9話 移りゆく紫陽花の桜色Ⅲ
篠田くんは大型ケージ前でしゃがみながら、モルモットを撫でていた。
ふれあい施設に来るまでの間、自分の内面を一部とはいえ、さらけ出してしまったことに気を取られ、なんとなく無言の時間が増えてしまっていた。
気まずさから篠田くんの後ろで立ち尽くしていると、彼が私を気遣って声をかけてくれた。
「八木坂さん、可愛いよ。そんなところで眺めてないで一緒に触らない?」
そう言いながらモルモットを持ち上げて、フサフサしたお腹を私に見せる。
ニコッと笑顔を投げかける彼の姿を見て、私も笑みが零れた。
「モルモットが可愛い、でしょう?それではまるで、私を口説いてるような言い方じゃないですか」
私は彼の横でしゃがみ、モルモットの背中を優しく撫でる。ぴくぴくと鼻を動かして、私の手を物珍しそうに探索している。
彼は私の指摘を聞いて「あぁ、そうなっちゃうか。ごめんごめん」と軽く謝った。
謝ってしまうのは癖なんだろう。私は必要以上に指摘はしないでおく。
彼は楽しそうにモルモットを撫でながら、うーん、と唸っている。何か言いたげな表情をしていた。
また、何か妄想が捗って言いたくて仕方ないのだろうか。もしかしたら、私がそういった話に明るいことをイジりたいのかもしれない。
どちらであっても、彼であれば嫌な気持ちにはならない。私は会話を促すために声をかける。
「なんですか?言いたいことがあるなら言ってくださいね?」
「……言っていいの?」
「いいですよ、今度はどんな妄想が捗ったんですか?」
先の会話を予測した私の質問を聞いて、彼はわずかに笑みを見せる。だが、その直後、緊張した面持ちで口を開く。
「……間違ってないよ」
「え、何がですか?」
「モルモットも可愛いけど、俺は八木坂さんのことを可愛いと思って言ったつもり……だよ」
モルモットを撫でていた私の手が止まる。
初めて話をしたときも「美人と一緒に登校できる」と容姿を褒められたが、あのときは冗談を含んだ言い方だった。
でも、今は……たぶん違う。本気でそう言ってくれている。
彼を直視できなくて、顔はモルモットへ向けたまま、視線だけを彼に向けると、緊張しながらも真剣な瞳でこちらを見ている。
初めてデートに誘われた時と同じように、私の心音が加速する。
だけど――息苦しさはない。心地の良い、温かい音が聞こえる。
私はスマホのカメラを起動して、真剣な表情の彼を撮影する。
「え、何……どうしたの?」
初めて、本気でそう言ってくれる人の……彼の顔を切り取りたかった。このとき、この瞬間を、永遠に残したかった。
きっと、私にとって大事な思い出になるから。
「なんでもありません。強いて言うなら……口説くのであれば、もう少しスマートにしてください」
遠回しにかっこ悪いと指摘され、ガクッと落ち込む彼を横目に私は立ち上がる。
「でも、悪い気分ではなかったですよ。ありがとうございます、篠田くん」
撮影した写真を、彼にバレないようにこっそりと確認する。画面の中には、真剣な瞳をした彼がしっかりと収められていた。
私はスマホをそっと胸に押し当て、この心地よい音を噛みしめる。
太陽は沈みはじめ、外の景色がオレンジ色に染められてきた頃、私たちは帰りのバスに乗っていた。
一番後ろの席で隣り合って座った。彼はウトウトと眠り始め、徐々に体から力が抜けていくのが分かる。
彼の頭が私の肩に寄りかかる。最初は少し驚いたが、無防備な表情で眠っているところを起こすのは憚られたので、そのまま肩を貸すことにした。
彼の体温を感じながら、私は一人で今日の出来事を思い返す。
ふれあい施設を出てからも、たくさんの動物を見て回った。ゾウ、サル、キリンなどの定番の動物をはじめ、コンドルやフクロウなどの鳥類にコウモリも見た。
篠田くん的にはコウモリが一番のお気に入りだったようだ。たぶん、理由はかっこいいから。目を輝かせながらコウモリを追っていたのがとても印象に残った。
