訓練編 1.8
なかなか区切れへん。前回の続き
夕食は、ほとんど記憶がなかった。
席について、出されたものを食べて、また食べて。
途中でマーサさんが「そんなに急いで食べなくても逃げないわよぉ」と笑っていた気がする。
でも手が止まらなかった。
胃が空っぽだった。
いや、違う。
食べても食べても、体の奥が何かを求めている。
肉を飲み込むたび、少しだけ熱が引く。
だからまた食べる。
気づけばテッサさんが変な顔でこちらを見ていた。
「ノクス君、絶対前より食べてるよね……?」
「そうかもしれないです」
「だよねぇ……もう吸い込まれてるもん…」
リラさんが苦笑する。
「だから言ったでしょ。さ、テッサも食べないと。明日もきついわよ」
「ううぅ……ノクス君の見てたら食欲が…もう…」
テッサさんがぼそっと言った。
ジークさんは黙ったまま肉を切っている。
食事が終わる頃には、体の芯の熱は治まっていて、今は食後の満腹感だけが全身を支配していた。
「今日は湯を用意しているわ」
マーサさんが言った。
「筋肉痛、ひどいでしょう?」
確かに酷かった。
肩も腕も背中も痛い。
魔法の効果が切れたせいだろう。
でも、不思議だった。
壊れている感じではない。
むしろ、体の奥で何かが作り直されている感覚がある。
湯を浴びる。
熱が染みた。
思わず息が漏れる。
腕を見る。
赤くなっていた。
木剣で打たれた場所。
丸太を持ち上げた時に擦れた掌。
鈍い痛み。
でも嫌じゃなかった。
湯から上がり、部屋へ戻る。
ベッドへ腰を下ろした瞬間、全身から疲労が噴き出した。
倒れ込む。
まぶたが重い。
そのまま寝入ってしまおうか。
そう思った時、扉が軽く叩かれた。
「ノクス? 起きてる?」
リラさんの声だった。
「ん……はい」
姿勢を正し、返事をすると扉が開く。
リラさんは小さな瓶を持っていた。
「筋肉痛、明日ひどくなると思うから」
薬草の匂いがした。
「薬塗るから。腕、出して」
僕は少し迷ってから腕を差し出す。
リラさんが薬を塗り込んでいく。
ひんやりして気持ちよかった。
「……びっくりしたわ」
ぽつりと、リラさんが言う。
「何がですか?」
「あなたの動きによ。アーネスト流…」
指が、打撲の跡をなぞる。
「正直、防御の動きだけなら普段私が指南してる人たちと遜色ないもの」
静かな声。
おそらく戻らない記憶の中には兵士もしくは、騎士としての記憶があったのかもしれない。
それにしては家事などの記憶も体が覚えているけれど。
「それだけに、人間をペルとして使うなんて。指導者としても、一人の人間としても許せないわ。…こんなに奇麗なノクスに……」
最後はよく聞こえなかったが、声に少し怒気が混ざる。
リラさんの手が止まる。
「……」
正直、僕はよくわからない。
記憶がないから当然、つらい過去も無い。というか思い出せない。
数秒の沈黙。
それから、また薬を塗り始める。
「ねえ、ノクス」
「はい」
「あなた、前はどんなところにいたのかな」
何も浮かばない。
暗い。
曖昧。
何もない。
「……わかりません」
本当に。何も。
リラさんはそれ以上聞かなかった。
薬を塗り終えると、小さく息を吐く。
「明日もきついと思う」
「はい」
「辛くなったら言ってね」
その言葉に、少しだけ考える。
正直、きつい。
痛い。
疲れる。
でも。
覚悟の上だ。
心配そうにこちらを見やる金の双眸。
この人からもらったもの。空っぽの僕に「生きる」熱をくれた人。
悲しませたくない。
「大丈夫です」
そう言うと、リラさんは少しだけ困ったように笑った。
「そういうところ、ちょっと心配なんだけどなぁ」
そして立ち上がる。
「ちゃんと寝て。おやすみ」
「おやすみなさい」
扉が閉まる。
静かになる。
僕は天井を見上げた。
体が重い。熱い。
でも、今日一日でわかったことがある。
僕は動ける。リラさんの、皆さんの役に立てる。
その感覚を抱えたまま、意識はゆっくり沈んでいった。




