11話 ダチュラと鏡Ⅱ
あれから1週間が経過したが、夏海の状況は変わらずだった。
「はい、これが夕陽のお昼ご飯ね」
いつも通り、夏海がお昼ごはんを用意してくれた。
手渡されたのは、おにぎりとおかずが詰められた弁当箱だった。
「今日は……おにぎりか。すごい美味しそうだね。いつもありがとう、夏海」
最近は朝練の朝食も夏海が作ってくれるようになってきた。夏海自身も朝練で忙しいはずなのに、至れり尽くせりで申し訳なくすら感じる。
夏海はプラスチック箸をケースごと俺に手渡す。
「喜んでくれたみたいでよかった。おかずは少し多めに作っちゃったから多かったら無理しないで残していいよ」
冬香の昼食を見ると、コンビニおにぎり2つだけを手に持っていた。いつもは可愛らしい弁当箱を必ず持ってくるのに、珍しい。
「あれ、冬香さんはコンビニおにぎりだけなの?」
夏海もそれに気付いて質問をした。
「はい、今日は母の体調が悪かったみたいです。前日時点でわかっていれば私が代わりに作るんですけど……朝になって急に熱が出たらしくて、コンビニで買うことになっちゃいました」
冬香はおにぎりの包装を外しながら答える。若干、外し方を失敗したようで海苔が途中で割れてしまった。
「あ、じゃあ私のおかずを少し分けてあげるよ。さっきも言ったけど、たくさん作りすぎたからさ」
夏海は弁当箱の蓋を裏返して、そこに冬香の分のおかずを置いていく。
「えっと……たしか、予備で用意しておいた割り箸がここに……あ、あった」
カバンから個包装された割りばしを一本取り出して冬香に渡す。
「いいんですか?こんなにたくさんもらってしまって……」
「もちろんいいよ。この間、冬香さんに勢いで酷いことを言っちゃったお詫びでもあるし」
この前と違い、素直に謝罪をする夏海を見て、冬香も穏やかな顔で感謝を伝えた。
冬香は夏海が作った美味しそうなおかずを見て、目を輝かせながら食べ始めた。
先週とは違って、本当に仲良く話している姿を見て俺は安心した。
三人で他愛のない話をしていると、屋上のドアが開く。
ドアが開く音に気付いた俺たちがそちらへ視線を向けると、篠田がいた。
「あ、こんなところにいたのか。お前ら、何で俺をハブって仲良く三人だけでコソコソ食ってるんだよ。みんなで食べるなら呼んでくれたっていいじゃん」
ブツブツと文句を言いながらこちらに歩いてくる篠田に手を振る。
「えぇ、だって篠田はいつものメンツで食ってるんだろ?せっかく気を利かせたのに、ずいぶんな言い方だな」
俺がそう返すと、篠田は冬香の隣の空いているスペースに座る。食べかけの焼きそばパンを取り出した。
「久しぶりですね、篠田くん。こうやってまともに話をするなんて、いつ以来でしょうか?」
「勉強のことでちょくちょく連絡は取ってるだろぉ……まるで俺が冬香を放置してるみたいな言い方をするなよ……」
不貞腐れる篠田に夏海が追加でツッコミを入れる。
「篠田……自分の彼女にこんなことを言われてる時点で、男としては落第点だね。冬香さんを放置して私の誕生日プレゼントなんて考えてる場合じゃないよ?」
冬香の前で、あまりにも手厳しい内容だったので俺は少しだけ篠田に同情した。
くすくすと笑いを堪えている冬香を横目に、篠田は「それは……ごめん」と素直に謝罪した。
「その件で言うなら、夕陽くんにも謝罪をしないといけないんじゃないですか?篠田くん?」
冬香の質問に対して、篠田はギクッとする。
彼は呼吸を整えて、謝罪する。
「……悪かった、黒臼」
「え、なんの話だっけ?」
何の話か、いまいちピンと来なかったが、誕生日プレゼントというワードで思い出した。
彼氏である俺に夏海の誕生日プレゼントは何がいいのか、とデリカシーの欠片もないことを言ってきた話だ。
「いいよ、気にしなくて。あのときは俺も色々あって疲れてたんだ。それにお前が何の悪気もなく、ああいうことを言うタイプの人間だってわかってたし」
「ごめん……」
収まりがつかないのか、頭を上げない篠田。何らかの交換条件を出さないと、終わらなさそうだ。
「あ、じゃあ許すかわりにさ、俺のことを名字じゃなくて名前で呼んでくれない?」
「え、名前?俺が夕陽って呼ぶってこと?」
「うん、この中で名字呼びなのって篠田だけなんだよね。急に名字で呼ばれるとびっくりするんだよ」
「わ……わかった。夕陽」
「改めてよろしく。篠田」
「ちなみに……俺は名字のままなの?」