たしかにコウモリをモチーフにしたバットマンというダークヒーローがいるくらいだ。彼の感性には合うとは思っていた。
私も……まぁ、かっこいいかなとは思う。アメコミヒーローならスパイダーマンのほうが好きだけど。
コウモリを見終えたあと、園内のフードショップで簡単な昼食を取り、引き続き見て回ることにした。
午後も色々な動物を見たが、特に私が一番気に入ったのは――レッサーパンダだった。
私は驚かせないように、抑え気味で黄色い声をあげながらスマホでひたすら撮影をしていく。
「ねぇ、篠田くん!見てください!レッサーパンダですよ!可愛くないですか?」
ガラスで仕切られ、木製のアスレチックが設置されている展示エリアでレッサーパンダは2匹いた。各々が自由気ままにアスレチックを上り下りしながら愛くるしい姿を見せてくれる。
テレビでしか見たことのなかった、一度は実物を見たいと思っていた、レッサーパンダが目の前にいるのだからテンションが上がらないわけがない。
私と一緒にスマホで撮影をしていた彼は、さすがに疲れてきたのか、展示エリアのそばにあるベンチに座る。
「八木坂さんってレッサーパンダが好きなんだね……どこらへんが好きなの?」
「全部ですね。色、見た目、仕草……全てが好きですよ。ほら見てください、飼育員さんが餌をあげはじめましたよ!」
後ろの従業員用ドアから職員が入ってくると、果物が入ったバケツを片手にレッサーパンダに餌付けを始める。
私は夢中で食事中の様子を観察しながら撮影をする。職員が手渡しで果物を両手で受け取ると、美味しそうに食べ始めた。
「篠田くん、美味しそうに――」
声をかけるために振り返ると、そこにはベンチでウトウトしながら寝かけている彼の姿が見えた。
彼は声をかけられて目を覚ます。寝かけていたことを隠したかったのか、慌てて取り繕いながらこちらを見た。
「あ……ごめん、どうしたの?なにかあった?」
もう少しレッサーパンダを見ていたかったが、彼の疲労を考えると、これで終わりにして帰ったほうがよさそうだ。
「いえ……なんでもありません。帰りの時間も考えると、そろそろ帰らないといけないですね」
「え、大丈夫だよ?ちょっと眠くなっただけだし……」
楽しんでいる私のために強がってくれているのだろう。
本当は、横になれば今すぐにでも寝てしまうくらいには疲れているのに。
「無理をしないでください。明日も学校ですし、早めに帰って休みましょう」
本音を言えば後ろ髪を引かれる思いはあるけど、それよりも彼のことを優先してあげたい。
私たちはこのまま帰路につくことになった。
一通り、思い返して私の口元は綻ぶ。
楽しかった。デートそのものが初めてのことだったから、不安がなかったといえば嘘になるけど、そんな些細なことがどうでもよくなるくらい……うん、楽しかった。
今日という唯一の日が終わることに寂しい気持ちがこみ上げてくる。
本当にあとは帰るだけなのだろうか?やり残したことはないのだろうか……
落ちていく夕陽を眺めながら黄昏ていると、篠田くんが起きた。
「うぅん……ごめん、寝ちゃってた……」
目を擦りながら体を起こそうとする彼を、私は見つめる。
あ、今からでもできるやり残したことが、ひとつだけあった。
デートらしい、最後にやりたいこと。
「篠田くん」
「ん?どうした――えっ」
私は肩から離れようとする彼の頭を手で優しく押さえる。そこに私の頭もくっつける。
「ねぇ……笑って?」
そのまま、もう片方の手でスマホのカメラを起動して、私たちを撮影する。
少しずつ角度を変えて、何枚も撮る。
今の私にとって、最も価値のある一日を彩る最後の瞬間を、撮り損ねたくないから。
実際の時間にすればほんの一瞬の出来事だったと思うけれど、私にとっては永遠にも思える。そんな時間だった。
スマホをしまい、そのまま私たちは無言でバスに揺られていった。
黄昏に沈む私たちは、それ以上、何も言わなかった。




