魔法訓練 1
冬の朝だった。
空は薄く曇り、陽はまだ低い。
吐く息は白く、中庭の石畳には夜の間に降りた霜が薄く張りついている。
木剣を振り終えたばかりの腕からは湯気が立つ。
火照った肌に冷たい風が触れるたび、じわりと熱が逃げていくのが分かった。
最近は、この寒さにもだいぶ慣れてきていた。
訓練を始めた頃は、朝の冷気だけで指先の感覚が鈍くなっていたのに、今では身体の方が先に熱を持つ。
走り込みを始めればすぐに汗が滲み、木剣を打ち合う頃には寒さを忘れていた。
テッサさんとの組太刀を終え、呼吸を整えていると、屋敷の奥からジークさんがゆっくり歩いてきた。
片手に黒い箱のようなものを持っている。
古びた金属製の箱だった。表面には細かな紋様が刻まれている。中には透明な球体が黒い金属の台座に乗っていた。見たことのない道具だった。
僕が疑問符を浮かべていると、ジークさんは石台の上にそれを置きながら答えた。
「魔法適性を見る」
その言葉にテッサさんが勢いよく顔を上げ、しゃべり始める。
「おおおっ!ついに!? ノクス君、楽しみだね!どんな適性があるのかな⁉ちなみに私は”日”の適性があったよ!あ、日の適性はね、熱を操ったり、衝撃を放射したりするんだよ!まだうまく使えないけどね!」
テッサさんは魔法が好きみたいだ。
魔法はリラさんやジークさんが使っていた。
体の傷を癒したり、怪我がないか調べたり。
この屋敷に来て見た”魔法”というものは、そういうものだった。
「騒ぐな」
短い声に、テッサさんは「はぁい」と肩をすくめた。
その横で、リラさんが小さく笑う。
「昔の型の魔導具だから、正確な判別は騎士団に入団するときね」
ジークさんが僕を見る。
「手を乗せろ」
僕は少しだけ躊躇ってから、透明な球体に触れた。
冷たい。
まるで冬の井戸水に触れたみたいだった。
「力を抜け。無理に流そうとするな」
流す、というのがわからなかったけど、言われた通り余計な力みを抜く。
すると、球体の奥にぼんやりと光が灯った。
最初は透明に近かった光が、ゆっくりと。
青く。
蒼く。
暗く。
染まっていく。
「水、か」
ジークさんが低く呟く。
さらに、その黒蒼の奥から別の色が滲み始めた。
白。
淡く柔らかい光。
それはゆっくり脈打つように揺れている。
「回復適性もあるわね」
リラさんの声が少しだけ弾んでいた気がした。
球体の光は、静かに、ゆっくりと明滅を繰り返している。
黒蒼の中心の温かな白色は、まるで呼吸してるかのようだ。
ジークさんがじっとそれを見つめる。
一瞬だけ、その目が細くなった気がした。
だがすぐに視線を外す。
「……なるほどな」
「どうなんですか?」
テッサさんが待ちきれない様子で聞く。
「おそらく、水と回復に適性がある」
「おおー!」
素直な歓声が上がる
リラさんは少し安心したように息を吐いた。
「回復適性があるのは幸運ね」
「回復適性って、そんなに珍しいんですか?」
僕が聞くと、リラさんは少し考えてから頷いた。
「そうね。回復魔法自体は他の適性の人でも使えるわ。でも、実戦でまともに扱える魔法ではないの。だから、適性のあるなしでだいぶ変わるのよ」
そう言って、自分の掌へ視線を落とす。
「それに、回復魔法にも色々あるわ。私の回復魔法は、一気に傷を癒すの」
その言葉で、ある日のことを思い出した。
訓練が始まって間もない頃だった。
リラさんとの組太刀で受け損ねた木剣が腕に直撃した。
嫌な音がした。
次の瞬間、腕からきれいに折割れた白い骨が肌を赤く染め、突き出ていた。
痛みより先に、自分でも分かるくらい顔色が変わった。
でも、一番顔を青くしたのはリラさんだった。
『!?ごめんなさい!』
血の気の引いた顔で駆け寄ってきて、震える手で僕の腕に触れた。
白い光。
熱。
そして手を真っ赤にしながら突き出た骨を腕の内部。元ある場所に押し込んでいく。
折れた骨が、内側でうごめきから繋がっていく感覚。
ほんの数十秒だったと思う。
それなのに、気づけば腕は元通りになっていた。
痛みはなかった。これも魔法なのかと考えていた記憶がある。
リラさんは泣きそうな顔のまま腕をさすり、何度も謝っていた。
『もう痛くない?本当に大丈夫?違和感とか無い?』
あの時の声を思い出す。
胸の奥が、少しだけざわついた。
何の感情なのかは分からない。
でも、不思議と忘れられなかった。
「ただ、その分集中力が必要なの」
リラさんが続ける。
「傷が深いほど難しいし、魔力の消耗も激しい」
ジークさんが腕を組んだまま口を開いた。
「贔屓目抜きに、リラはこの国でも五本の指の治癒師に入る」
「お爺様。そんな大げさな……」
リラさんが困ったように眉を下げる。
「事実だ」
短く返される。
テッサさんがうんうんと頷いた。
「リラ様ほんとすごいですからね。前、神殿で治せないって傷を治してましたからね!」
