第72話:ラピスの恐れ
クレイドル南東の荒れ地。
普段は寄り付くモノもすくないそこに、今は数十羽の人頭鳥が身を寄せ合っていた。
ほとんどが、まだ年端もいかぬ幼い雌だ。大人の姿もなくはないが、そう言った者たちはいずれも身重であったり、ケガをしていたりした。
その一団を率いているのは、群れの幹部の一人、ロードピスだ。
比較的余裕のある者たちを集めて呪歌を歌っている。
【呪歌合唱・雨恋い】
雨雲を運んでくるように、風に願う歌だ。
雨恋いはあくまで雨雲を運んでくる呪歌。直接に雨雲を作ったりするわけではないので、その効果は不安定。
それでも強いて行使したのは、セレネとレヴェを待つ時間。その手持無沙汰の心細さを和らげるためだ。
やることがあれば、それに縋ることで平静さを保つことができる。
表向きには、「捨てることになるかもしれない故郷とは言え、このままでは集落全てが燃えてしまう。できればそれは回避したい。」そう説明したが、それは理由のおよそ半分だった。
他の者たちを励ますように、朗々と声を上げるロードピス。その隣には孫娘のラピスがいた。
顔は青く、声も震え、普段のお調子者で元気な様子はみじんもない。
無理もない。彼女は心底、怯えていた。
火災にでも、迫る人間の軍にでもない。傍らに立つ祖母にだ。
いかに普段ものを考えず、楽天的なラピスでもこの状況になれば自ずから察せられるものがある。
捕らえられたリヨンとミラ、迫る軍勢、偶然にもロードピス派の巣から最も遠い西側から出火したこと。
そして、祖母や母の言動。
(なぜ、火付けを行った者たちが気づかれずに侵入して来れたのか。)
(どうして、ミラとリヨンの2人をわざわざ捕まえたうえで、王国の軍にひきわたすでもなく閉じ込めて来たのか。)
祖母や母を信じたいと思っても、ひたすらに疑念ばかりが募っていく。
誰に言うことも出来ず、ラピスの心が千々に乱れていた。
その時、羽音とともに1羽の人頭鳥が飛来した。
ラピスの叔母で、ロードピスの次女。ヘイゼルだ。集落の方向からやってきたようだったが、夜空を思わせる翼の彩りは普段通り。
その顔、瞳がゆらりと怪しい光を宿しているように、ラピスには見えた。
ロードピスはヘイゼルを迎えて言う。
「よかった。遅いから心配していたのよ。首尾のほうはどう?」
短く、ヘイゼルは答える。
「ええ、どうにか無事よ。」
ロードピスは満足げに肯いた。
「御苦労さま。お疲れのところ申し訳ないけれど、合唱に加わってちょうだい。」
「わかったわ。」
ヘイゼルは応じると、しっかりとした足取りで、自らの長女、ベルテの横に加わった。
再開される合唱。その中にあってラピスの心は乱れたままだった。歌いなれた拍子につかえ、覚えていたはずの歌詞が出てこない。
そこに、今度は複数の羽音が降り注いだ。
姿を現したのは、セレネ派とレヴェ派の人頭鳥たち。先程のヘイゼルとは対照的にボロボロに消耗している。
顔は汗、涙、それに煤で汚れ、炎であぶられた髪の毛が頬に張り付ている。
手傷を負い、半死半生の者も少なくなかった。
「大丈夫かい。いったい、なにがあったの?」
ロードピスらが駆け寄って、すぐに手当てをはじめる。
そのうち、先に避難してきていたレヴェ派の娘が気が付いた。
「ねえ、おばあ様たちはどうしたの。それに他のコたちは?」
誰もが押し黙った。
冷え冷えとした予感に満ちて、恐ろしい。
息が詰まるような数秒間の後で、一羽が意を決して口を開いた。
「おばあ様たちは殺されたわ。今、ここにいない者たちも、多分。」
この言葉は、雷のごとく群れを襲った。
青ざめ震えるもの。泣き崩れるもの。唖然とし、虚空に視線を漂わせるもの。
そのさ中にあって、ラピスは恐ろしさに震えあがっていた。
視線の先には祖母であるロードピス、母であるリジータ、そして叔母のヘイゼルがいる。
群れの幹部の訃報を耳にした刹那。彼女たちの瞳が狂喜に濡れるのを少女は確かに見た。
その光は既にない。
思わず周囲に目を向けるが、他の者が気がついた様子はなかった。
ラピスの心に一筋、暗い道が浮かび上がった。
目をそらしようがないほどに黒々とした輪郭を持つ。それは既に仮説ではなく、確信だった。
なぜ、人間たちは気づかれずに侵入して来れたのか。
(おバアちゃんたちが手引きしていたから。)
どうして、ミラとリヨンの2人をわざわざ捕まえたうえで、王国の軍にひきわたすでもなく閉じ込めて来たのか。
(クレイドルへ王国軍を引き入れるため。)
なぜ、そんなことを?
