5
翌朝、まだ日も昇りきらない早朝。
僕はマーサさんに教わった仕事を、順番にこなしていた。
その中の一つ――水汲み。
裏手にある井戸から水を汲み、各部屋の水瓶へと運んでいく。朝の空気は冷たく、指先が少しだけかじかんだ。
水を運び終え、次の桶を取りに戻ろうとしたとき。
屋敷の扉が開いた。
ジークさんだった。
ちょうどすれ違う位置で足が止まる。
「おはようございます」
声をかける。
返事はない。
けれど、ジークさんは僕を見た。
少しだけ戸惑ったような、奇妙なものを見るような目だった。
「お前、本当に一昨日の小僧か?」
「ノクスです」
「ん?」
「ノクスといいます。一昨日、リラさんに名付けてもらいました」
「……マーサが言っていたのはお前のことか」
「マーサさんですか?」
「いや、今はいい」
短く切り捨てると、ジークさんの視線が変わった。
重く、鋭く、こちらを押し潰すような圧。
「お前が、生きる理由はなんだ?」
視線だけで、押し潰されそうになる。
身長差もあって、見下ろされる形になるその圧は、まるで刃のようだった。
けれど。
僕は、動じなかった。
理由はわからない。
ただ、この程度で崩れるものではないと、体が知っていた。
だから、目を逸らさずに答える。
「リラさんのためです」
「リラか……」
「はい」
「好いているのか?」
「わかりません」
「……」
「ただ」
言葉を探す。
「リラさんは、おいしいスープと一緒に、僕に何かをくれました」
「何か、を?」
「何かを消してくれました。何かを、感じさせてくれました」
うまく説明できない。
でも、それしか言えなかった。
「……恩義か」
「わかりません…」
きっと、それもある。でも、それだけじゃないと、なぜか思った。
「ではなぜだ」
「リラさんが、生きているからです」
多分これが、一番しっくりする。
「リラが生きているから、お前も生きると?」
「はい」
「リラが死んだらどうする」
「……わかりません」
僕は死を選ぶのだろうか?
それとも。
リラさんの分まで生きようとするのだろうか?
「わからんことばかりだな」
「……すみません」
ジークさんは、ほんの一瞬だけ。
疲れたような、呆れたような、悩んだ顔をした。
でも、仕方ない。
僕にもわからないから。
スープをくれた。
手を握ってくれた。
ノクスをくれた。
涙を拭ってくれた。
それが何なのか、言葉にはできない。
好き、というのもわからない。
でも。
あの人に、寂しい顔をしてほしくないと、思った。
それが何なのかは、わからない。
けれど確かに、そこにある。
――これが、僕の感情なんだと思う。
気づけば。
先ほどまで感じていた圧が、消えていた。
「……ふむ」
ジークさんが、小さく息を吐く。
「死人の作った料理なぞ食えんと思っていたが」
「死人は、料理を学ぼうとはしないか……」
「儂の目も濁り始めたか」
「死人……?」
「……おい」
それ以上には答えず、話を切り替える。
「今日の昼は肉を多く出せ。倉に無ければ、これで買ってこい」
そう言って、紙の束を渡される。
綺麗な長方形の紙。人物のようなものが描かれている。
見覚えはない。
はずなのに――
胸の奥が、ぞわりとした。
使い方は”知っている”。
でも、それだけじゃない。
懐かしいような、気持ち悪いような。
でもその感覚は、次の言葉で吹き飛ぶ。
「今日より、儂も盤を囲むとしよう」
「……え?」
一瞬、理解が遅れる。
盤を囲む。
それは――
「一緒に、食べてくれる……んですか?」
「うむ」
胸の奥が、強く締め付けられた。
「……ありがとうございます。精一杯、作ります」
「うむ」
それだけ言うと、ジークさんは足早に去っていった。
僕は、しばらくその場に立ち尽くしていた。
胸が苦しい。
でも、この苦しさは――嫌じゃない。
僕は少しの間、そこから動けずにいた。
やっと動き出し、残りの仕事を片付ける。
途中でリラさんが起きてきた。
「おあよ……あれ、もう働いてるの?」
少し金色の髪が跳ねている。
挨拶を交わし、近くの部屋から椅子を持ってくる。
マーサさんがくれた櫛で髪を梳かしながら、さっきのことを話す。
話していくうちに。
リラさんの表情が、ころころと変わった。
驚いて、赤くなって、困って、そして――ぱっと明るくなる。
その変化を見ていると。
自然と、口元が緩んだ。
「……え?」
リラさんが、じっとこちらを見つめてくる。
僕も見つめ返す。
リラさんが、また赤くなった。
本当に表情が豊かな人だと思う。
でも、剣術の指南役だっていうから驚きだ。
ジークさんみたいに厳しいのだろうか。
「わ、わたし! そろそろ準備しなきゃだから!詰め所行かなきゃだから!」
急に慌てたように言って、背を向ける。
「い、行ってきます!」
ばたばたと走り去っていった。
「……?」
どうしたんだろう。
昨日よりだいぶ早いけど…?
仕事大変なのかな?
少し考えて――
「あ」
気づく。
僕の仕事。
今日は、買い物がある。
「……僕一人で、大丈夫かな」
相場とか、わからないよ。
小さく呟いた。
ノクス君かわいかっこいい容姿かなって妄想しちゃう




