6話 アイビーの蔓Ⅰ
朝食を終えると、時間は朝の9時を回ったところだった。
冬香はお菓子を食べたあとだったが、俺が作った料理を難なく食べ終えた。
空になった皿を前に、満足げに飲み物を飲んでいる彼女を見て、心が温まる
「夕陽くんが作った『魚沼産コシヒカリの炊きたてご飯、国産地鶏の卵を使った目玉焼きと国産豚のカリカリ極厚ベーコン』。とても美味しかったです。食材のこだわりを料理からひしひし感じましたし、ベーコンの焼き加減もちょうどよかったです。また作ってください、お願いします」
テーブルを挟んで向かいに座っている俺に対して恭しくお辞儀をする。
どうやら、星5評価をくれたようだ。
「それはよかった。あと、わかりやすいレビュー評価付きで助かる。また冬香さんが家に来ることがあれば作るよ」
「朝5時前から、頑張ってここまで来た甲斐がありました……」
「ごめんて……」
「冗談ですよ」
冬香にからかわれる。以前より距離が近くなったおかげか、彼女の素の部分に触れているようで心地よかった。
空になった皿をキッチンへ運びながら水に漬けていく。
「あ、私が皿洗いをするので夕陽くんは休んでいていいですよ」
彼女はとてもにこやかな表情で皿を片付けたテーブルを綺麗に拭いている。
「いや、普段からやってることだから気にしなくていいよ。冬香さんこそ、朝から自転車で来てーー」
「ダメです。私が、やります」
テーブルを拭き終えた彼女は、キッチンの片付けをしようとしていた俺の隣に真顔で立っていた。
「えっ……でも本当に大丈夫だよ?」
「いいんです、私が、やりたいんです。やらせてください」
圧が強い。何か目的があるのだろうか?
とはいえ、ここまで言ってくれるなら、せっかくだしお願いするか。
「わかった、じゃあ冬香さんにお願いしようかな」
「はい、任せてください」
彼女はニコニコで皿洗いを始める。
家事をそこまで楽しそうにやる人を初めて見た。
世の中には色んな人がいるものだ。
手持ち無沙汰になった俺は、どうしようか悩む。
昨日、タオルで体を拭いただけだったな……風呂に入るか。
リビングから廊下でつながっている自分の部屋へ移動して、着替えを一通り揃える。
廊下側のドア越しに、リビングキッチンにいる彼女に乾燥機をかけてもらうよう、お願いをするついでに一声かける。
「冬香さん」
「はい、なんですか?」
「風呂に入ってくるよ。皿洗いが終わったら食器乾燥機をかけてもらってもいい?」
「はい、わかりーーお風呂!?」
「うぉっ!びっくりした……どうしたの?何かあった?」
冬香と話してきた中で一番の大声を聞いた気がする。食器乾燥機の使い方がわからないのだろうか。
「い、いえ!なんでもありません……本当に、何も…」
もにょもにょ言っているせいか、ドア越しでは何を言っているのか聞き取りづらい。
「んん……?冬香さん?本当に大丈夫?乾燥機の使い方がわからないとか?」
「なんでもないので早くお風呂に入ってください!」
よくわからないが、怒られた。
脱衣場で服を脱いでいると、キッチンから冬香が皿洗いをする音が壁越しに響いてくる。
こういう生活音……母さんがいた頃はよく聞いていた。あの頃は頭を撫でられるのが大好きなハモもいて、すごく楽しかった。
もちろん、一人で自由気ままに暮らせる今も楽しいけど、あの頃にしかなかった幸せがあったのも事実だ。
冬香の皿洗いの音を聞いていると、その幸せが少しだけ帰ってきたような気がする。
ほんの少しの時間、俺は音を聞くのに夢中になっていた。
「あ、風呂に入るの、忘れてたな……」
一人で苦笑をしながらドアを開け、シャワーを捻る。
シャワーの音で頭の中が満たされる。
なんだか色々ありすぎて、こうやって落ち着けるのは久々な気がする。
自分の中で一度、整理した方がいいかもしれない。
汗を流しながら、昨日の出来事について振り返る。
篠田は夏海に気があるのは間違いない。二人きりなのかは、わからないけど……今日も遊んでいるのだろう。 それにしても、冬香と付き合っておきながら夏海にも……せめて冬香との関係をきちんと終わらせてからするべきだろ。まぁ、どちらにしても夏海が喜ぶとは思えないし……何よりも俺が無理。
夏海は……申し訳ないことをしてしまった。たしかに思うところあるけど、だからといって彼女からの電話を一方的に切ってしまったのは、俺の心が弱いせいなんだろう。それは、謝らないといけない。
俺はどうしたいのだろう。冬香は篠田のことはそこまで好きではないみたいだが、俺は……たぶん、そうじゃない。
これから何を選択するにしても、やはり夏海とは一度、電話の謝罪も含めて、今後のことについて話さないといけないときが来るだろうな……。
色んな可能性、選択肢もまだ、ある。
でもきっと……俺の本当の願いは、もう決まっている気がする。たぶん、いくつもあるから迷っているだけ。
その瞬間が来たら、俺は迷わないだろう。
一通り、体を洗い終える。
体を拭いて、服を着ようと……したのだが、バスタオルが無い。面倒でまとめて洗濯したから無くなってしまったようだ。
皿洗いの音は聞こえない。
もう終わったようだ。彼女に取ってきてもらうか。
「冬香さん、聞こえる?」
リビングにいると思われる彼女に聞こえるよう、少し大きめの声で呼ぶと、脱衣場のドアがガタガタと揺れる。その音に紛れて、猫が驚いたようなうわずった声が聞こえた気がする。
「ん?冬香さん、そこにいるの?」
「あ、いやぁ……その、ちょうど皿洗いが終わって、乾燥機をかけたところなんです」
しどろもどろな声で返事をしてくれる。何をしていたんだろう……。
「……?申し訳ないんだけど、ベランダにバスタオルを干してあるから、乾いてるやつ持ってきてもらっていい?」
「わ、わかりました!」
なぜ慌てているのか、よくわからないが、彼女は早歩きでベランダまで取りに行ってくれたようだ。
ちょっと寒くなってきたから、もう一度シャワー浴びておくか……。
シャワーを再び出して体を温めながら、冬香を待つ。
足音が近づいてくる。戻ってきたみたいだ。
「持ってきました!ドアの前に置いておきます?」
「いや、脱衣場に置いてくれると助かる」
「え、入って……大丈夫なんですか?」
戸惑いを隠せない声が聞こえる。
そんなに緊張することだろうか……?
