様子を見ると、どうやら何かを言いたいみたいだが、口にするかどうか悩んでいるようだ。
「……夕陽くん」
「はい、なんでしょう?」
晴華さんは背を正し、真剣な面持ちで言葉を俺に手渡してくれる。
「夏海を……妹を大切に想ってくれてありがとう。姉として、とても嬉しかったよ」
晴華さんは恥ずかしそうに自分の頬をさすり、それだけ言って運転席に乗り込んで発進した。
車が見えなくなるまで見送る。
俺は夏海を最後まで大切に想って終われたんだろうか。
家のドアを開けようとしたら、人感センサーのライトが光る。
玄関横にあるサボテンが視界の隅に見えた。
なんとなく、夏海との初デートに買ったサボテンが見たくなったので、観察した。
サボテンは変わらず、青々しく育っている。
この中にある、彼女とのたくさんの――俺だけの宝ものたちが心を温めてくれる。
現実ではもう終わってしまったけれど、それらの思い出はこのサボテンと同じように、変わらず鮮やかな色を放っていた。




