05.
エンフォイ皇国の皇宮に入ると、皙華はネルグイの両親である皇帝とその妃に面通しされ、挨拶をした。その日は、侍女とともにこれからの住まいとなるネルグイの宮に案内され、宛がわれた自室でぐっすり寝てしまった。長旅の疲労と最後にこの国の最高権力者との挨拶での緊張で、ベッドが視界に入ったらもう限界だった。
自分のために誂えられた家具などの調度品に見惚れたり、寝室が夫となるネルグイの隣であることを意識したりを忘れていた。それを、翌朝に思い出し、感謝と謝罪を込めてネルグイの部屋がある方を拝んだのだった。
皇宮翌日には結婚式が執り行われた。遊牧をしていた頃は新郎新婦が式を挙げる住居を前日に建てるものだったらしいが、定住を得た今となっては儀式をするのみとなっている。
袖や襟元、裾に精巧な刺繍がほどこされたこちらの衣服はデールというそうだ。婚礼用のそれは、生地に光沢があり、色も華やかだった。朱は、虹蓮でも縁起のよい色で、婚礼衣装にも使われる。そこが同じことがなんだか嬉しかった。
つま先が少し上を向いたゴタルという革製のブーツも初めて履いた。マルガールという帽子は大きく、そこから垂れる飾りで重い。
自国からついてきてくれた侍女と、この国にきてつけられた侍女の二人に支えられながら婚礼の間に入ると、ネルグイがおかしげに笑った。こっちは慣れない衣装で大変なのだと皙華はねめつけたが、鮮やかな碧が基調のデールをまとう彼に半分見惚れた。彼の濃いめの肌に、とても合う色だ。頭頂部が尖ったマルガエという帽子も、帯につるされた短剣も凛々しく似合っている。
養父となる皇帝に促され、白いフェルトでできた座布団に座す。神官が祝詞を読み上げ、宣誓をするようなことはなく、新郎のネルグイがつけた火で皙華が茶を沸かし、その茶を婚礼の間に出席する皇族に振る舞った。この場にいる儀式の客が、ネルグイの家族だけなのは、自分に負担がないようにとの配慮だろうと、皙華は気付いていた。
茶の振る舞いが終わってから、ネルグイと銀の指輪を交換し、ハダグという青い絹糸を贈り合う。言葉少なに式は終わったが、教わったばかりの手順通りに無事こなせて安堵した皙華は、ネルグイと目が合うと互いに微笑んだ。
式のあとの祝宴はうってかわって賑やかで、エンフォイの婚礼歌にあわせて舞う人々に、皙華ははしゃいだ。もてなされたエンフォイの伝統料理のなかには、食べたことがない肉があり、香草をつかっていてもクセがあった。
「無理しなくていいぞ。食べきれない分は、俺が食べてやる」
「まだ、慣れないかも」
ネルグイの言葉に甘えて、残りの肉は彼の皿へ移した。これからこの味にも慣れるかもしれないが、食べきるには抵抗が残っていた。
渡すと、彼は自身の分があったにもかかわらず皙華の分まで平らげた。完食する食べっぷりは見ていて気持ちがいい。隣り合う距離で、作法も気にせず食事をするのは楽しいのだと知った。
皙華には、食事や挨拶などの礼儀作法が虹蓮に比べると寛容に感じられたが、ネルグイにきくとエンフォイではその分決まり事が多く、手順通りに進める必要があったり、禁則もいくらかあったらしい。
「血が濃くなるのを避けるために遠い部族から妻請いしなければならなかったり、婚約から婚姻まで何か月もかけたり、妻の実家に奇数の家畜を贈ったりもするんだが、そっちじゃ家畜は飼わないだろ?」
「うん。鳥籠に入らないと思う」
虹蓮では、王族の宮で家畜を飼うことはしない。移動手段の馬や、狩猟用の猛禽類を飼う役目の者はいるが、直接飼うとなると猫や鳥籠に入る鳥など室内飼いできる動物に限る。あとはよくて池の鯉など淡水魚だろうか。
「一応意味あって、のりとか、やすりや燃料の粉とかを婚約したら贈ったりもするけど、シーファは、もらっても困るだろ」
「実用性重視なんだね……」
宝飾品じゃないのか、と皙華は純粋に驚いた。婚約した女性に贈る基本がそれとは。きっとこちらでは重宝する道具の方が喜ばれたのだろう。移動が多い遊牧の民の荷物は少ない方がいいだろうから。
