第70話:出陣と出奔
クレイドルにて、リヨンとミラがロードピスたちによって捕縛された時より、少し時をさかのぼったある時点。
シリウス王子率いる騎士団および兵士たちの野営地では、朝方から慌ただしい出陣の準備が進められていた。
興奮したコルダのいななき。兵士たちのがなり声。
そうした喧騒の合間を少年フリントはちょこまかと立ち働いている。
通りがかった騎士に命じられ、コルダに鞍を装着したかと思えば、糧食を満載した荷車を押す兵士を手伝う。
しかし、ただ漫然と作業を行っているわけではない。
もしも優れた洞察力を持つ者が少年を観察していたとすれば、周囲の会話に耳をそばだて、また手伝いの合間の雑談から情報を集めようとしている様子に気が付いただろう。
やがて、何か確信を得たのか。少年の表情がわずかに変わり、足も行く先を変える。
その時、少年に声をかけるものがあった。
「おーい、フリント。ちょっと手伝ってくれ。」
いつぞや、ハルピュイアの事で少年をからかった中年の兵士だ。
それに対し、フリントは申し訳なさそうに、しかし、元気よく返事をする。
「オッサン、ごめんよ。いま、騎士様に用事を言いつけられちまってて、急いでるんだ。」
その台詞に、相手は肩をすくめる。
「それじゃ、しょうがねえな。そっちが手早く片付くようなら、また来てくれや。」
オッサンの言葉に手を挙げて応じると、フリントは再び早足で歩きだす。足取りに迷いはない。
目的地はすぐそこだ。
「すいません。ちょっとお願いが。」
声を張ってコルダの管理をしている兵士に話しかける。
野営地の者であれば、大抵のものがフリントの顔を知っている。この兵士も気やすい調子で応じてきた。
「なんだ、小間使いの坊主じゃないか。どうかしたのか。」
少年は第一声とは反対の、申し訳なさに満ちた声を出す。
「突然、すいません。王都の騎士様が今日になってご自分のコルダが足を引きずっているから、なんとか代わりを手配しろと仰ってまして。」
これを聞いて、兵士の眉がハの字になる。
「なんだと。今日の今日で何を言っているんだ。大体、コルダの管理も騎士の心構えの…、」
と、苦言をこぼしかけ、目の前にいるのが使い走りの小僧なのを思い出したらしい。
言葉を打ち切ると、盛大なため息をついた。
フリントはことさら言いづらそうな表情で、兵士の顔色を窺っている。
「すいません。でも、コルダがなければ出陣できん。一刻も早く手配して来い。と、かなりの剣幕でして」
兵士の表情は苦り切っている。しかし、確かに騎士にコルダがなければ問題だ。
ため息を飲み込みながら、1頭のコルダを選ぶと手綱をフリントに手渡した。
「それじゃ、コイツを頼む。良い駒とは決して言えないが、他にないからな。もっといいコルダと言われても、 これが一番上等だったと言うんだぞ。それと一体、どの騎士様が言ってるんだ。記録するから、教えてくれ。」
少年は深々と頭をさげる。
「ありがとうございます。これで怒られずにすみます。このコルダは責任をもって王宮騎士のマグナス様にお届けします。」
「マグナス様ね。じゃあ、くれぐれも頼んだぞ。」
やれやれ、と頭を掻く兵士にもう一度礼を言うとフリントはコルダを引いて歩き出した。
キビキビとした元気のいい足取りで兵士用の区画を抜け、騎士用の区画へと入っていく。
比較すれば、人も少なく静かだが、こちらも出陣の準備をいそぐ慌ただしい雰囲気に満ちていた。
そんな中、コルダを引いていく少年に目を止める者はいない。
フリントはまだ畳まれていない天幕の陰から陰へと歩を進め、徐々に野営地の隅まで移動した。
周りに人目がないことをさりげなく確認し、背中の荷物を降ろす。
まず取り出したのは小さな笛だ。何かの動物の骨か、角から削り出されたと思しき、小指ほどの大きさの白い笛。
フリントはそれを咥えると2度、3度と吹いた。しかし、音は出ない。
音は出ていないのだが、少年は気にした様子もなく笛を再びしまい込んだ。
続いて取り出したのはコルダ用の鞍だ。古く、また収納しやすいように簡略な構造にしてあるためだろう。やや心もとない造りだが、今度もフリントに気にした様子はない。
手慣れた様子でコルダに被せると、装着していく。
そんな時、突如として背後から声が上がった。
「おい、そこで何をしている!!」
少年の背中がビクリと跳ねる。
