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冬日向に舞う風花~夏と冬の狭間に揺れる夕陽の物語~  作者: 翠月
2章 冬と孤独と雪解け水の雨【冬香と篠田 出会いの物語】
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8話 移りゆく紫陽花の薄緑Ⅱ

いつも通り、校門が開く時間ぴったりに登校した。


教室に着くと誰もいない。


私は自分の席に座り、小説を開く。


モノクロの現実と色鮮やかな物語、二つを重ねることで、私がいるべき世界がどちらなのかを改めて感じることができる。


この時間が私にとって、数少ない楽しみだった。


外の音が遠くになり、視界は狭くなる。


意識は文字を読むことに全て使われ、世界が作られていく。


突然、ガラガラと教室のドアが開く音が聞こえる。


なぜか私は意識が途切れてしまった。普段なら一人・二人程度なら気にもならないのに。


顔を上げると、そこには篠田くんがいた。


以前、彼に助けてもらってから、私は彼の気配を感じると集中できなくなってしまった。


彼の気質というべきなのだろうか?とても軽やかで、陽射しを浴びる薄緑色の葉のような色を感じる。


「あ、八木坂さん。おはよう、いつも早いよね。バスケ部の朝練をやってる俺より早く教室に着くなんてすごいよ」


視線に気付いたのか、こちらを見ながらバスケ関連の道具を教室後ろにある、個人ロッカーへ雑に詰め込んでいく。


席に戻ると、彼は私が小説を読んでいたことなんてお構いなしに話し始める。


今日の朝練での出来事や先輩への愚痴など、私には何ひとつわからない話ばかりだったから、相槌だけ打っていた。


「そういえば、八木坂さんって高校はどこを受けるの?」


唐突に聞かれる。答える必要はないけど、何となく地元の公立高校であることを告げた。


「マジ!?俺も同じところ受けようと思ってるんだよねぇ〜。でも、俺って頭悪くてさ。受験勉強も面倒でやる気にならないなぁって思ってたんだけど……」


「……なんですか?」


彼は私の顔をじ〜っと見つめて


「八木坂さんと同じなら、俺も頑張ろうかなぁ〜!」


冗談なのか、本気なのか、よくわからない論理でやる気を出している彼の考え方に興味が湧いた。


「なぜ私と同じだとやる気になるんですか?」


そう聞くと、彼は人差し指をビシっとあげて理由を教えてくれる。


「美人と一緒に同じ高校に通えるから!」


最初は美人が誰のことか、わからなかった。篠田くんはピンと来ていない私に「美人っていうのは八木坂さんのことだよ!」と笑いながら教えてくれる。


なんて現金な理由なんだと呆れつつ、先入観で作られた私の中の篠田くんと、何ら変わらない理由で面白かった。


「一人で勉強はできるんですか?」


「できねぇ。勉強の仕方もわからん……」


「……そうですか、それは大変ですね」


勉強は本人がやる気にならないと意味がない。私が美人であることが本気になる理由なら、勝手に勉強を進めるはずだ。


そう思い、私はそっけない返事をする。


「そうだ!八木坂さんって頭よかったよね?勉強を教えて欲しいんだけど!?」


「なぜ私が――」


「頼むよ!俺の周りの人って勉強は同レベルの人ばかりで頼める人がいないんだ、この通り!」


彼は手の平を合わせて懇願する。


私はどう断ろうかと逡巡したが、殴られかけたときのことを思い出してしまい、断りづらくなってしまう。


大きなため息を吐き、「いいですよ、長時間でなければ」と条件付きで受け入れる。


「マジ!?本当に?ありがとう!俺、頑張るよ!」


「助けてもらったお礼だと思ってください。それと、他人に教えると自分の勉強にもなるので……」


彼は大喜びだった。そんなに勉強の仕方に困っていたとは思わなかった。


そんな彼の無邪気な姿を見ていると、心が温まるような気がした。


仕方なく受けた約束とは言え、私が何かすることで、こんなにも喜んでくれる人が今の家族以外に存在するとは思ってもいなかった。




それからは時間が空くたびに勉強に付き合うようになった。


彼はバスケ部のため、日中は時間が取れない。だからメッセージアプリの通話機能でカメラを使いながら夜な夜な勉強をする。


頭は……良いわけではないけど、飲み込みは悪くない。単に勉強そのものがつまらないものだと思っていたことが原因だったのでは、と感じる。


最初は1週間ほど持てば良い方だと思っていたが、案外続くもので一ヶ月ほど経った。


彼の人となりも何となくわかってきた。



「ねぇ、八木坂さんって彼氏はいたことあるの?どこまでやったことある?」


「くだらないことを言わないでください。普通にセクハラで訴えますよ」



