12話 エンゼルトランペットⅠ
「荷物を運ぶから、ソファに座って少し待ってて」
夏海を家の中へ案内してから、大量の荷物を運び込む。
明日以降に必要なものだけを冷蔵庫に放り込んでいく。
「夏海は夜ご飯を食べたの?」
そう聞くと彼女は黙ったまま、首を横に振る。
「お腹が空いてるなら用意するけど、ご両親にはうちに来ることは言ってあるの?」
「……黙って出てきたから、言ってない」
ソファに寝転がりながら、ぶっきらぼうに答える彼女から若干、不貞腐れてるような雰囲気を感じて、俺は苦笑をしてしまった。
「わかった。適当な料理になっちゃうけど、作るよ」
俺は冷蔵庫から卵とひき肉を取り出す。
「その前に、夏海の家に連絡を入れていい?何も言ってないってことは、お母さんは夏海が帰ってくるつもりで料理を作って待っていてくれてるんだろうし」
それを聞いた彼女は「わかった」とだけ言って、再び黙ってしまう。
晴華さんに電話をかける。
用件を簡単に伝えると、快諾してくれた。ついでに『あいつのこと、よろしくね』と夏海家から信任を得たので、俺は気兼ねなく料理をすることができるようになった。
「誰に連絡したの?お母さん?」
「ん?お母さんは家事で忙しいだろうから、晴華さんに伝言をしたよ」
「えっ!お姉ちゃんに連絡入れたの!?」
「うん、入れた。快諾してくれたから助かったよ」
夏海は顔をソファに埋めながら「最悪だ……」と呟いていた。
たぶん、ことあるごとに晴華さんから色々とイジられてるんだろうな……。
料理を始めようとしたが、俺の身体が汗臭いことに気付いた。
「あ、風呂に入ってないから臭いな。先に入るか……?」
独り言を呟くと、夏海から「お腹空いてるから待てない!」と抗議の声が届く。
仕方ないからとりあえず、タオルで最低限の清潔を保つことにした。
「わかったよ。じゃあとりあえず、濡れタオルで体を拭くから少し待ってて」
濡れタオルを用意して寝室に移動する。
服を脱いで、体の前のほうを一通り汗を拭いていく。
寝室のドアが開く音が聞こえた。驚いて後ろを振り向くと、夏海がドアを開けて立っている。
「びっくりした……!えっと、もう少し待っててくれ。あと少しで拭き終わるからさ。あと、恥ずかしいから早く閉めてくれ……」
背中を向けたまま、彼女にお願いをする。
ドアを閉める音が聞こえた。
俺は安心する。引き続き身体を拭く。背中側も届く範囲で拭こうと手を伸ばすと、背中に自分以外の手の平が触れる感触があった。
「んんっ!何?夏海!?」
一気に心音が加速する。やはり夏海の手のようだ。
部屋の外に出てたと思っていた彼女が部屋の中にいることも驚いたが、唐突に素肌を直接、触られたことで体温が急上昇するのを感じる。
「な……夏海、イタズラはやめてくれ。びっくりしたよ」
彼女は何も言わない。その代わり、俺の手からタオルを取ると背中を拭き始める。
「あ、ありがとう……助かるよ」
感謝を伝えても、彼女は何も喋らない。
拭いてくれるのだが、手の動きが鈍い、というか遅い気がする。
「夏海……?さっきから反応がなくて怖いんだけど……」
夏海はタオルで拭くことを止める。
しばしの沈黙後、濡れタオルが下に落ちる音が聞こえた。
後ろから夏海の両手が腕の下から伸びてきた。
胸の下あたりを両腕で抱き寄せられる。背中から彼女の体温が伝わってくる。
彼女の息遣いが、肩の後ろあたりから聞こえる。
「……夏海、どうしたの?」
俺は飛び出てしまいそうな心臓を必死に押さえながら、冷静を装って質問をする。
「なんで……落ち着いているの?夕陽は上半身裸で、私に抱きつかれてるのに……どうして?私に魅力がないから?」
彼女の声と体が震えている。
心臓の鼓動が背中越しに、痛いほど伝わってくる。
俺は何も言えない。きっと、答えを出すことを恐れている。
いや、言えないのではない。傷付いた彼女の心の中に入ることが怖くて、そこから逃げたくて、言わないんだ。
「困らせてしまってごめんなさい……部屋、出るね」
答えを出せなかった俺から、夏海の手が離れる。
今度こそ、彼女は部屋から出ていった。
タオルを拾い上げて、体を拭き始める。
たぶん、これが冬香が言いかけていた言葉の続きなのかもしれない……。
そして、彼女を一番苦しめているのは、臆病な自分――
手に力が入らず、再びタオルを落としてしまった。
体を拭き終え、部屋着に着替えた俺は、夏海のいるリビングの前で一度立ち止まる。顔を軽く叩いて切り替える。引きずっている様子を見せたら彼女が居づらくなってしまう。
廊下からドアを開け、リビングに入る。
「お待たせ、夏海。今から料理を作るから、もう少し待っていてね」
彼女はテレビを見ながら小さな声で「うん」とだけ反応した。
フライパンに油をひき、ひき肉を炒める。火を通したら、豆板醤や醤油などに生姜を加え、そこに水に溶かした片栗粉を入れてあんかけを作る。
もうひとつのフライパンにごま油をひいて、溶いた卵を入れる。スクランブルを作ったら、皿に乗せ、最後は上からひき肉のあんかけをかける。
あとは買ってきた惣菜を適当に皿に盛り合わせて、完成。
「よし、できた……夏海、できた――うぉっ」
ソファに座っていたと思っていた夏海は、いつの間にかキッチンまで来ていた。
目を輝かせながら「美味しそう……」と独り言を呟く彼女を見て思わず、笑みが零れる。
相当、お腹が空いていたのだろう。
彼女にテーブルへ料理を並べて欲しいとお願いすると、彼女は喜んで持っていってくれた。
テーブルに料理を並べ終えた。
机を挟んで対面する形でソファに座る。
俺たちは手を合わせる。
「いただきます」
彼女は俺の料理を口にしながら舌鼓を打つ。
あんかけ卵を美味しそうに食べる彼女はごはんのおかわりを要求する。
俺は苦笑いをしながらよそい、ついでに冷たい紅茶も入れる。
二人で囲む食卓に俺は安心を覚えていた。
そして同時に、直感した。
時間は、もう無い。




