08.
天幕の下で休みながら、祈りの結果を待った。
どきどきしながら空を眺める皙華を、ネルグイが肩を引き寄せ頭を撫でて宥めた。緊張を孕んだ彼女に反して、彼の空を映す瞳には期待しかこもっていなかった。
半刻ほど待っただろうか、雲ひとつなかった空には雲が広がり、暗雲が立ち込め天幕の外も暗くなる。最初はぽつり、ぽつり、とした雫だったが、落ち始めると雨粒は徐々に数を増し、大量に降り始めた。
雨音が世界を占め、視界も滝のような雨で塞がっている。雨が降る可能性を見越して張った天幕であるが、雨の勢いが強く多少揺れ、皙華は心配になる。
やりすぎた。
本気で、とは乞われたが、加減せずに祈ったときの加護の威力を皙華自身知らなかったのだ。一体この雨雲はどこまで及んでいるのだろうか。
祈祷の効果があったことへの安堵など振りはじめだけで、今は謝るべきではないかと思いはじめてしまう。隣のネルグイの顔をみるのが躊躇われた。
皙華が横をみる心構えをするより先に、ネルグイはすっくと立ちあがり、陽射し避けの外套などを脱ぎはじめた。暑いのだろうかと皙華はみあげたが、羽織も、帯を解いて長衣まで脱ぎだした。
「ネ、ネルグイ!?」
長袴のみとなり、上半身は筋肉があらわになったものだから、皙華は思わず手で目を塞いだ。上だけとはいえ、彼の肌を閨以外でみることになるとは思っていなかった。
彼女がどぎまぎして弱っている間に、ネルグイはひとり天幕からでて、降りしきる雨のなかへ駆けだした。
「はははっ」
雨音に多少押し負けているが、彼の笑い声が届く。両手を掲げ全身で雨を浴び、高らかに笑う。行動の意図がわからず、皙華は彼のもとへと、雨のなかへ身を投じた。
どうしたのかと近付くと、雨で遮られていた彼の表情がみえた。自棄でもなんでもなく、歓喜だけが浮かんでいた。
「シーファはすごいな! 夢を叶えてくれた!」
「え」
雨音に負けじと声を張るネルグイの言葉は、確かに耳に届くが、皙華の理解が及ばなかった。
「一度でいいから滝のような雨を浴びてみたかったんだ」
雨の少ないエンフォイでは、降りしきる雨を体験することがない。雨はなくはないが、どちらかどいうと雪が吹雪くことや、雨混じりになることの方が多い。突然の雨があっても、待てば止む。
視界が曇るほどの降雨など、ネルグイは初体験だった。
滝に打たれにいくのとは違う。息ができ瞼も開けていられるのに、多量の雫が全身を濡らしてゆく。大地を潤す、恵みの雨だ。
「ありがとう!」
国のためなんてものではなく、単なる青年の好奇心からの感謝。皇子ではない、ネルグイという人物の純粋な感情だった。
皙華は紅玉のような瞳を見開く。そして、空以外から雨が降った。
「っうわあぁあぁぁん!」
唐突に幼子のように泣きだした彼女に、今度はネルグイが目を丸くしたが、ふっと笑んで引き寄せた。
「や、やっと、役に立て……」
その先はもう言葉にならず、ただただ嗚咽と涙が零れる。
母国で、自分の祈祷で心から感謝されることはなかった。加護の力などなくとも雨は降るのだ。恵みどころか迷惑な力だっただろうに、保護される存在だったために気遣われた。みんな優しかったからこそ、持つ力で喜ばせることができず、ずっと心苦しかった。
だが、今は得ている加護で人を喜ばせることができるのだ。しかも、はじめてもらった感謝がこれほど純粋な喜びに満ちたものとは。
曇りのない彼の笑顔が、とてつもなく嬉しかった。
だから、いろいろな箍が外れた。溢れる涙をその胸で受け止めてくれる彼の存在に救われた。
偶然かもしれないが、涙が落ち着くにつれて、雨足が弱まっていく。すんすんとすすり泣きになる頃には、雲間から陽の光が差した。目張りの紅は落ちきり、別の朱が目元にあった。
「わぁ、龍……」
雨上がりの空に、虹が二本かかった。
「虹が、龍?」
皙華の呟きに、ネルグイが首を傾げつつ二本の虹を見上げる。エンフォイでは虹をみることすら珍しいので、二本もかかることがあるとは知らなかった。
「あ。えっと、虹蓮でも二本もかかるのは珍しくて、幸運の象徴なの。虹蜺っていって、夫婦の龍だって」
内側の主虹が雄の龍の虹、外側の副虹が雌の龍の蜺。対の神獣が現れるのはとても縁起がいいとされる。
「じゃあ、あれは俺たちか」
「へぇ!?」
たしかに夫婦だとはいったが、雌雄の神獣と同一視していいものか。畏れ多すぎる気がする。
「だって、二人でいれば幸せになれるんだろ。シーファが嫁さんで俺は幸せだし、これからもそうだ」
この先の幸せが確定事項と疑わないネルグイ。だから、皙華は、今胸に満ちた幸福が、これからも続くのだと信じれた。
またいくらでも雨を乞おう。きっと、彼の笑顔がみれる。
水神のディーレクタの自身のまま、まるごと愛してくれる伴侶が生涯ともにいる。心のままにお互いを求めあえる存在が得られる未来を、皙華は予見すらしていなかった。けれど、虹蓮の王はこの未来を得てほしいと自分をこの地へやったのだろう。
「うん。ネルグイが旦那様でよかった」
「だろ」
彼が隣を歩いてくれるなら、自身を憂うことなどもうないのだろう。こうして雨で流したあとに真心で晴らしてくれるのだから。
虹はまたかかる。何度となく。
適材適所の縁談であったが、このうえない幸せが待っていた。
帰ったら、手紙を認めよう。まずは感謝から。皙華は父に宛てる文の内容を考え、父に想いを馳せた。
fin.