デリカシーがなく、あまり深く物事を考えないようにしていること――



「篠田くん?手が動いてないみたいですけど……?」


「……え?あっ、ごめん、音楽を聴いてた!」



目の前のことに集中すると意識が散漫になること――



「またこの前のように音楽でも聴いてるんですか?手が止まってますよ。っていうか何を笑ってるんですか?」


「いや、ちょっとこの動画が面白くて……」


「どんな動画ですか?……なんですか?この小学5年生みたいな浅い笑いのネタは……」



普段は動画配信サイトを見て暇を潰していること――



「くしゅんっ!」


「八木坂さん、大丈夫?風邪引いたの?」


「大丈夫です……母から温かい飲み物をもらっているので」


「今日は無理せず終わりにしようか?」


「いえ、大丈夫――」


「違うって。今日は俺が集中できなくなったからやめるんだよ」


「……わかりました、じゃあ、終わりにしましょう」



デリカシーはないのに変なところで気遣いをしてくること――



「今日はこれで終わりにするかー」


「えっ、いつもより30分早いですよ?」


「明日は他校との練習試合だから早めに寝たいんだ」


「そう……ですか。それなら、仕方ありませんね」


「……何?もしかして、俺ともう少し通話してたいって話?」


「違います……!勘違いしないでください!」


「仕方ないなー、冬香のために人肌脱ごうかなー?」


「さりげなく名前呼びをしないでください!」



私をからかうのが好きなこと――



色々なことを聞いたけど、どれも私にとっては新鮮だった。


特定の男性とこれほど親密に話をしたことが初めてだったのもあると思う。


少しずつ、私の中で何かが変わっていくのを感じる。


他人に心があるとか、感情があるとか……。当たり前のことではあるけど、それは知識や常識で知っていたことだ。


今はそれを心で実感している。知りたいとも思わなかった他人の感情に触れて、私は温かさを知りたいと、そう思っている。


「今度さ、どこかに遊びに行かない?」


いつも通り、夜にメッセージアプリで通話をしながら勉強をしていると、そう聞かれた。


「……どういう意味ですか?」


ただ勉強を教えているだけの仲なのに遊びに行く必要性はないのでは……?


「どういう意味って……そのままの意味だよ?」


「……?なぜ、あなたと遊びに行く必要があるんですか?」


「えぇ……八木坂さんって頭は良いのに、こういうことはわからないの?」


からかうような言い回しをしてくる彼は、相変わらずの無神経さだ。


私が黙り込むと、篠田くんは慌てて訂正をする。


「あ……ごめんって。馬鹿にするつもりはなかったんだ。えーっと、つまりさ……」


言い淀む彼を追及しようと、私は言葉を重ねる。


「なんですか?人を貶めてまで言いたいこ――」


「ああ、もうっ……!だからさ……デート……の誘いだよ」


「……は?」


今までの人生で一度も向けられたことのないワードだった。間の抜けた声を漏らしながら、手元が狂ってシャーペンを落としてしまう。


画面の向こうの彼も椅子から立ち上がり、スマホに接続していたヘッドセットを机に置く。


恥ずかしそうに頭を抱えるような呻き声が遠くから聞こえる。


思考が停止する。今、私は何を言われているのだろう。私がデートに誘われた?言い間違いや聞き間違いの類では?


一通り呻き終えた彼がヘッドセットを再び装着しながら戻ってくる。


スマホ越しなのに、彼が近くにいるような気がしてしまう。


心臓が高鳴る。シャーペンを拾い上げようとしても手が震えて滑り落ちてしまう。


「ちょっと……何を言ってるのか、わかりません」


未知の何かから追われるような感覚。でも、恐怖ではない……。


「えっ……と、ごめん。俺、変なことを言っちゃった?デートに誘ったつもりだったんだけど……」


意味が通じなかったのかと勘違いした彼が、改めてデートに誘ってくる。


その言葉を聞き、その言葉が私に向けられていることを実感するたびに、全身が熱くなる。


「わ……私は、よくわかりません。あの、今日はこれで終わりにしてもらってもいいですか?返事は……また別の日にさせて……ください」


動揺しているのを隠せない。


怖いわけではないのに、唇と声が震えて、思ったように言葉が出ない。


震える親指で通話終了のボタンを押した。


私は彼の返事を聞く前に電話を切ってしまった。


スマホの画面を机へ伏せるように置き、私も机に突っ伏す。


「なんなんだろう……これ」


両手で心臓を押さえる。


怖いような、温かいような。落ち着かなくてソワソワするこの気持ちを、私はぎゅっと握りしめた。

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