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目を開ける。
見慣れてきた天井。
少し古びているけれど、きれいに手入れされた木の模様。
窓から差し込む夕日が、部屋の中を朱く染めていた。
ゆっくりと視線を動かす。
「……ノクス」
すぐそばに、リラさんがいた。
心配と安堵が半分ずつ混ざったような表情。
その奥に、ほんの少しだけ怒りの色もある。
さらに視線をずらす。
オリビアさんが立っている。
目が合った瞬間、さっと顔を逸らされた。
頬だけじゃない。耳まで赤い。
(……?)
理由はわからない。
その隣。
ベッドにもたれかかるようにして、テッサさんが眠っていた。
小さく口を開けて、静かな寝息を立てている。
そして。
部屋の奥、壁際。
腕を組んだまま立つ、大きな影。
ジークさん。
何も言わず、ただこちらを見ていた。
全員、いる。
(……そうか)
助けられたんだ。
「……あの」
喉が少し乾いている。
それでも、なんとか声を出す。
「何があったのか、教えてもらってもいいですか」
リラさんが小さく頷く。
「いいわ。でもその前に、あなたのほうからも聞かせて。倒れる前、何があったの?」
言われて、記憶を辿る。
断片的だ。
けれど、はっきり残っているものがある。
「……風が、吹いて」
ゆっくりと言葉にする。
「馬車が通り過ぎていきました。大きな幌馬車です」
あの光景が、頭に浮かぶ。
「その……中を、見ました」
少しだけ、息が詰まる。
「僕と、似ている人が、いました。黒髪で、黒目で、後、鉄の、首輪?」
部屋の空気が、わずかに変わる。
「……それで?」
リラさんの声が、少し低くなる。
「……見つけた、って」
自分でも曖昧な記憶。
でも、確かに“そう言われた気がする”。
「そのあと、急に息ができなくなって……」
そこから先は、何もない。
「気づいたら、ここでした」
話し終える。
情報は少ない。
でも、隠す理由もなかった。
しばらくの沈黙。
「……確かに馬車は通って行ったけど、私は見えなかったなあ、中の様子」
テッサさんが、いつの間にか目を覚ましていた。
起き上がりながら、眉をひそめる。
「ノクス君の兄弟かな?ずっと探してたとか?あ、でも首輪してたなら奴隷かなあ。あれ?じゃあノクス君って元奴隷?でもでも首輪は主になった人じゃないと外せないんだよね?」
「奴隷はないと思うわ。(私だったらこんな綺麗な人手放さないもの)それに、正直黒目黒髪なんてこの国にはたくさん居るわ。あんまり言いたくはないけど、ノクスの見間違いとかは無いかしら?」
オリビアさんも難しい顔をして言った。
見間違いはないと思う。正直、根拠なんてないけど、謎の自信はある。
あいつは邪悪な側だと。それを伝える。
「うーん情報が少ないわね。邪悪に感じたなら、魔生とかかな?いやでも町外れとはいえど城下に魔生なんて…騎士団の存在意義が…」
言いながら、リラさんも頭を抱える。
三人でしばらく考え込む。
そして。
「あ」
テッサさんが、ぽんと手を叩いた。
「ドッペルじゃないの?」
「ドッペル?」
聞き慣れない言葉だった。
リラさんが説明してくれる。
「死体を食べて、その人間の記憶を読み取って、真似をする魔生よ」
「……真似」
「ええ。だから、英雄の死体を食べれば英雄みたいになるし、犯罪者なら犯罪者になる。能力もある程度は再現するって言われてるわ」
「それって、だいぶ厄介な魔生なんじゃ?」
「そうよ、厄介なの。何せ食べた遺体次第で、強さの基準がバラバラなるから」
オリビアさんが補足する。
「騎士団でもランク付けに苦労してるって聞いたことある」
「でも今回の場合――」
リラさんがこちらを見る。
「ノクスは死んでないし、食べられてもいない」
「じゃあ違うか…?」
テッサさんが首をかしげる。
「……変異体、とかかもしれないわね」
リラさんがぽつりと言った。
「どちらにせよ、今ここで話あって解決することじゃないわ」
部屋の空気が、少し重くなる。
その空気を変えるように、リラさんが続けた。
「あと、あなたの症状なんだけど」
「はい」
「過呼吸。簡単に言えば、息を吸いすぎて、陸で溺れてるみたいな状態ね」
「……溺れる」
「死ぬことはほとんどないけど、放っておくと危ないのは確かよ」
「今回はオリビアがすぐ対応してくれたから助かったの」
「そう、なんですか」
オリビアさんの方を見る。
「……ありがとうございます」
そう言うと――
ぷい、と顔を逸らされた。
「……別に」
小さな声。
また、耳まで赤い。
(……?)
まただ、理由がわからない。なにか、意識がないときに失礼をしてしまったんだろうか。
その様子を見て、テッサさんがむくれている。
「……なにそれ」
ぼそっと呟く。
(本当に、何があったんだろう)
結局、よくわからないまま話は一区切りついた。
一通り整理がついたところで。
僕は、ゆっくりと体を起こす。
そして。
ジークさんの方を見る。
ずっと、黙ってこちらを見ていた人。
「……ジークさん」
その視線を、真正面から受け止める。
「僕を、鍛えてくれませんか」
一瞬だけ、間が空く。
「誰かのために、生きるために」
言葉は自然に出た。
考えていたわけじゃない。
でも、それが一番しっくりきた。
部屋が静まり返る。
リラさんも、オリビアさんも、テッサさんも。
誰も口を挟まない。
ただ、ジークさんだけが――
こちらを見ている。
__________
ほう。
小僧が、口にした。覚悟を。
記憶を失くし、己が何者かすらわからん小僧が。
つい数日前まで、死んでも構わぬという目をしておった小僧が。
今は違う。
恐怖を知り。
それでも逃げず。
前を向こうとしておる。
(……変わるものじゃのう)
いや、違うか。
変わったのではない。
裏に隠れていたものが、ようやく表に出てきたのか。
この数日で見せた、様々な顔。
空虚。
諦観。
生気。
恐怖。
そして今――
覚悟。
「誰かのために、生きるために、か」
小さく呟く。
甘い。
青い。
だが、それでいい。
若いうちはそれでいい。
(わしは……それを、歪めたことがある)
一瞬だけ、過去がよぎる。
だが、すぐに振り払う。
同じ過ちは、繰り返さん。
「……いいだろう」
低く、言葉を落とす。
部屋の空気が震えた。
「だがな、小僧」
ゆっくりと口元が歪む。
獣のように。
「泣こうが喚こうが、儂は手を止めんぞ」
にやりと笑う。
それは――
かつて“聖王国の盾義”と呼ばれた男の顔だった。