婚礼の献茶のときに新郎が火をおこしたように、火が大事にされているようだ。贈り物に火種となる粉があるのは、それだけ大事な相手という証明に思える。だが、火のおこし方も知らぬ自分が可燃物をもらっても、取扱を誤りそうで怖いのが本心だ。贈られなくてよかった。
顔へ真正直にでていたのだろう、ネルグイが可笑しそうに笑った。
「ははっ、だよなぁ。ん」
「え」
差し出されたのは珊瑚の簪だった。広大な皇国とはいえ、海の接地面積は少なく、また気候から珊瑚はその地域の特産でもないはずだ。わざわざ取り寄せたものとわかる。
「もう結婚しちまったけど」
たくさんは贈れないがせめて、と渡されたそれを、皙華は大事に抱え込んだ。もらえないだろうと思っていたところに不意打ちすぎる。本の限りだが自分がエンフォイの文化を学ぼうとしたように、彼も迎える花嫁の国のことを知ろうとしてくれていたのだ。
見知らぬ土地の見知らぬ相手、未知への恐怖を拭うための行為だったのかもしれないが、嫁ぐと知らされてから皙華は可能な限りエンフォイの記述がある文献を読んだ。まったく知らない相手より、少しでも知っている相手になるように。関所までの道中も、エンフォイまでの道のりを知る御者や、宿屋の者に訊ねきいた。
迎えにきてくれた花婿の彼は、好奇心は強そうだが鷹揚とした青年で、自分ばかりが知ろうと焦っているのかと思っていた。だが、彼も皙華の母国のことを知ろうとしてくれていた。自分の独り善がりではなかったのだ。
姉様が読ませてくれた恋物語のようだ。姉代わりの王女たちは、市井で流行する恋物語を好んでいた。その中に簪を贈って婚約するものもあった。巫女の役目をまっとうしようとしていた皙華には、自身には縁遠い夢物語に感じていた。
彼からの歩み寄りに胸が熱くなるともに、自身にも起こり得ることだったのだとときめきも覚える。どちらも嬉しいあまり、受け取った簪を大事に抱え込んだ。
嫁ぐ相手はどんな人だろうと思っていた。
「ネルグイは、私が想像していたよりずっと素敵な人ね」
頬を紅潮させ皙華が感動を伝えると、ネルグイは小さく目を見開き、それから相好を崩した。
「俺も、こんなに笑顔が可愛い嫁さんもらえるとは思ってなかった」
鼓動があまりに高く打ったものだから、皙華は二の句が継げなかった。礼を返すべきだっただろうに。顔が熱いのは、篝火のせいじゃないのはわかりきっていた。
宴が終わる頃には陽も落ちきっていた。夜風が火照った頬を冷やして気持ちがいい。火照った原因の彼に送られ、自室へと戻る。
就寝の挨拶は、廊下で二人の部屋の間だった。
「疲れたろ。明日は寝坊してもいいからな」
ネルグイは、ゆっくり休むように労わる。皙華は小さな疑問を呈した。
「あの、一緒に寝たりもしなくていいの?」
初夜が必須でなくとも夫婦になったのだから、同衾はあり得ると踏んでいた。
妻となった彼女からの素朴な疑問に、ネルグイは弱ったように笑い返す。
「シーファが準備できてからでいいって言ったのは俺だけど、据え膳を前にして平気なほど、我慢強くないんだよ」
「ふぇ……」
「俺が食い意地張ってるのは、もう知ってるだろ?」
なにせ自分の分も食べきったうえで、皙華の分の肉もほとんど平らげたのだ。彼がよく食べるのは、みた。知っている。しかし、それとこれとは同じなのだろうか。
夜風で下がったはずの熱が、さきほど以上にぶり返してしまい、皙華にはわからなかった。
彼が男の子で、自分が女の子なのだと今さら自覚する。母国ではディーレクタとして敬われるか、王族の面々に末の家族と愛でられるかしかなかったので、異性としてみられるのは初めてのことだ。
夫婦として当然のことなのに、とんでもないことに感じるのは何故だろうか。お互いが異性だと意識するとどうしたらいいのかわからなくなる。
求められた同意に、自分が肯けたかもわからないまま、ネルグイは自身の部屋へと帰っていった。皙華も侍女に促され、遅れて自室に戻り、湯浴みなど寝支度を済ませる。
だが、寝具に身を包んでも眠れる気がしなかった。別の意味で寝坊しそうだ。それぐらい、心臓が騒がしかった。





