新米騎士のおしごと 庶務雑務3
新人騎士の仕事は、本当に何でもあった。
巡回。
掃除。
荷運び。
鎧磨き。
そして――。
「厩舎掃除ぃ……?」
朝一番、テッサが絶望した顔をしていた。
目の前には大量の藁。
大量の馬。
そして当然、大量の――。
「うっ……」
「慣れろー。辺境行ったら毎日だぞー」
先輩騎士が笑いながら熊手を押し付けてくる。
厩舎の空気は独特だった。
暖かく、湿っていて、獣の匂いが強い。
「ノクは平気?」
「平気」
むしろ少し落ち着く。
馬は嫌いじゃない。
近づくと、一頭の栗毛馬も近づいてきて、鼻を鳴らした。
「お、懐かれたね」
エルが感心したように言う。
僕は何となく首筋を撫でる。
すると馬は気持ちよさそうに目を細め、頭を肩に乗せてきた。
「……なんで?」
「?」
「いや、懐かれ具合が長年一緒にいた相棒ぐらいあるよ?」
言われてもよく分からない。
ただ、こういう時どう触れば嫌がられないか、身体が知っていた。
一方。
「ユリクレアさん! 後ろ後ろ!」
「む?」
ユリクレアさんが振り返る。
次の瞬間。
ぺしっ。ぺしっ。
「……………………」
馬の尻尾が綺麗に顔へ当たっていた。
数秒止まる空気。
そして。
「ぶふっ……!」
テッサが吹き出す。
「……」
珍しくユリクレアさんが少し顔を赤くしていた。
そんな光景を見つつ、掃除を終わらせる。
長時間厩舎に居たせいか臭いが移っている気がする。
先輩騎士に確認して時間外だけど大浴場を使わせてもらえることになった。
「……凄い臭い」
テッサは自分の袖を嗅いで、げんなりした顔だ。
「…そこまでか?」
「いや凄いしますって! ユリクレアさん平気なんですか!?」
「慣れだ」
即答だった。
「じゃあ、また後でね」
エルがそう言って男湯側へ向かう。
僕も続こうとして――。
「ノクス君」
「?」
テッサがじっと見ていた。
「変なことしちゃだめだよ?」
「……?」
大浴場は初めて利用するから、なにか作法があるんだろうか。
「うん」
真顔で頷く。あとでエルに教えてもらおう。
そのまま男湯の暖簾をくぐる。
脱衣所の先、石造りの浴場は思ったより広かった。
湯気が白く漂い、水音が静かに響いている。
少しだけ落ち着かない気分になった。
「じ、じゃあ、僕は後で入るから先に入っていいよ」
「一緒に入らないの?」
「いや、その……我慢できるし。ノク先入ってて」
何か作法があるんだろうか。
こんなに広いのに、一人ずつしか入れないとか?
さすがにそんなことは無いと考える。
「なんで?」
「なんでって……」
「一緒に入った方が早いし、我慢しなくてもいいんじゃないの?」
「いや、だから……」
「それにエル、今くさいし」
「く、くさい……!?」
エルがひどく傷ついた顔をした。
「厩舎の臭い、結構ついてる」
「わ、分かってるよそんなの!」
「なら早く入った方がいい」
「うぅ……分かったよ」
改めて浴室を観察する。
「……広い」
「ん? ノクここ初めて?」
エルが後ろで服を脱ぎながら話しかけてくる。
「大浴場は初めて」
「へぇ」
「いつも深夜に寮で入ってるから」
「あー……なるほど」
誰も居ない時間に一人。
お屋敷でもいつもそうだった。
ノクスは周囲を見回す。
どこで洗うのか。
何をどこへ置くのか。
細かい作法が分からない。
視線で追っていると、エルが苦笑した。
「そんなに困んなくても、普通にはいれば大丈夫だよ」
「普通の作法が分からない」
「……それもそっか、初めてだもんね。僕の真似をしてくれればいいよ」
エルは小さく笑った。
一方その頃。
「ぬるい」
女湯で、ユリクレアが真顔で呟いた。
テッサは肩まで浸かりながら目を瞬かせる。
「えぇ……? ちょうどよくないですか?」
「いや、ぬるい」
断言だった。
ユリクレアは長い黒髪をかき上げる。
「もっと熱くていい」
「うぅ……ま、まさかその体は、熱いお湯で鍛えられ引き締まり、そしてボインボイン……」
テッサも少し考える。
そう考えればもう少し熱くてもいいかもしれない。
テッサはもうのぼせていたのかもしれない。
それに。
(臭いもちゃんと落としたいし……)
午前の仕事は本当にきつかった。
汗もかいた。臭いもきつかった。
馬にも散々顔を擦り付けられた。
「……よし」
テッサが立ち上がる。
「私、温度上げられますよ!」
ユリクレアが少し眉を上げた。
「温調度陣使えるのか?」
「ふっふっふ。そんなもの必要ないです!」
得意げに胸を張る。
生活魔法程度なら昔から慣れている。
湯を少し温めるくらい簡単だ。たぶん。
「ちょっとだけ、 ちょっとだけ魔力を流す……ちょっとだぞ私…」
「その言い方、不安になるな…」
テッサは掌へ熱を集めた。
淡い橙色の光。
それを湯船へ落とし込む。
最初は、本当にちょうどよかった。
「あ、いい感じ――」
ごぼごぼごぼごぼっ!!
