02.
数日後、すでに皙華は、虹蓮の地を踏んでいなかった。
国境となる峠で馬車を停めてもらい、故郷の光景を見収める。朱い門の王宮がとても小さい。そう大きくない皙華の掌で掴めそうだ。
「こんなだったんだ」
ぽつり、と感想が零れる。俯瞰で虹蓮国を一望したのははじめてだった。国に保護されるディーレクタだったので、王宮以外をほぼ知らずに育った。王都より外など、これまで行ったこともなかった。
皙華は、虹蓮国の規模をその目に焼き付ける。山が多く反対側にある海が辛うじて覗く程度だ。王宮が山々で阻まれずにみえてよかった。
従者にそろそろ出発すると声をかけられる。皙華は静かに頭を下げ、虹蓮へ礼を執る。この地に育てられた感謝を込めて。
エンフォイの地を踏むには一か月かかった。
馬車が関所をくぐると、ほどなくして停まる。どうやら迎えの使者が待っていたらしい。使者が騎乗しているのは、皙華の知る馬とは違った。大きさは似ているが馬ほど面長ではなく、角が生えている。駆けたら早そうだが、何という生き物だろうか。
颯爽と馬のようなものからおりた皇国の使者は、従者の手を借りるつもりだった皙華に、手を差しだす。
いつの間に、と目を丸くしながらも、厚意を受け取り彼の手を借りて馬車をおりた。
「どうも」
「ようこそ、エンフォイへ」
着地したときの石畳の色が違うことよりも、目の前の使者の異なる装束にエンフォイへきたのだと実感を覚える。黒髪なのは虹蓮の人と同じだが、肌の色が一段階濃い。日頃から陽光を受けているのだと分かる肌だ。刺繍があるのは同じだが、大きく植物や動物が描かれているのではなく、細やかな紋様が連なり柄となっていた。生地も違う。
下から上へまじまじと観察する皙華の視線に気を悪くした様子なく、視線が合うと晴れやかな笑顔を向けられる。それとほぼ同時に、むに、と頬肉を指で挟まれた。
「ふぇ?」
「あ。よかった、あったかい」
自分より肌が白いから冷たいのではないかと疑問に思っての行動だったらしい。皙華は色素が薄いので、虹蓮でも際立って肌が白かった。
温かいというが、彼の手の方が熱い。指の皮も固く、服の上からでもわかる鍛えられた身体。環境の差よりは筋肉の差だろう。
彼の挙動に驚いて、ほけ、と皙華は見上げる。どう反応するべきなのか。
「その髪も触っていい?」
「ほっぺつまむ前にも聞くべきじゃ?」
「はは、そうだな。悪かった」
髪に触れる許可をとるなら、それ以前からとるものではないか。皙華の指摘した矛盾を認め、彼は謝罪しその手を頬から離した。
「ネルグイ様! 我々を置いていかないでください! ああっ、虹蓮の姫様、皇子の非礼をお許しください」
「いや……」
「嫁さんがどんなか気になって仕方なかったんだ」
楽しみだからと単独行動してもよいものではないと、従者に叱られる彼は皇子らしい。姫様、と呼ばれたが、皙華は巫女なので平民と立場はあまり変わらない。ディーレクタとして崇められがちではあるし、虹蓮では王族同等の厚遇ではあったが、それは母国での境遇に過ぎない。もう虹蓮ではないのだが、気にしなくていいと思ったが、彼が皇子である事実の方に気が引かれてしまった。
突然触れられたのには驚いた。だが、彼が皇子ならそれもある意味納得できる。まじまじとみてしまったことや、言葉遣いを崩していた点は非礼にあたるだろうか。伴侶予定の相手とはいえ、自分はまだ彼と婚姻を結んでいない。
皙華がいろいろと考えて固まっていたら、エンフォイの皇子はわしゃわしゃと彼女の髪を撫でた。
「堅苦しいのは苦手なんだ。いつも通りでいいぞ。オレはネルグイ、エンフォイ皇国の第五皇子だ」
「皙華と申します。虹蓮国のディーレクタです。これからよろしくお願いいたします」
最初だけはきちんと挨拶しておこうと、皙華は虹蓮の礼儀に則った礼を執る。ネルグイには普段通りでよいといわれたが、皇族である彼にどう接するのが適切かまだ計りかねていた。
皙華の態度に目を丸くしたあと、彼は気長にいこうと小さく笑った。





