07.
どこまでも草原が広がっていると思っていたら、途端に途絶えた。
皇都から一番近いという砂漠地帯には、出立から三日ほどで着いた。馬車では砂の上を進めないため、ここからはモルガに乗っての移動だ。ネルグイのモルガに皙華が同乗し、彼の従者であるバヤルのモルガに皙華の侍女が同乗した。
一刻弱かけてオアシスがみえる位置に至る。そこまでくると、泉のある場所以外は全方位砂だった。目を凝らせば山か街かの影らしきものがみえなくもないが、砂と空しかない。晴れているので、じりじりと肌に陽射しがあたる。
「シーファ、大丈夫か?」
天幕をバヤルと張り終えたネルグイが、気遣わしげに窺う。日照りばかりの地の暑さに慣れていないことを心配され、皙華は頭巾として巻いた布をゆるめて笑った。
「虹蓮の暑さよりずっと楽だわ」
「え? 砂漠の方が暑いだろう」
「けど、からっとしてて空気に触られることがないもの」
「触る? 空気だぞ?」
「雨が多い虹蓮の夏は空気がじっとりしてて辛かったの。湿気がひどいときは動いただけで、空気に触れられてるみたいだったわ」
「幽鬼のしわざでもないのにそんなことがあるのか……」
怪談でしかきかないような質感の空気がごくありふれている状態が、ネルグイには想像できない。川のなかを歩いているようなものの軽度版だろうか。濡れたままや水のなかで動く不便さは知っている。そのままが続くと体力を奪われるものだ。湿気を多分に含んだ空気とは、さぞ気持ち悪いことだろう。
しきりに首を傾げるネルグイとは異なり、皙華は暑さを心地よく感じ、目を細めた。暑いのは確かだが、湿度の低い空気は息がしやすい。悪くない気分だった。
「シーファ、祈祷はできそうか?」
「やってみる……!」
一度、天幕の影に入り、陽射しから守るためにまとっていた頭巾など外套の布を脱ぐ。中にはすでに巫女服を着ていた。侍女に手伝ってもらい、紅で目弾きし、髪を整える。ネルグイから贈られた珊瑚の簪も差してもらう。鏡がない代わりに、化粧を終えた侍女の瞳に映る自身を確認する。巫女の自分をみるのはいつぶりか。
侍女から渡された神楽鈴を強く握り込む。久方ぶりで緊張する。いや、年に一~二度ある母国のときよりも、加減をしなくていい今の方が強張りがひどい。
「思いっきりやってくれていいぞ。砂漠どころか国中に降らせるぐらいで」
本気をみたいと、期待に満ちた眼差しを受け、ぎこちなく頷いた。ネルグイたちのいる天幕を背に、十数歩進んでとまる。
どくどくと鼓動が脈打ち、口のなかが渇く。暑さのせいではない。瞼をとじると、自身の鼓動が耳によく響いた。
すぅ、と深く息を吸い、ゆるりと細く吐く。次に瞼をひらいたときには、紅い瞳は覚悟を灯しつつも凪いでいた。
シャン、シャン、と四方に向けて神楽鈴を鳴らし、祝詞を朗々と唱える。砂で足を取られるので祈りの足運びはゆっくりし、慎重に踏んでゆく。迷いなく、ひとつひとつの動作を着実に。ネルグイが思いきりやっていいといってくれたのだ。声はおさえないし、指先やつま先まで意識を巡らせる。
自身の鼓動より、神楽鈴の音が耳に届くようになり、踏み終えるとささやかに吹いた風の音すらききとれた。祈祷がおわったときには、神経が研ぎ澄まされていた。
ふぅ、と吐息とともに力を抜いて、振り返ると、呆けたネルグイと目が合った。
何もいわない彼は珍しいと、小首を傾げる。すぐさま何かしらの感想があると思っていた。
「ネルグイ?」
名を呼んで、ようやく我に返った彼は感嘆の吐息を零した。
「……ああ、この世のものとは思えなかった。シーファの祈祷はとんでもなく綺麗だな」
頑張ったと褒めてくれるかとは期待していたが、よもやそんな感想をもらうと思っておらず、皙華の頬があっという間に種に染めあがる。
「うん。俺の嫁さんが帰ってきてくれてよかった」
血の通った瞬間を目の当たりにし、ネルグイは安堵する。神事とはかくあるべきだろうが、祈祷の間の彼女はこの世と隔絶されているようだった。それほどに神聖さをまとっていた。
「これからもちゃんと帰ってきてくれよ」
「どこにも行ってないよ」
帰るも何も、自分の居場所は彼の傍なのに何をいっているのか。どこにもいくわけがない。
彼が両腕を広げて待つので、照れを感じながらも皙華はそのなかへ身を預けた。すると、存在を確かめるように抱きしめられる。すっぽりと彼の腕のなかに埋まり、とくとくと自分ではない鼓動を耳元できく。心臓が騒ぐこともあるのに、今はとても安心する場所だった。
自身の居場所を得たと、皙華は実感した。