「あ、あれは、神殿騎士が布施を払わないなら見殺しにするって言ってたから……」
リラさんはもごもご言いながら、少しだけ視線を逸らした。
褒められるのがあまり得意じゃないのかもしれない。
その横で、ジークさんが自分の腕を軽く叩いた。
「俺のは別だ」
低く響く声。
「持続回復」
その言葉に、僕は今までの訓練を思い出した。
筋肉が裂けるような熱。
限界を超えたあと、また力が戻ってくる感覚。
「傷と疲労を少しずつ回復させ続ける魔法だ。即効性は低い」
「でも、その代わり長く持つの」
リラさんが続ける。
「お爺様、一度に五人くらいまでなら同時にかけられるのよ」
「戦場向きだ」
ジークさんが言った。
「一時間程度なら維持できる」
「しかも一人だけに使うなら、もっと長いんですよね?」
テッサさんが言う。
「丸一日以上」
「……そんなに」
思わず声が漏れる。
ジークさんは頷いた。
「だからお前の訓練にも使った」
テッサさんが露骨に嫌そうな顔をした。
「おかげで私が地獄見たんですけどね、あれ、ノクス君のスタミナも微回復しちゃうから……」
「死ななければ鍛えられる」
「その理論ほんと怖いですって!」
思わず少し笑ってしまった。
テッサさんがすぐにそれに気づく。
「あ、また笑った」
「……笑いましたか?」
「うん!だって、最初の頃ほとんど無表情だったもん」
そう言って笑う。
リラさんも小さく目を細めていた。
その視線を向けられると、胸の奥が少しだけ落ち着かなくなる。
何なのかはまだ分からない。
でも、嫌じゃない。
ジークさんが口を開いた。
「今日から魔法も混ぜる」
その日から訓練内容が変わった。
まず、魔法の行使からだった。
これは比較的簡単だった。
リラさんに魔法をかけられた時の暖かさ。
音の無い音を頼りに、感覚で行使していく。
回復魔法は問題なく使えた。
今のところ小さな切り傷擦り傷ばかり。でも問題なく癒せた。
問題は水魔法だった。
体外にあの暖かさや音を再現するのはうまくいかなかった。
リラさんに水魔法を見せてもらう。
「適性無しだとこれぐらいがせいぜいね」と言いながら出したのは自身の何倍もある水の球だった。
そして、あの音も聞こえる。
回復魔法の時とは少し音の響き方は違うけど、確かに聞こえた。
そして、それを再現するように音の出ない声を出す。
歌うかのように。
ゴポリと音を出しながら手のひらサイズの水球が生まれる。
成功した――。
そう思い周りを見ると、女性陣が口をあんぐりと開けてこちらを見ていた。
ジークさんだけは鋭い視線を向けている。
「ノ、ノクス君?もしかして、体が魔法行使も覚えていたの?いきなり無詠唱なんて……」
我を取り戻したテッサさんが若干引き気味に聞く。
当然、首を振る。
「才能ってやつかしらね…。私の得意の回復魔法も、最初は詠唱しないと使えなかったのに…」
三白眼とあきれ声でリラさんはいった。
ジークさんは何も言わない。
ただ、こちらを見ていた。
________
翌朝。
朝食をすませ、食器の洗浄を魔法を使いつつ終わらす。
昨日の訓練終わりには、集中すればそこそこ水球を操れるようになっていた。
今やっている訓練は――
走り込みをしながら水球を複数維持する。
木剣を振りながら体内外に回復魔力を流す。
集中が切れると水が弾け飛ぶ。
回復魔力が霧散する。
最初は全然うまくいかなかった。
特に水球は30を超えると形を保てず、一斉に弾ける。
そしてある時。
ぱしゃっ、と水が破裂した。
「ひゃあっ!?」
後ろを走っていたテッサさんに全部かかった。
もちろん自分にも。
一瞬で服が濡れる。
冬の冷気の中だった。
「冷たっ!…さ、寒っ!!」
「す、すみません!」
テッサさんはぶるっと震えながら、慌てて短く詠唱した。
すると、その掌の上に小さな火が灯った。
赤い炎。
ゆらゆら揺れながら、じんわり熱を放っている。
その炎に照らされたテッサさんは、少し得意そうな表情をしていた。
「うぅ〜……さむいぃ……」
そのまま火に手をかざして震えていると、リラさんが呆れたようにため息をついた。
「そんなところで温まってないで、早く着替えてきなさい。風邪ひくわよ」
「は、はいぃいぃ……」
震える声で返事をしながら、テッサさんはぱたぱたと屋敷の方へ走っていく。
濡れた服の裾が揺れていた。
その背中を見ながら、リラさんが小さく笑う。
「あの子ったら、ノクスに魔法を見せたかったのかしら…まったく…」
僕も少しだけ口元が緩んだ。
それを見て、リラさんがふっと目を細める。
「あ、後、昨日よりも水の数と形が安定してたわ」
「…ありがとうございます」
「ふふ。才能だけじゃなくて、ノクスの頑張りが大きいのね。えらいえらい」
そう言われ、頭をなでられると、なんだか胸の奥がざわついた。
冬の冷たい空気の中でそこだけが、確かな熱を持っていた。