振り向くとそこには鎧に身を包んだ騎士が1人。フリントの行動を見とがめて近づいてくる。
知った顔だが悠長に待っている理由はない。
フリントはあわててコルダに跨ると鞭をいれた。
コルダがいななき、発進する。
「待てっ!!」
間一髪。騎士の手を逃れ走り出す。所詮は人の足、追い付いてくることはない。
フリント、いや、もうその名前は必要あるまい。
シレンは振り返ることなく、一気に駆け出すと野営地を後にした。
………。
「待てっ!!」
走り出したコルダに向かい、2、3歩。思わず踏み出したものの、追いつける道理はない。
騎士コナーズ・エアは早々に足を止め、少年とコルダを見送った。
一旦は逃がしたとは言え、相手はさして騎乗もうまくない少年に過ぎない。
まとまった追手を出せば捕獲は可能だろうが、出陣を控えたこのタイミングでそれを行うのは考え物だった。
逡巡しながら天幕のそばへと戻ると、そこには見慣れた異装。東方の武人ジンカイが腕を組んで立っていた。
「どうすル。追うかネ。」
コナーズは首を横に振った。
「大事の前の小事です。捨ておきましょう。」
無論、問題ではあるし、面白くもないが、今は余計な騒動を抱え込むときではない。
小間使いの給金として、軍用コルダ1頭では釣り合わないがこの際仕方あるまい。
コナーズの心中をどの程度察したかは分からないが、ジンカイは肯くことで同意を示す。
「それもよかろウ。しかし、ケチがついたナ。このような時はよくないことが続くものダ。くれぐれも、気を引き締めて参ろウ。」
武人の台詞にコナーズも肯きを返す。表情には緊張感がある、
なにせ、今日は“統べる者”が潜むハルピュイアの集落を攻め落とすのだ。
失敗は許されなかった。
………。
陣を出てから、数時間。
すでにたそがれ時を迎えた宵闇の中、シリウス王子に率いられた一軍は森の端に陣取り、そこからハルピュイアたちの住まう台地を睥睨した。
そこに住まう者たちが“クレイドル”と呼ぶ台地は今、静かにその身を横たえている。
切り立った崖で身を鎧ったその姿は、伝え聞いていたよりもなお、難攻不落の印象を見る者に与えていた。
「殿下、ご命令通り森に身を隠して台地を遠巻きにしておりますが、一体、どのようにしてあの絶壁を責めるのでしょうか。」
そう問いかけたのは、コナーズだ。
シリウスは冷笑を浮かべてそれに応える。
「本日の段取りはすでに十分確認したはずだが、まだ、なにか不明な点があるのか?」
拒絶の意思を感じつつも、コナーズは問いを重ねる。
「私たち、それに兵士らが各々何をなすべきかは重々、承知しております。しかし、肝心のいかにしてあの鉄壁の防御を抜いて要害を陥れるのか。その策をお聞きしておきたいのです。」
食い下がるコナーズに、シリウスはいささかどころではなく気分を害したらしい。
「指揮官たる私が、配下であるお前に対して、その策の全てを説明する必要はないと考えるが、間違っているか。」
イラつきまじり、皮肉な物言いに、流石にコナーズも追及を諦めた。
「いえ、申し訳ありません。好奇心のあまりに出過ぎたことを申しました。」
シリウスは小さく鼻を鳴らすと忌々し気に一瞥した後、コナーズから視線を切った。
視線の先ではまさに今、日が落ちきった。夜の闇に沈んだ台地が黒々としたシルエットとなっている。
既に先行隊は放った。
あとは、あのヘイゼルと名乗ったハルピュイアが約束を守るかどうか、だ。
魔物の言をそのまま容れるなど、余人にあっては狂気の沙汰だと言われるだろう。
しかし、シリウスには確信があった。
ヘイゼルは約束通り、同朋を売り、“統べる者”を売る。
伊達に魑魅魍魎渦巻く王宮の奥深くで育ってはいない。
我が身のために、身内を売る者に特有の腐臭。王子の鼻はそれをヘイゼルにかぎ取っていた。
ゆえに、指示された登り口に見張りはいない。先行隊は十全に任務を果たす。
ゆえに、王子の号令に淀みはない。
「進軍を開始する。速さはいらぬ。うたたねする小鳥へ這い寄る蛇の如く、静かに歩を進めよ。」
伝令が走り、兵が動きだす。部隊ごとに列をなし、月と星の明かりだけを頼りに、ゆっくりと森から台地へと荒れ地を進んでいく。
まだ日がある時間であれば、それは獲物狙って巣から這い出して来た多頭の怪物のようにも見えただろう。
しかし、今はそれを見とがめる者もない。ハルピュイアたちはまだ“揺りかご”のなかで平穏な夢を見ている最中だった。




