11話 ダチュラと鏡Ⅰ
夏の暑さはようやく影を潜め、秋らしい天候が増えてきた。
俺は授業中、夏海の横顔を眺めながら考え事をしていた。
目線を感じた彼女は、俺のほうに顔を向けると小さく手を振ってくれる。
俺も彼女に返事をするように、手を振り返す。
にこやかな彼女の笑顔とは裏腹に、俺の気分は浮かない。
夏海の家で起きた出来事以降、彼女の言動に明確な変化があった。
まず、彼女はことあるごとに声をかけてくることが増えた。
彼女のお願い通り、昼ご飯は必ず俺のところに来て一緒に食べるようになったし、朝練の無い日でも毎日、家の前まで迎えに来るようになった。
冬香も心の機微を感じ取っており、表面的には笑顔で対応をしている。
しかし時折、冬香は夏海を見つめて考えごとをしてるような場面に遭遇することが増えた。
彼女は元々小さな変化に敏感な人だから、これほど大きな変化をした夏海に対して、何か思うことがあるのだろう。
友達との付き合い方もずいぶん変わったようだ。何人もいたはずの友人たちは、今となっては彼女抜きでのグループを作っていることが多くなってきた。
それでも夏海はお構いなしに、俺と一緒にいることを選んでいる。彼女は今までより楽しそうに話すことが増えたように見えるが……。
当然、彼氏としては一緒にいる時間が増えるのは、とても嬉しい話だけど……今回の夏海に関して言えば、あまり健全とは言い難い状況だとも感じた。
他にも細かい変わりようはいくつかあるが、どれもあの日以降から始まっている。
あの日……彼女は捨てられた子犬のように怯えていた印象を受けた。何に、あるいは誰に、恐怖を感じていたんだろうか。
俺はどうしたものかと、決めあぐねていた。
午前中の授業が終わる。俺は夏海のことで頭がいっぱいになり、授業が終わったことに気付くのが遅れてしまった。
「夕陽、お昼ごはんを食べに行こう?」
夏海は放心状態の俺に声をかける。
笑みを浮かべている彼女の気持ちに水を差すのは心が痛む。だが、どうすればいいのか、わからないのであれば直接聞いてみるしかないだろう。
「……友達はいいの?最近いつも俺と一緒でしょ?たまには――」
そう言いかけると、一瞬だけ苦しそうな表情をする。だが、それでも笑みだけは崩さないように明るく振る舞う。
彼女は俺の言葉を打ち消すように口を開く。
まるで、聞きたくない話を言わせないように。
「大丈夫。私は夕陽の彼女だよ?一緒にご飯を食べるくらい当たり前じゃない?」
俺は口を噤む。笑いながら苦しんでいる彼女を、これ以上追及できるほどの言葉を持ち合わせていない。
何よりも彼女をイタズラに傷付けることだけは避けたかった。
「そうだね……ありがとう」
彼女の頭を優しく撫でてあげる。気持ちが昂ぶったのか、俺の身体に抱きついてくる。
今までは、ここまで過剰なスキンシップを学校で求めてくることはなかった。
周囲の様子を見ると、夏海の友人たちが少し引いているのがわかる。それでも彼女は俺しか見ない。いや……意図的に見ないようにしているのかもしれない。
早く教室から出たほうがよさそうだ。俺たちは昼食のために隣のクラスにいる、冬香を迎えに行く。
隣のクラスのドア前で冬香を探す。ちょうど準備が終わり、廊下に出ようとしていた。
「ちょうどよかった。冬香さん、今日も屋上でお昼食べる?」
「はい、もちろんです。行きましょう」
笑顔で答える冬香の目線は、俺の身体に抱きついている夏海に向けられる。
嫌悪感といった負の感情とも違う。夏海の瞳の奥を覗き込むような、静かで深い眼差しだった。
夏海も何かを感じているのかもしれない。少しだけ緊張感が走る。
「今日も夏海さんは可愛いですね。なでなでしたくなります」
宣言通り、冬香は夏海の頭を撫でる。小動物を愛でるような手の動きだった。
夏海は冬香のなでなでを素直に受け入れる。まんざらでもないようだ。
「ありがとう……冬香さん」
