03.
迎えられた関所は国境付近でしかなく、皇都まではさらにここから一週間はかかるとのことだった。その間の移動は、ネルグイの騎乗するモルガに皙華も同乗した。モルガは大きさは馬に近く、鹿のように角のある動物だった。エンフォイでは馬よりモルガの方が重宝されているらしい。
「草原を駆けるだけなら馬もいいが、モルガは砂漠も歩けるからな」
「なるほど」
皙華は納得しつつ、目の前のモルガの毛並みを撫でる。馬の鬣より毛が短く固いが、撫で心地は存外悪くなかった。モルガのというより、ネルグイの膝に横乗りになっている状態の自分に気遣った歩調で歩いてくれることへの感謝を、撫でる掌に込めた。
モルガに乗り慣れない自分に合わせての行程だったから一週間以上かかったのだとあとで知る。ネルグイ一人の往きは、五日弱だったらしい。
彼にはゆっくりの移動だったにもかかわらず、ネルグイは気を悪くした様子はなかった。移動の間はよく質問された。
「シーファの名前は何て意味なんだ?」
「白い花って意味です。見たまんま」
皙華は黒髪茶目の人種の国には珍しい白い髪と赤い目をもって生まれた。どの動物もごく稀に色素を持たずに生まれてくることがある。彼女もそうであった。
「女の子の名前に花をつけることは多いのか?」
「まぁ、そうですね」
「そこは、ウチと一緒だな。エンフォイでもそうだ。そっちに行ったナランツェツェグも、ヒマワリという意味でな。ツェツェグが花を意味する」
「へぇ」
娘が生まれたときに名前に花の意味を付けるのが一般的なのは、母国に限ったことではないのか。遠い異国にきたというのに、共通点が意外とあるものだ。
「シーファは何か聞きたいことはないか?」
質問をされるだけでなく、こうして質問を求められる。興味深げに待たれるので、皙華は訊きたいことがないか都度探す。
「えっと、ナランツェツェグ皇女殿下も名前通り太陽のような方なんですか?」
自分と入れ替わりで虹蓮へ嫁いだ太陽神のディーレクタ。どんな人物か気になった。
「いや、引きこもりだ。嫁がせるのも一苦労した」
名前といい加護を受けている神といいい、きっと陽の下が似合う人柄だと思っていた皙華は唖然とする。想像と真逆とは。
「え、ど……どうして?」
「サボりたがりなのに、あいつの出る行事はかならず晴れるから中止知らずでな。晴れないように祈ってもナランが祈ると晴れるしかないから、余計卑屈になった」
参加行事が中止や延期にならないのはいいことのように思うが、祈る当人には嫌なことらしい。太陽神の愛し子なのに明るくないとは不思議な感じだ。真逆の祈りでも祈る以上は効果がでてしまうのは、少し可哀想かもしれない。
皙華は促進の効果しかないと教えられていたので、雨が止むよう祈ったことがなかった。
「あ。でも、虹蓮では妃は後宮からほとんど出られないからちょうどいいかも?」
「そうなのか?」
「はい、確か王太子妃も後宮入りして王妃から指導を受けるはずです」
後宮へは王以外は、王太子であっても一人では入ることの叶わない女の園だ。王妃が害されないよう、他の種を持たないよう、後宮という鳥籠で大切に保護される。皇女を迎えるにあたり、年頃にも身分にも合うのが王太子であったと皙華は聞いている。
「ははっ、そりゃいい」
知っていたら柱に張り付く姉をはがす手間が省けたのに、とネルグイは笑った。皙華には、柱にしがみつく皇女とそれを引き剥がそうとする皇子の図がうまく想像できなかった。姉代わりだった王女たちは蝶よ花よと慈しまれていたから、楚々として荒事を起こすことなどない。
後宮という鳥籠に諸手をあげて喜ぶ女性もいるのだと、皙華は純粋に驚く。自分もほぼ後宮で暮らしていたが、塀で囲まれた空は少しばかり窮屈に感じたものだ。
モルガ越しに前方に目を遣る。山脈の囲いはあるが遠い。空が広いと息がしやすく感じる。そよぐ風が青葉の香りをはらんで心地よかった。自分は外の世界を感じれる方が、嬉しい。皙華はなびく髪を押さえ、目を細める。
ふと、視線を感じ見上げると、ネルグイの茶色い瞳と目が合った。
「俺のことは聞いてくれないのか」
姉に負けたと拗ねた様子が可愛くみえ、皙華の頬が熱くなる。肌が白いから赤くなったのが丸わかりで、恥ずかしさで朱がさらに増してしまう。精悍な男性が可愛いと感じることは失礼だろうかと戸惑っている間に、残念そうだったネルグイはからりと笑った。