「うーん、篠田は篠田って感じだからなぁ……やっぱり篠田だな!」
少しだけガッカリしながら焼きそばパンを口に放り込む篠田を三人で慰めてあげた。
篠田の下の名前を思い出せなかったから、、名字呼びを続けることにしたのは、他の人には言わないでおこう。
放課後の部活が終わり、俺は早々に着替えを済ませた。
外はすでに日が暮れ始めていた。
図書室の前で足を止める。少しだけ上がった息を落ち着けるために深呼吸をする。
ドアに手をかけて音を立てないように入る。
夕日に染まった部屋で、冬香が一人で椅子に座り、本を読みながら待っていた。
彼女は本を閉じ、静かに立ち上がる。
「夕陽くん……ごめんなさい、部活終わりに時間を作ってもらって」
本棚に向かい、所定の場所に本を戻す。
「大丈夫だよ、今日は練習が軽めだったから、そんなに疲れてないし」
昨日の夜、冬香から夏海のことについて話したいことがある、と連絡をもらっていた。
俺の前で彼女は体の前で手を重ねる。
「あ、もしかしたら汗臭いかもしれない。一応、綺麗にはしたんだけど……ごめんね」
「……それは大丈夫です。臭くても何の問題もありません」
真面目な顔でそう答えたが、どこか照れているような話し方だった。
どこに照れるような話があったのか、全く見当が付かなかったが、最終下校時間まであまり時間もない。
「それで……夏海についてだっけ?どうしたの?」
彼女は、どのように切り出すべきなのかを迷っているようだ。
「夏海さんはここ最近、かなり変わりましたよね?不自然なくらいに」
「……そうだね」
「夕陽くんは夏海さんと、これからどうしようと思っているのですか?」
「どうしよう、というのはどういう意味?……別れるつもりがあるのかっていう話?」
質問の意図が理解できずに、質問で返す。彼女は言葉の選び方を変えた。
「ごめんなさい、そういう意味ではありません。……夏海さんが、どうしてあのようなことになっているのか、夕陽くんはわかっているのですか?」
俺はそう聞かれると、言葉が詰まる。
夏海の家で見た、不安で仕方なさそうな、俺に縋るような彼女の表情が脳裏をよぎる。
教室で友達を差し置いて、無理をしながら笑顔で一緒にいてくれる彼女の表情が。
そして――そんな彼女を抱きしめて安心させる俺の姿を思い出す。
なぜ俺は彼女を抱きしめたとき、心が落ち着いていたのだろうか?――彼女があんなにも不安を感じていたのに。
「わからない……。ただ、夏海は俺のことを大切に想ってくれているんだと思ってたけど……」
咄嗟に夏海の名前を使って、自分へ感じている疑念を隠した。
無意識に体が後ずさる。
彼女は静かに一歩踏み出し、俺との距離を詰める。
俺の瞳の奥を覗き込むように見つめる。
「本気でそれだけだと思っていますか?彼女があんなにも露骨に変わった理由がそれだけだと、本当に思っていますか?」
心がたじろぐ。冬香は何を言おうとしているのだろうか。俺の心は何に対してひるんでいるのだろうか。
「な……何の話か……わからない」
俺は夏海の彼氏で……その夏海が辛そうにしているなら手を差し伸べるのが当然なんじゃないのか。
まるで、それが原因で彼女がこうなってしまったかのような言い方だ。
俺の心は拒否している。そんなはずがないと。俺は夏海のことが好きで、彼女のためを想ってしてきたのだと。
「冬香さん、何を言ってるの?俺は……」
「夏海の彼氏だよ」そう言えばよかったのに、言えない。
言おうとする俺を心が引き止める。
冬香も夏海が彼女であることは知っている。なのに俺の口から直接、彼女に言うことがとても勇気のいることのように思えた。
きっと、この言葉を今ここで冬香に向けることは、何か大切なものを終わらせてしまう気がしたから。
冬香が震えの止まらない俺の手を握った。冷や汗で冷たくなった手を優しく包み込み、体温を渡してくれる。
「夕陽くん……あなたの、夏海さんに対する想いは間違ってないです。だから――」
図書室のドアが動いた。俺たちはそちらに注意を向けたが、そこには誰もいなかった。
その代わり、廊下には走る足音だけが図書室から遠ざかるように響いていた。
「……もう、図書室を閉めないといけない時間ですね。帰りましょう」
彼女は俺の手を離し、図書委員として図書室の戸締まりを始めた。
俺は何も考えたくなくて、冬香の手伝いをするためにひたすら手を動かした。