「え?」
次の瞬間、湯面が激しく泡立った。
「待っ」
白煙が一気に噴き上がる。
熱風。
視界が真っ白に染まった。
「熱ぁっ!?」
「テッサ」
「いやちょっ、なんで!なんでなんで!?」
ユリクレアに抱きかかえられて湯船から脱出する。
そして止まらない湯気。
浴場全体が蒸し風呂みたいに熱くなっていく。
ユリクレアが静かに立ち上がった。
「外へ出るぞ」
「待ってくださいまだなんとか――」
しゅおおおおお……。
嫌な音がした。
湯気が晴れる。
そして。
「…………」
「…………」
湯船が空になっていた。
綺麗に。
一滴残らず。
何なら肌が少しパリパリする気がする。
「……湯が消えたな」
ユリクレアが静かに言う。
テッサの顔から血の気が引いた。
「や、やば」
「やったな」
「怒られる……」
「怒られるな」
「どうしようぉぉ……!」
テッサは頭を抱えてしゃがみ込んだ。
まずい。
かなりまずい。
明日の朝、先輩騎士たちに。
『誰だ女湯空にしたの』
とか聞かれたら。
罰でどんな仕事を与えられるか。
リラ様のニコニコ顔が浮かぶ…。
「……そうだ、ノクス君」
ふと思い出す。
水魔法。
ノクス君なら水を出せる。
「ノクス君なら何とかできるかも……!」
「…奴は今男湯だぞ」
「うっ」
非常な現実だった。
テッサが固まる。
「……男湯、ですよね」
「男湯だな」
「ですよねぇ……」
行けない。
でも怒られるのはもっと嫌だ。
テッサは数秒うんうん唸り――勢いよく立ち上がった。
「行きます!」
「そうか、……は?」
「このまま怒られるよりマシです!」
そのまま駆け出す。
「あ、おい!待て!」
ユリクレアの静止の声も届かず男湯への通用口に行ってしまうテッサ。
ユリクレアは深いため息を吐いた。
「……あいつ、タオルも持たずに…」
タオルを巻き、更にもう一つタオルをもってテッサの後を追うのだった。
男湯。
「……だからノク、その巻き方は変だって」
「でもエルもやってる」
「僕はいいの!」
「?」
ノクスは不思議そうに胸元のタオルを見る。
エルが胸元から巻いていた。
だから真似した。
それだけだった。
その時。
ばんっ!!
勢いよく扉が開いた。
「ノクス君!助けて!」
テッサだった。
湯気の向こうで扉を全開にして立っていた。
寒くないのだろうか。
何を助ければいいのだろう。
「テッサ?」
「前!! 前ぇ!!」
エルが真っ赤になって叫ぶ。
「へ?」
数秒
気づいたようだ。
自身が何も身にまとっていないという事を。
「……………………」
硬直。
そして。
「いやああああああっ!!!」
悲鳴と共にテッサがその場にしゃがみ込む。
そこへ後ろからタオルが飛んできた。
ぽすっ。
「だから待てと言っただろう」
「ユリクレアさぁぁぁん!!」
涙目で縋り付く。
男湯に微妙な沈黙が落ちた。
エルは顔を覆い、
テッサは死にそうな顔で蹲り、
自分だけが状況を理解していない。
「……どうしたの?」
テッサが顔を上げた。
「お風呂が壊れた!」
「え?」
「テッサが湯を蒸発させたのだ」
「ユリクレアさん説明ありがと!!」
ノクスは少し考える。
「……水なら出せるけど」
「やったぁ!これで怒られずに済む!ノクス君ありがとう!早速お願いできる?なんだか肌が乾燥してて、入り直したいし!」
「わかった。…でも、温めるのは時間がかかるよ?すぐには入れない」
「うっ、そんなぁ」
そこでエルが小さくため息を吐いた。
「……だったら男湯使えば?」
半分投げやりな声だった。
「それでいいだろう」
ユリクレアが即答する。
「えっ」
エルの顔が引きつる。
「男湯なら元から湯もある」
ユリクレアさんに同意する。
「えっ?」
「決まりだな。着替えを持ってくる」
「待って!いや、お待ちください!ヴァルグレイ様!」
エルが慌てて立ち上がる。
「なんだ?」
「あ、いえ、その…」
「貴様が言い出したのだろう」
「うっ。…その通りです…」
萎縮するエル。
この二人の関係だけは、貴族としての隔たりを自分にも感じ取れた。
「いやいやいや!?ユリクレアさん!? 混浴ですよ!? 混浴!?」
「別に減るものでもないだろう」
「ありますよ乙女心とかなんか色々なものが!!」
「?」
混浴は乙女の心を消費するのか。
意外と恐ろしいものみたいだ。
その夜、テッサはリラさんの執務室でしっかり絞られたらしい。
そのうえリズさんは「私も怒られたんだからね~」と愚痴りながらテッサに山ほど雑務を与えていた。
みんなで手伝ったのはリズさんには内緒にしておこう。