「うん、大丈夫だよ」
「えっと、じゃあ……失礼します!」
冬香が勢いよくドアを開ける音がバスルームまで響く。
「……あれ、夕陽くん?」
俺を探すような声が聞こえた。バスルームにいることを伝えるために、シャワーを止める。
「あぁ、ありがとう。ちょっと寒くなったから、もう一度シャワーを浴びてたんだ。洗濯機の上に置いてもらえる?」
反応が無い。ドアを開けた音も、俺を呼ぶ声も聞こえたから、脱衣場にはいると思うんだが…。
バスルームのモザイク窓から無言のまま横切り、洗濯機の上に置いてくれる冬香が見えた。
何で急に静かになるんだろう……?
「冬香さん、持ってきてくれてありがとう」
再び横切って部屋から出ようとする、冬香に感謝を伝える。なぜか戻るときは、こちらを見ながら気持ちゆっくりと歩いていたような気がする。
「どういたしまして!」
ドアが強めに閉められる。その音に俺はびっくりする。
どういうことなんだ……。
「ふぅ、さっぱりした。洗い物ありがとう、冬香さん」
風呂から出た俺は、冷蔵庫から紅茶を取り出してコップに注ぐ。
「どういたしまして……」
なぜか目線を逸らして拗ねている、冬香さんの分も用意して、テーブルに並べる。
小声でありがとうございます、と言いながら紅茶を飲む。
「……なんでそんなに拗ねてるの?」
冬香の向かいのソファに座りながら、恐る恐る聞く。
「夕陽くんが意地悪だからですっ」
「俺が、意地悪……?」
「そうです、意地悪です」
「なんか、ごめん」
彼女はため息をつきながらどこか嬉しそうに、条件を提示する。
「許す代わりに、今日はどこかへ遊びに連れて行ってください」
「え、それってデートってことに……」
問題があるとはいえ、互いに恋人がいるのにいいのだろうか……?
「何を言っているんですか?私は友達と遊びに行く約束を取り付けてるだけですよ?」
その理屈は……通るのだろうか?
やってることは夏海と篠田と変わらないような気がする。
難色を示す俺に対して冬香はムッとした表情で続ける。
「だって、ズルくないですか?篠田くんは私を放置して美人の星田さんと楽しく遊んでるし。星田さんは……篠田くんに対して何を思ってるか、それはわからないですけど、普段から色んな人と遊んでいるんでしょう?」
「まぁ、それはそうだけど……」
「じゃあ、私たちにも友達同士で遊ぶ権利くらいはあると思いませんか?」
「うーん、まぁたしかに……」
いつまでも煮え切らない態度の俺に痺れを切らして、最後に詰める。
「私だって……好きな人と遊びに行きたいんです」
冬香は下を向いて弱々しく呟いた。
それは「友達として」好きな人と遊びに行きたいっていう意味だよな……?
俺の細かい屁理屈は冬香の上目遣いで全て破壊される。
「わかった、行こう。どこに行きたい?」
途中までのウジウジした言動は無かったことにする。今は、冬香との時間を大事にすべきだと思ったから。
「動物園です」
彼女は淀みなく答える。最初から行きたい場所は決まっていたようだ。
「ダブルデートのときに行く予定では……?」
「篠田くんに聞いたら、行くなら水族館がいいと言われてしまったので。動物園に行きましょう」
「動物園か……今から行けるところだと、あまり遠出はできないけど、それでいい?」
スマホの待ち受けには11時と表示される。お昼ごはんはコンビニあたりで済ませる前提で検索をする。
「はい、もちろんいいですよ。夕陽くんと行けるなら、どこでも楽しいので」
俺はスマホ操作を止めて、冬香の方を見る。顔が熱い。
「薄々思ってたんだけど……冬香さんって、本当にナチュラルな人たらしだよね」
ジー、と半目で冬香を凝視する。
「失礼ですね。こんなことを言える相手は、夕陽くんだけですよ」
心音が加速する。目線を横にずらして、ソファにある枕を口元に当てる。
「やっぱりたらしだ……」
「ただ、夕陽くんは反応が分かりやすいので、ちょっとやりすぎちゃうんですよね」
「んー……もう、知らない」
俺はにやけそうな顔をソファに押し付けて隠しながらスマホを操作する。
冬香はその反応を観察して楽しんでいる。
最寄りの駅まで電車で行って、そこからタクシーで移動するのがよさそうだ。
彼女に確認をすると、喜んでOKをしてくれた。
冬香とデート……もとい、遊びに行こう。