以前は互いに名字呼びだったが、冬香が「名前呼びのほうが親近感が湧くからそうしませんか?」と提案したことで、今となっては名前呼びが普通になった。
俺たちは屋上へ向かった。
「はい、夕陽のお弁当はこれね」
屋上に到着すると、夏海は俺の分の弁当を渡してくれる。
「いつもありがとう、夏海」
「ううん、いいの。気にしないで。私がやりたくて作ってるんだから」
平型の大きめの弁当を開けると、中は卵焼き・ミートボール・ほうれん草の和え物・ミニトマトに白米が敷き詰められた色鮮やかな中身だった。
冬香が覗き込むように弁当を眺める。
「うわぁ、すごい綺麗なお弁当ですね」
冬香が褒めると夏海は照れる。
「冬香さんのも可愛いと思うよ?」
二人とも互いの弁当の中身を見せ合って楽しそうに話をしている。俺は聞き耳を立てながら弁当を食べる。
他愛のない褒め合いの会話をしているように聞こえるが……。
夏海は冬香に対して、俺との最近の間柄について遠回りに聞いているし、冬香は夏海に対して、最近変わった部分について遠回りに聞いている……。
ほのぼのと昼食をとっているだけのはずなのに、彼女たちの会話はジャブで差し合いをしているようにしか見えない。
「冬香さんって篠田と付き合っているんだよね?夕陽と一緒にいるのはよく見るけど、篠田と一緒にいるところは見たことない気がするなぁ」
冬香は夏海の言葉を聞いて、わずかばかりだが目が鋭くなる。
「まぁ、彼も高校に入って人間関係が変わったので忙しいんだと思います。そういう意味では私もそうですね。特に……ここ最近、彼の興味関心は私よりも別のものみたいですし……」
遠回しな言い方の矛先が夏海に向いているのが、俺には見えた。
篠田のことはそこまで好きではなくなった、と言っていたが、やはり篠田の彼女として思う部分があるんだろうか。
夏海は気付いたのか、気付かなかったのかは定かではないが、特に反応は示さなかった。
「夏海さんこそ、最近は友達と一緒にいないみたいですけど……どうしたんですか?彼は一人でいるのが好き、ということはご存じでしょう?」
冬香は弁当を無心で食べる俺の方に視線を向けながら、夏海に質問をする。
「夕陽に甘えてばかりじゃダメかなって思ってね。冬香さんにも夕陽のことで、これ以上気遣ってもらうのも申し訳ないし……そういうのって彼女である私の役割だから」
夏海は笑顔を見せながら「彼女」と「役割」の語気を強めた。
左ジャブどころか右ストレートが混ざり始めている。
これはさすがにまずい……仲裁に入らなければならない。しかし、こういうときはどんな風に割り込めばいいのだろうか……。
俺は恐る恐る、手を上げる。
「あの……」
二人の視線がこちらに向く。圧をとても感じるが、あとには引けない。
「えっと……二人とも、せっかくの昼食なんだから楽しく話をしない?」
俺の毒にも薬にもならなさそうな、当たり障りのない言葉を聞いた二人は無言になる。
「……そうですね。ごめんなさい、言い過ぎました」
冬香は、夏海と俺へ素直に謝罪をする。
だが、夏海は不機嫌な顔で黙ったままだった。
学校では比較的マシだが、家では絶賛反抗期中であることを考えたら、素直に謝れるタイプではないのはわかっていた。
夏海の気持ちを鎮めるために、声をかける。
「夏海……こっちにおいで」
俺は隣の空いてるスペースを手のひらで軽く叩く。
最初はキョトンとしていた彼女だが、何をするのかわかったのか、黙ったまま顔を赤らめて俺の隣に座る。
俺は彼女を横から抱きしめる。
先ほどまでの不機嫌はどこかに飛んでいき、しおらしくこちらに体を預けてきた。
そのまま、彼女が落ち着くまで頭を撫で続ける。
この状況を見せつけられている冬香は、気まずい思いをしていないだろうかと心配になり、彼女のほうに目線を向ける。
彼女はその光景を優しい顔で観察していた。何を思ってそういう表情になったのか、それはわからない。
少なくとも、俺や夏海へネガティブな感情を持っていないことがわかっただけでも、俺は心底安心した。