「まぁ、これから口説けばいいな」
余計、頬の熱が増すようなことをいう。そのため皙華は、宿に着いてからは、従者の少女とともに宛がわれた部屋の窓辺でひたすら涼んだのだった。
翌日の移動では、先に皙華が訊ねた。
「ネルグイ殿下の名前は何という意味なんですか?」
先んじようと一晩考えた問いは、昨日の彼と同じものだった。けれど、気になったのは本当だ。
「ネルグイ」
「へ?」
「夫婦は対等だ。ネルグイでいい」
対等な相手に敬称は不要だと念を押され、まだ式もあげていないとはいえなかった。予行練習だと思い、皙華は呼称に慣れるよう努めることにした。
「ネルグイの意味って?」
「名無しだ」
訊くのではなかったと、皙華は顔を青くする。平然と即答されたが、内心までは分からない。
「厄除けの名だ。俺が生まれたときは小さすぎてひ弱そうだったから、母が病気や悪いものに見つからないようにと付けたんだ」
大事だから、名前を付けて厄など魔物にみつからないにしたと。あえて、逆事の意味を付けるのはエンフォイでは珍しくないらしい。彼が大切にされていると分かり、皙華はほっと胸を撫で下ろす。
「よかった……」
「シーファは優しいな」
声も表情も嬉しげで、皙華はなんだか照れてしまう。誰にでも優しい訳ではない。けど、この国で一番に会いにきてくれた人が家族に大切にされていたことには、安堵した。
「鷲や金剛みたいな強そうな名前だったらカッコよかったんだがな。ああ、獅子とかもいいな」
「ネルグイも素敵な名前だわ」
猛禽類や肉食獣、鉱物にちなんだ名前に憧れがあるという少年のようなぼやきに、皙華は可愛く感じてしまい可笑しくなる。
親が愛情をこめて付けた名は素晴らしいと感じる。自分はどうなのだろう。物心がつく頃には王宮で世話になっており、誰が名を付けたのか訊いたことはなかった。名の意味は訊けたのに、生みの親が付けたのか、引き取られて以降育ての親である王族の誰かに付けられたのかどうかは訊けなかった。見た目通りの名に、愛情が込められているのか判断がつかなかったからだ。
「シーファは、故郷では何をしていたんだ?」
ディーレクタの扱いは国によって異なり、保護する名目は出自などによっても変わってくる。エンフォイ皇国のディーレクタであるナランツェツェグは、皇女だったので別途役職を与える必要はなかった。皇族が祭事に祈祷することは珍しくない。
「一応、巫女だったけど……」
「ああ、巫覡か。ウチでも続けたいならできるぞ」
虹蓮国の巫女は処女でないと就けない役職だが、エンフォイ皇国の巫覡は婚姻していても問題なく神事を担えるらしい。ネルグイの妻になって皇族となったあとでも皇子妃と兼任できるとのことだ。
「祈ったことが数えられる程度でも、巫女っていえるのかな」
年に一度か二度、夏の暑さが厳しい日などに限って祈祷を乞われた。正しくは、許された。だが、それもあくまで水神の不興を買わないための防止策でしかない。祝詞や奉納の舞の修練も最低限で、寺院の清掃や祭事の準備の手伝いを主にしていた。巫女たる第一の務めをせずにいた自分は、巫女であったのか。皙華には、その席に座らせられていた心地だった。続けたいかどうか以前の問題だった。
急にネルグイが頭を撫でてきた。髪が乱れるのも構わずわしゃわしゃと撫でられ、皙華は困惑する。
「エンフォイでは好きなだけ祈っていいぞ。雨は大歓迎だ」
晴れやかな笑みに、皙華は思わず魅入る。茶色の瞳は、晴れ渡る青空のように澄んでいた。
そのために嫁いできた水神のディーレクタだ。だが、彼のいわんとするのは皇国から求められた役目のことではなく、遠慮は不要だということだろう。
自分のすることが迷惑にならないと笑い飛ばしてくれる彼の方が優しいと感じた。
「私の名前は、こっちではなんて言うの?」
「ツァガーンツェツェグだ」
「長くなった」
「シーファの方が呼びやすくていいな」
彼が呼びやすいのなら、安直な意味の名前も悪くない。皙華は故郷の名の響きが以前より気に入った。ネルグイが呼ぶ度にくすぐったい心地がするからかもしれない。
ささいな問答をくり返し王宮に近付くにつれて、皙華とネルグイの心の距離は近付いていったのだった。