(その混乱で邪魔な2派閥の力をそぎ、可能ならその頭領を亡き者にするため。)
つまり、ロードピス派は友達と同族を売り、さらには群れの仲間まで裏切り、殺した。
ラピスの心臓が激しく脈打ち、冷え切った血を全身に広げていく。
再び、周りを見る。姉も、妹も、従姉妹も、母も、そしてもちろん祖母も。ロードピス派は全員無事。
頭領を含めて、少なくない死傷者を出したセレネ派とレヴェ派と比べ、その姿はどこまでも醜悪だった。
自覚とともに、わきあがる吐き気。ラピスは激しくえずいた。
見かねた1羽が声をかける。
「大丈夫?」
ラピスはその声に怯えたように振り返ると、次の瞬間、集落の方向へ向けて飛び立っていた。
「ラピス!?」
後ろから名前が叫ばれる。
考えての行動ではない。ミラとリヨンを助けたいのか。レヴェ派とセレネ派を助けたいのか。そんな考えもなく。ただ、その場にいられずに飛び出した。
つまり、少女は逃げ出したのだ。
一方、他の人頭鳥たちも黙ってラピスを行かせるようなことはしない。
飛び出したのは、ラピスの母。リジータだ。
同じように追いかけようとしていた娘たちをリジータは制止する。
「皆はここにいて。わたしが連れ戻してきます。」
とっさに確保したのはロードピスの安全だ。レヴェとセレネが死に、ロードピスが群れの唯一の幹部として生きている。この状況が重要だった。それでこそ、意味がある。
いまさら、万が一でも危険は冒せない。
その意が通じたのだろう。ロードピスはその場にとどまると他の者たちに向き直る。それを目の端で確認し、リジータは加速した。
【軽やかなる風の精霊よ。我がもとに立ち寄りて、疾風の加護を与えたまえ。疾風を纏う者】
ラピスも【疾風を纏う者】を発動させていた。しかし、行使した魔法は同じでも、元々の能力、魔法の技量には格段の差がある。
岩場の果て、森との境でリジータはラピスを取り押さえた。
「離して、離してよ!!」
うつぶせに引き倒されラピスは声を上げる。
しかし、リジータは足に込める力を緩めることはしない。
「この馬鹿。一体何を考えているの!!」
ラピスは必死に抗うが、母を振りほどくことは出来ない。せめてもの反抗として、口を開き、告発する。
「お母さんたちこそ、何をやってるんだよ!!」
体が動けない分、口からは次々と言葉が出て来た。
「リヨンさんとミラは私の恩人なのに、セレネおバアちゃんだって、レヴェおバアちゃんだって、群れの仲間なのに、罠にはめて、殺して、こんなのおかしい。間違ってる!!」
真っすぐで痛烈な批判に思わずリジータの顔色も変わる。
「何もわからない子供のくせにッ!!」
そのままヒートアップするかと思われた口論だったが、唐突に知らない声が割り込んできた。
「お取込み中すまないが、今、リヨンとミラと言ったか?悪いが、少し話を聞かせてもらおうか。」
いつの間に、そこにいたのか。
ラピスとリジータの驚き、ひきつった顔のほんの数メートル先。
1頭の火蜥蜴が月光に鱗を鈍く光らせて佇んでいた。
その後ろには山羊の魔物らしき影と人型の影も1つずつ。
声もないリジータとラピスに向けて、サラマンダーは再び口を開く。
ひょうひょうとした余裕と、切羽詰まった剣呑さが同居した奇妙な態度に見えた。
「リヨンとミラを罠にはめたと、確かに聞いたぞ。どういう意味だ。2人はどこにいる。」
反応したのは、押さえつけられ、他に手のないラピスの方だった。
「2人は人頭鳥の巣の中に囚われてる。教えるから、助けて!!」
火蜥蜴の決断は速かった。ラピスの声が耳に届くや否や。手にした杖を横薙ぎに一閃。
リジータはあわてて空中へ飛びあがる。
「馬鹿なことはやめなさい。今さら集落に戻ってなんになるの!!」
ラピスは母に言い返す。
「私は、恩人も群れの仲間も見捨てたりしない。この騒動が、お母さんたちが裏切ったせいで起こったのなら、なおさら助けに行くんだ。」
リジータは悔し気に歯噛みをした。
しかし、意固地になった娘に加えて得体のしれない者たちが相手だ。排除は難しく。集落からそう離れていないこの地点に、長くとどまることさえ危険だった。
いま、この時も王国の軍勢は歩を進めているのだ。
結局、リジータは無念さをにじませながら飛び去った。
それを確認し、ラピスは火蜥蜴に問いかける。
「助けてくれてありがとう。それで、アナタ達はリヨンさんとミラとどういう関係なの?」
火蜥蜴は言う。
「俺たちは2人の友人だ。それより、早く案内してくれ。王国軍が迫っているんだろう。」
火蜥蜴の後ろで山羊の魔物が蹄で地面をひっかいた。
ラピスは肯いて翼を広げる。火蜥蜴の言葉の真偽は分からないが、そもそも追及の時間もない。
「分かった。ついてきて。」
決断は速かった。




